- platon_dorothea
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@turqu_boardgame まじめに解釈すると、そういう風に危機を無視し行為している場合、結局、危機を感じていないだけなのだということになるのでは。
2014-06-04 19:23:09@shinimai そうですね。目的が多様にあるのでなく、たった一つの目的しかなくても、そこに至る手段が豊富に用意されてると、次第にその目的自体の価値や切迫感が(手段の多様さに引きずられるように)減退するように感じる。ということが僕は気になってるみたいです。
2014-06-04 19:30:49自由だと、自分の美意識や倫理みたいなものをプレイに反映しやすい、というのはあるね。で、それってやっぱり、目的のために手段は正当化されないってことで、目的よりも適切な手段を重んじるってことだな。目的の価値は相対的に低くなる。いくら合目的でも、アイスソードを殺して奪ったりしない。
2014-06-04 19:42:26@turqu_boardgame まあまあわかる気がします。切迫感を自分のゲームプレイの行為がかかわるものとして引き受けるか、与えられる物語のなかに感じるかというところで態度のちがいがあって、後者の場合だと選択肢とか自由さはむしろシリアスさを減じるものになるのかもしれません
2014-06-04 19:48:07@turqu_boardgame 初めまして。唐突にすみません。 切迫した状況を無視した行為をできるようシステムの側がデザインされていると、プレイヤーはそうした行為の行われる可能性がゲームの世界に織り込まれているように感じてしまう、という面もあるのではないでしょうか。
2014-06-06 23:01:55@turqu_boardgame つまり、そうした選択肢が用意されたシステムの上では、どんなにストーリーの側でその状況の切迫感を語っても、システムとストーリーの間に齟齬が生じ、ゲーム全体としてその世界に感じて欲しいはずの切迫感が削がれてしまう、という面もあるのかなと。
2014-06-06 23:03:21@platon_dorothea まさしくそうだと思います。責任感や切迫感というものが「運命」や「宿命」という必然性を意味する概念と相性が良いとしたら、それは自然なことかもしれません。一方、運命・宿命はゲームに頻出する単語です。その齟齬をどう埋めるかは個人的に気になるテーマです。
2014-06-07 01:30:24@turqu_boardgame なるほど。私の話だと「世界の危機に際して、それを無視した行為を選択肢として用意するのは止めよう」ということになるけど、それを徹底すると、あらゆる場面において、唯一正しい選択肢以外の全ての選択肢が消えてしまうことになりかねないわけですね。
2014-06-07 09:46:16@turqu_boardgame でも、それではゲームに(少なくとも面白いゲームには)ならないから、実際には、世界の危機に際しての対応であっても複数の選択肢が用意されるわけで。その時生じる齟齬をどうやって克服するか(しているか)という問題は、確かに考えてみると面白そうです。
2014-06-07 09:48:17