「ひぐらし」の登場人物は なぜ、“罪”を問いかけるのか?

竜騎士07氏の作品には、「罪」という言葉がたびたび登場します。 「ひぐらしのなく頃に」や「うみねこのなく頃に」に登場する人物たちは いったいどのような気持ちで、「罪」という言葉を問いかけているのでしょうか。 @womba90氏とのタイムラインをまとめました。
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かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 なるほど、そういう解釈なのですね!うみねこの“愛があるかどうか”に通じている気がします。 竜騎士氏は“信じる”事に重点を置いておきながら、何を信じるのか、どう解釈するのかについては限定してないんですね。 許容の度合いがすごい…!

2010-12-05 13:38:06
うぉんば @womba90

@KNZ00 そうですよね、両作品では信じることの持つ力と同じくらい、信じることの難しさが描かれてると思います。そう、話が戻りますが、ひぐらしでは疑心暗鬼(というかその原因としての不信)そのものが罪として描かれているように思います。漫画版鬼隠し編のフルデリカの詩にもあるように。

2010-12-05 13:41:08
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

鬼隠し編の詩 http://j.mp/fRjJh8 どうか嘆かないで。世界があなたを許さなくても、私はあなたを許します。 どうか嘆かないで。あなたが世界を許さなくても、私はあなたを許します。 だから教えてください。あなたはどうしたら、私を許してくれますか?

2010-12-05 13:52:08
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 なるほど、疑心暗鬼や不信そのものが罪となるのですね。 鬼隠し編の詞で言うと、罪があるのは誰で、何が罪になるのでしょうか…

2010-12-05 13:58:30
うぉんば @womba90

@KNZ00 フレデリカの詩はあくまでも作品のテーマに基づいて詠まれた象徴的なものだと考えてますが、強いて言うなら。鬼隠し編は終始圭一の物語ですので、罪があるのは圭一。罪は、少し漠然としていますが、仲間を不信したこと、心を閉ざして相談しなかったこと。

2010-12-05 14:14:26
うぉんば @womba90

@KNZ00 ひぐらしではどちらかというと、自分の殻に閉じ籠らずに広く受け容れること。ただ、皆殺し編では結束は村レベルまでで鉄平や役所は言うなれば“敵”であり、祭囃し編ではルールYの鷹野とは真っ向から衝突してるので、一概には言えませんが。――というのが私の解釈。

2010-12-05 14:03:14
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 難しいですね。敵がいなければ一致団結を描くのは難しいでしょうし、共感も得られにくいでしょうから。 ただ、好意的に解釈すれば、敵を作る事になっても自分の主張を通す=自分の行動に責任を持つことになるのかな、と解釈することもできると思います。

2010-12-05 14:16:34
うぉんば @womba90

@KNZ00 仰る通りです(^^;) その、“主張を通す(責任を持つ)”って部分を、うみねこで掘り下げているのではないかと思います。

2010-12-05 14:32:35
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 なるほど、EP5のヱリカvs戦人を読むと強く感じます。

2010-12-05 14:39:37
うぉんば @womba90

@KNZ00 竜騎士さんは、インタビューなどを読んでも本当に寛容な価値観の持ち主ですよね。うみねこでは、何を信じるかの判断は個人(キャラ・読者)に委ねて、そのそれぞれが築き上げる“真実”(信念・推理etc)の衝突・対話って印象を受けます。

2010-12-05 13:55:43
うぉんば @womba90

@KNZ00 漫画版の方の詩で「それこそがあなたの罪なのです」とあるように、実を食べたことや甘言に惑わされた“行為”自体ではなく、それによって心を閉ざした“状態”こそが罪、と言っているのだと解釈しています。

2010-12-05 14:20:07
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 なるほど、ありがとうございます。これに最初の方の“罪”と“赦し”をあてはめるとしっくり来ます。 「仲間を不信したこと、心を閉ざして相談しなかったこと」は罪ではあるけれど、それは赦されるものである…そんなイメージを抱きました。

2010-12-05 14:20:46
うぉんば @womba90

@KNZ00 余談ですが、聖書においてもそういうところがあります。旧約聖書ではかなり細かく神の律法が定められていますが、イエスやその使徒はその形式のみに縛られた学者たちを諫め、信仰や赦しこそが本質であると説きました。うろ覚えですが、“ローマ人への手紙”などで書かれてた気がします。

2010-12-05 14:28:25
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 2章、10章、12章あたりでしょうかhttp://www.berith.com/shuhou/roma/ 罪という概念を、けっして傲慢にならないように諭す、素晴らしい教えだと思います。

2010-12-05 14:38:16
うぉんば @womba90

@KNZ00 繰り返しになりますが、本質は行為じゃないんですよね。仲間に打ち明けることが重要だって何度も言われてますけど、じゃあ隠し事をしたら仲間じゃないのか?ってことになる。実際、罪滅し編でレナは過去を隠していた圭一を責めたし、圭一も仲間たちに隠していたことに罪悪感を覚えた。

2010-12-05 14:39:36
うぉんば @womba90

@KNZ00 だけどそんな圭一に対して魅音は言います、「隠し事をしたら、仲間じゃないの?」って。竜ちゃんのこういう、反論に先回りするくらいくどいところが大好きてすw

2010-12-05 14:43:07
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 なるほど。そこの部分、「罪」を「罰せられるもの」と解釈すると恐怖を抱きますが。「赦されるもの」と解釈するとまったく別の意味に受け取れるのですね。

2010-12-05 14:28:09
うぉんば @womba90

@KNZ00 そう、罪を「罰せられるもの」と考えたら萎縮しちゃうんですよね。同様に「どうか嘆かないで」の詩も鬼隠し編だけ読んだらホラーにも聞こえるという…。この、鬼隠し編の恐怖がそのまま感動に裏返るところ、そしてそれがメッセージ性を際立たせているところがたまらなく好きです(笑)

2010-12-05 14:58:50
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 本当だ…!「ごめんんさい」のシーンも含めて鬼隠し編だけ読んだら完全にホラーですよね。意味を知れば、裏返る。すごいなあ…!

2010-12-05 15:07:55
うぉんば @womba90

@KNZ00 そうですよね。「ごめんなさい」の真意も、“愛がなければ視えない”。複数の解釈が存在する猫箱。疑う“理由”も無限に存在するし、信じる“理由”も無限に存在する。

2010-12-05 15:21:50
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

@womba90 ありがとうございます。すごく勉強になります。うぉんばさんに教えていただかなかったら、罪の概念について理解できなかったと思います。

2010-12-05 14:53:38
かわいそうなぞう(はんだち) @KNZ00

この言葉こそが、本当の意味での“罪を赦す”って事なのか…。 RT @maria0_bot: .@rosa_bot ねぇ、ママ。…知ってる? 世界にママはひとりしかいないんだよ。いいママも悪いママもいない。

2010-12-05 15:01:27
うぉんば @womba90

@KNZ00 罪についてはよく分かりませんけど、確かに竜騎士さんが好んで描く信頼や愛は、この台詞にもよく顕れているように思います。

2010-12-05 15:13:17