『ゆゆゆ』の身障やら車椅子やらの描写は結局なんだったのかというと

『結城友奈は勇者である』についての備忘録。 続きを読む
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雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』BD3巻が届かないマンなので代わりにMAD見よう…

2015-02-19 00:52:03
雪見バーガー @H926

【MAD】レプリカ (結城友奈は勇者である) (2:48) nico.ms/sm25226688 #sm25226688

2015-02-19 00:55:54
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』の設定で構造的に悪辣なのは、障碍を負っていること、障碍の数が戦闘力、精霊の数として転化されることで、障碍が、見方によってはある局面ではハンデではなく特別な個性である…というような観点を、勇者システムという形に戯画化しちゃってることで。

2015-02-19 01:10:31
雪見バーガー @H926

障碍を個性だとか天からの授かりものだとか神様が与えた試練だとかいう風に考えたり受け止めたりしようっていうような観点を、大赦が園子を崇め奉るような姿で、極端な形で描いて見せるわけだ。

2015-02-19 01:16:49
雪見バーガー @H926

一方で、東郷の社会的バリアフリー描写で、障碍は特別に気にするようなことではない、単なる身体的特徴の一つに過ぎないとフラットに受け入れるものだ、受け入れられるものだとも描く。しかし現実としてハンディキャップが消えるわけではなく、東郷がそこに負い目を感じていることも仄めかされる。

2015-02-19 01:24:24
雪見バーガー @H926

障碍をフラットに単なる身体的特徴の一つとして受け取るなら、それは視力が低いとか背が小さいとかいうのと同じで、単なる個人差でしかない。それは負い目とか恐怖を感じるようなことでは無い筈なのだ。建前上は。散華の結果は単に不便だったり、やりたいことが出来ず残念てだけな筈なのだ。建前上は。

2015-02-19 01:34:40
雪見バーガー @H926

実際、友奈や樹はそういう風に受け入れているように見える。残念だけど、仕方がない。身体的に無理なことは諦めて別の方法でやろう、別の方法で人生を生きよう、楽しもう。でも、東郷や風先輩はそういうようには割り切れず、諦められずに泣き喚き、行動を起こしてしまう。

2015-02-19 01:41:53
雪見バーガー @H926

風は樹のことを、東郷は友奈のことを思っての行動だが、そこには自分の障碍に対する恐怖や負い目がベースにあって、それを重ねているからこそ(実際には樹も友奈も風や東郷が思う程には絶望していない。2人が怒ってくれたから絶望せずに済んだというのもあるだろうけれど)、というのがリアルで酷い。

2015-02-19 01:46:57
雪見バーガー @H926

特に酷いのが風先輩の自身の散華に対する態度で、片目の視力が落ちる(喪う)という、他の部員に比べれば比較的支障の少ない障碍を、狭義の中二病的な「邪眼が疼く」という態度とアイパッチでキャラ、個性として受け入れ、然程気にしていないように振る舞っていながら、いざ治ると涙を流して喜ぶのだ。

2015-02-19 01:57:07
雪見バーガー @H926

障碍は単なる身体的特徴でも個性でもない、単に不幸だ、という感じ方を風先輩は身をもって示してしまう。むしろそれこそが建前やなんやかやを廃したスーパーフラットな障碍への態度であり真摯さであるとも言えるが、いやなんかもう、色々とひどすぎる(注:褒めてます)。

2015-02-19 02:02:52
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』の最終的な身体障碍への態度というのは、単なる不便であり不幸であり、治せるものならその方がいいに決まっている、という即物的なものでしかない。それはある意味とても酷い、妙なリアルくささがなんか嫌な結論なのだけれど、同時にそこにある種の真摯さも僕は感じるのである。

2015-02-19 02:13:32
雪見バーガー @H926

そもそも、障碍を抱えたままで普通に社会の中で皆と笑顔で日常を生きていくってのは最初から東郷さんでやってるし、運命と障碍を受け入れ、一般社会の外で健気に生きてく少女尊い…っていうのも園子でやってるので、勇者部が散華の身体障碍から回復せずに終わる話なんてのは、その焼き直しにしかならな

2015-02-19 02:32:56
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』の障碍、東郷さんの車椅子ってのは、タカヒロさんが企画出した時からの設定で、そこには色々な思惑とか思想とかがあったと思うんですが、作品本編では結局のところ、友奈と東郷さんが助ける側と助けられる側の立場を交換し合ってお互いを知るっていう話の為のガジェットでしかなくて。

2015-02-19 12:01:54
雪見バーガー @H926

それは岸監督がそうしたんだと勝手に思ってるんですが、最終的に身体障碍に思想とかテーマとかは込めずに、本編を中学生5人の物語とだけして、世界観その他もろもろ共々に単なるガジェットとして使ったっていうのは、ある意味ぞんざいで酷いんだけど、だからこそ凄くよかったなぁと。

2015-02-19 12:02:33
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』は身体障碍に関しては、理想や建前としては単なる身体的特徴として捉えるのが望ましいが、社会がそれを受け入れたとしても実際上の問題や心的なものは必ずしも解決しないし、天から授かった特別な個性や神様が与えた試練だとかいう捉え方には欺瞞性があるよっていう、割と身も蓋もない話よ。

2015-02-19 12:03:36
雪見バーガー @H926

社会や周囲がどう思おうと受け入れようと対応しようと実際問題として東郷さんの足は動かないし、樹海化のような災害の中では文字通り足手纏いで自分一人では逃げられもしないし、自分を受け入れてくれる人も危険に晒してしまうし、そこに負い目も感じる。「友奈ちゃん、今すぐ私を置いて逃げて!」

2015-02-19 12:04:44
雪見バーガー @H926

最初からそれは示されている。勇者部の5人が散華の身体障碍から回復することなく、それでも車椅子の東郷さんのように笑顔で日常を送り続けたとしても、その裏には同じように自殺や心中を考えてしまうくらいの負い目や感情が隠れているかもしれないし、それが何かの拍子に現れないとは限らない。

2015-02-19 12:05:33
雪見バーガー @H926

仮にそういった感情を東郷や風のような激しさでは表さない、友奈や樹のような穏やかな受け止め方をする子達だったとしても、彼女らが自身の障碍をどう受け止めているかなんてのは、園子と会った後の態度や、回復した時の表情を見ればわかる。何かを諦めて生きていくことは彼女らにとって幸せではない。

2015-02-19 12:07:28
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』は最初から一貫して、理想的なバリアフリーを提示する一方で、それでもそこにこういった裏は消えないのではないかと示し続け、その発露という東郷の暴走を最後に持ってきた作品。障碍に対する正しい態度や理想を提示する作品ではない。寧ろその逆。正しさや理想の裏を暴く。

2015-02-19 12:08:19
雪見バーガー @H926

勇者部5人が回復せず、障害を抱えたまま、それでも笑顔で日常を生きていく結末だったとして、その方が物語としての納得度や完成度が高いとして、それを我々視聴者はどう受け止めただろう。人生の楽しみや夢を諦めて、それでも前向きに生きていく彼女らに勇気を貰った? 感動の涙を流した?

2015-02-19 12:08:55
雪見バーガー @H926

身体障碍を単なる身体的特徴として社会や当人が捉え扱うことは理想や建前的には可能でも、実際問題としては無理があった、という話である以上、それは障碍という身に降りかかった不幸に耐えて裏に色々と抱えつつも前向きに健気に生きていく少女たち尊い…というような受容の仕方になるだろう。

2015-02-19 12:09:49
雪見バーガー @H926

その態度は、園子を人間扱いせず、神様として崇め奉っていた大赦の大人たちのそれと相似だ。直接的にそうとは描かないが、そういった大赦の態度をよしとしなかった作品だからこそ、『ゆゆゆ』の結末はああだったのだと思う(勿論、それはそれとしてそこに至る過程が問題なのだという批判は成り立つ)。

2015-02-19 12:10:44