岩上安身さん、死の淵から過去への回想ツイート(早朝)

岩上さん、身体お大事に。
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岩上安身 @iwakamiyasumi

続き26 だが、90年代に入り、30代を迎えるとともに、変調をきたすようになってきた。不眠症が始まっていたのである。それまで、アドレナリンが出るストレスフルな仕事をうさを、空手などで身体をいじめて、さらに上回るアドレナリンの放出で忘れ、肉体を疲れさせて、酒を飲んで眠ってきた。

2015-03-20 04:22:10
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き27 疲れ果てて、眠って、また猛烈に働き、殴って蹴って、殴られて蹴られて、フリーとして生きてゆくあらゆる不安を全部忘れて眠る、その繰り返しに、身体が耐えられなくなってきたのだ。ロシアの取材が長くなると、道場へ通うことができなくなる。身体がなまる。ストレスのレベルも違う。

2015-03-20 04:25:58
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き28 不眠症が始まっていた。それを酒でごまかしていた。さらにモスクワから東京へ戻っている時に、黒帯への昇段審査を見据えて稽古しているとき、右手の拳を骨折した。いわゆるボクサー骨折と言われるもので、自分のパンチ力に自分の拳の骨が耐えられずに折れてしまうものだ。

2015-03-20 04:28:41
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き29 右手がハンドボール大に腫れ上がった。ペンが持てなくなった。深刻な事態だった。記者がペンを持てなくなったら、侍が刀を持てないのと同じで、ただの役立たずだ。医者から、この骨折は手術不能と言われた。空手、続けられますか?と聞いたら、まだ、続ける気なんですか?と言われた。

2015-03-20 04:32:31
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き30 それが転機になった。それからもしばらくは道場通いを続けたけれども、思い切り踏み込んで右ストレートを打てないようではどうしようもない。自ずと限界がある。また、人間の死に場所は二つはない、どれか一つなのだ、なんのために死ぬのであれば納得がいくかだ、と思い至った。

2015-03-20 04:36:43
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き31 自分の死に場所は空手か、そうではないだろう。自分が生きるも死ぬも、ジャーナリストとしての仕事を通じて、全うしてだろう。ようやくそうした覚悟がさだまってきた。道場の先生からは、仕事を辞めて、事務長にならないか、というおはなしをいただいたこともあったが、ご辞退申し上げた。

2015-03-20 04:39:30
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き32 結局、自分はこの仕事に打ち込んで、この仕事を死に場所と定めるのだ、と決めた。そうした覚悟が定まってきた30代半ば過ぎ、時代は90年代の後半にさしかかり、バブル崩壊の負の影響が深刻化してきた。出版界は未曾有の不況といわれ、硬派の月刊誌が次々廃刊となった。

2015-03-20 04:43:31
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き33 80年代までとは明らかに環境が変わってきた。眠れない日々が続いたが、もうアドレナリンを出し尽くすほどに汗をかくことができない。その時間もない。寝酒を飲んで寝るのを繰り返すうちに、体調がおかしくなった。微熱が続く。病院に行って検査をしたら、肝臓の数値が悪いと言われた。

2015-03-20 04:47:49
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き34 酒を一ヶ月やめるように、と医師に言われた。その通りにすると微熱が止まる。治ったと思って、また飲み出すと、また熱が出る。そんなことを繰り返しているうち、これは酒をやめないと本格的に内臓を壊すな、と思い、酒を絶った。

2015-03-20 04:49:35
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き35 酒を一滴も口にしないと、体調は改善されたが、ますます眠れなくなった。あれこれ本などを読んで、自分は交感神経優位の不眠症、睡眠障害なのだ、と気がついた。その頃には、今も続く首や背中や腰の痛みも常態化していた。抵抗があったが、病院に行って睡眠導入剤を処方してもらった。

2015-03-20 04:54:42
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き36 最近、椎名誠さんが長年、睡眠障害に悩まされ、いろいろな薬を飲みながら今日に至っているとカムアウトする本を書かれた。出版社の編集者時代、椎名さんの担当編集をしたことがあり、精悍な30代の椎名さんに接する機会があった。校正ミスを2箇所して、厳しく叱られた思い出もある。

2015-03-20 05:00:02
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き37 あの頃の椎名さんも、すでに睡眠障害を患っていたのか、と知って、少し驚いたが、活力に溢れるような椎名さんは、それゆえ僕と同様に交感神経優位になりやすく、睡眠障害に陥ったのかもしれない、と合点もいった。

2015-03-20 05:02:03
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き38 ともあれ、眠れなくても死ぬわけではない。首や腰が痛くても、死に直結しない。根を詰めて仕事をすれば、睡眠障害も腰痛なども悪化するが、騙し騙し、乗り切ることを覚えた。覚えようとあれこれあがいた。アドレナリンを鎮める方向で、様々な手立てを講じた。ヨガも瞑想も座禅も組んだ。

2015-03-20 05:06:34
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き39 病と老いと死の三つに直面した40代でもあった。難病で長い間苦しんできた母を、長い介護の末にみとった。その次には父が衰え、その父も介護の後にみとった。その間に妻と別れ、2人の娘を育てた。両親が作った借金の保証人になったため、その借金の返済に火の車となった時代でもあった。

2015-03-20 05:12:37
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き40 父をみとり、親の借金の清算を全て終えた時期と、娘たちが学校を出て巣立つ時期とが重なった。長い40代が終わり、身軽になって自転車を乗り回し、遅ればせながらパソコンを扱い始め、ネットの可能性を確信し、ホームページをリニューアルして、自由に発信し始めた。

2015-03-20 05:17:09
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き41 それが2009年。陸山会事件と政権交代の年だった。またアクティブに動くテーマに巡り合っていた。のちにIWJ設立につながる着想はこの頃に育んだものだ。半年ほど、ワークバランスの絶妙に素晴らしい時代を味わったが、あっという間にまた、ワークへとバランスが傾いてしまった。

2015-03-20 05:21:20
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き42 ツィッターは2010年初頭から始めた。人に言えない苦労を重ねてきた時代と違い、この5年間は何でもリアルタイムで明らかにしてきた。ワークライフバランスは、ワーク、ワーク、ワークになってしまったが、それまでとは違い、苦労は苦労でも、陽気な苦労だった。

2015-03-20 05:27:15
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き45 IWJを設立して以後も、たくさんの人と交流して、情報だけでなく、心も通わせてきた。楽しかった。苦労はあったが、それまでの陰にこもった苦労とは、まったく性質が違うものだった。

2015-03-20 05:37:25
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き46 親の借金を背負わされ、返す苦労をしているときには、すでに、毎週、テレビに出る「有名人」になっており、もう誰にもその苦労を打ち明けられなかった。孤独だった。本当に世界の中でたった一人、というほどの孤独を味わっていた。

2015-03-20 05:48:50
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き47 相談した弁護士は、しきりに自己破産を勧めたが、そんなことは絶対にできなかった。自分だけが自己破産したところで、年老いて認知症に半分なりかけた父親は、担保に家を取られ、行き場を失うことになる。父から、母との思い出の詰まった家を取り上げさせるわけにはいかなかった。

2015-03-20 05:50:16
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き48 僕は自分の働きだけでは、返済に回せず、金を借りまくった。立派な多重債務者で、すっかりブラックリストに乗ってしまい、アコムやプロミスなどではもう貸してもらえず、どこで嗅ぎつけたか、闇金からの誘いが毎日やってきた。ドロップアウト一歩手前だった。

2015-03-20 05:52:06
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き49 僕は自分の働きだけでは返済に回せず、金を借りまくった。立派な多重債務者で、すっかりブラックリストに乗ってしまい、アコムやプロミスなどではもう貸してもらえず、どこで嗅ぎつけたか、闇金からの誘いが毎日やってきた。こんな境遇にあることを誰にも愚痴ることも相談もできなかった。

2015-03-20 05:56:19
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き50。宮崎学さんが、バブルで借金を背負って眠れなくなる日々を綴られていたが、心底、その苦しみがわかった。僕が背負った親の借金も、宮崎学さんほどではないが、元金は2億円近かった。住専とその債権を引き継いだ整理回収機構は鬼のようなところで、金利7%をまったくまけなかった。

2015-03-20 06:11:12
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き51 そんなときにも仏様のような慈悲を示してくれる人もいた。弁護士に相談に行ったら、その弁護士と私との共通の知人である、諏訪マタニティクリニックの根津八紘院長だった。根津先生は、あなたのような有為な人間がそんな借金で潰れてはいけないと言って、500万円無利子で貸してくれた。

2015-03-20 06:12:19
岩上安身 @iwakamiyasumi

続き52 もちろん、根津先生には、後日、耳を揃えて500万円返した。その折に先生からもらった言葉は、「本当に金が返ってくるとは思わなかった。これまでにも苦しいやつに金を貸してきたが、返した奴は誰もいなかった」というものだった。

2015-03-20 06:13:53