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予告ツイート
5月4日(月) 「阿賀に生きる」23周年 2015年追悼集会「阿賀の岸辺にて」 阿賀野市安田公民館 10:00~「阿賀に生きる」フィルムニュープリント上映 無料 ほか。詳細はniigata-mizubenokai.org/2015/040210543…
2015-04-27 10:23:555月4日の新潟水俣病追悼集会「阿賀の岸辺にて」に行ってきます。はじめての新潟です。滋賀より東に行くのは10年ぶりくらいです。新潟市で観光する時間がとれるので、新潟市でおすすめの場所・店などあれば教えてくださいませ。よろしくお願いいたします。
2015-05-01 16:55:38追悼集会 参考記事
映画「阿賀に生きる」23周年&2015年追悼集会「阿賀の岸辺にて」開催!@阿賀野市コミニュティセンター城のうち: 今年も5月4日は、阿賀に生きるファン倶楽部(事務局・旗野秀人さん)主催の映画「阿賀に生きる」23周年&20... tinyurl.com/kgq3y48
2015-05-01 17:46:01想い1 いよいよ4日には映画「阿賀に生きる」23周年、2015年追悼集会「阿賀の岸辺にて」(阿賀野市コミュニティーセンター城のうち)が開催される。毎年のことながら前後は前夜祭、反省会と三日間の酒漬け、睡眠不足の楽しい苦行がまっている。
2015-05-02 18:46:30想い2 私の方は坐骨神経痛と左足首捻挫という状態で、迎撃態勢を取ろうと思うのだが戦闘スペックは非常に低くなっている。役立たずかも。 さて今回は水俣から緒方正人さんがいらっしゃるとのことで、お会いできるのを楽しみにしている。
2015-05-02 18:47:20想い3 最初にお会いしたのは87年だか88年頃の考座水俣(市ヶ谷YWCA)で、緒方さんの話を聞いたことが最初である。この考座水俣は最首悟さんの不知火グループとほぼ同一メンバー+αで運営していたと思う。
2015-05-02 18:48:14想い4 それから私が水俣に行った際には女島の緒方さんの家に泊めて頂き、翌朝は二日酔いの中、サヨリ漁やカニ漁に連れて行って頂いたことを思い出す。あれから四半世紀が経っている。そして私と緒方さんは東京でも水俣でもなく阿賀野川の畔で再会するのである。
2015-05-02 18:49:10想い5 救済されなければならないのはチッソの方であると言い、申請協の会長を辞め、自らの申請も取り下げた。まだ小さい娘さんが亡くなった時、「娘は胎児性だったかも知れん。」と女島の港際でポツリと呟いたことを思い出す。あれから四半世紀なのだ。
2015-05-02 18:49:44想い6 私の方は雑草の研究を志し、その生命としての深さに嵌りつつ、新潟に流れて来た。今では旗野さんとこうして追悼集会で、県内外の人々を受け入れる側になっている。脚は痛いし体はポンコツだが、頑張っていきたい。
2015-05-02 18:49:56明日!QT @aganiikiru: 映画『阿賀に生きる』の地元、安田公民館で行われる“追悼集会”! 水俣から緒方正人さんと永野三智さんを招いての講演「私もまたもう一人のチッソであった」も。参治さんはついに白寿! 初めての方大歓迎! pic.twitter.com/vABolcFDiB
2015-05-03 09:10:22追悼集会にむけての思い
新潟日報夕刊で今年1月に連載された、『阿賀に生きる』”仕掛け人” 旗野秀人さんの「人ものがたり」全12回をこのあと連投でお伝えします! 明日の新潟・安田での”追悼集会”の予習(笑)としてもどうぞ!
2015-05-03 10:11:37新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」初回は「水俣病から教わった(1)冥土のみやげ」。「裁判が終わり、みんなに何がやりたいかって尋ねたら「温泉に行きたい」「カラオケ…そんな普通のことを、みんなどれだけ我慢していたのか」 pic.twitter.com/41wboEIIq1
2015-05-03 10:12:58新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」二回目は「水俣病から教わった(2)出会い」。「駅舎を出ると、あやしげなテントと「怨」の字の黒い旗が目に入ったんです。チッソに交渉を求めていた熊本の水俣病患者のグループでした。」 pic.twitter.com/AGBGSNdY6M
2015-05-03 10:15:44新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」三回目は「水俣病から教わった(3)掘り起こし」。「患者のために、と張り切ってたんだけど、出てきたばあちゃんは「水俣の話なんてできるわけない」って言うわけ。こっちはしゅんとなって…」 pic.twitter.com/fqjsBBZsNu
2015-05-03 10:18:52新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」四回目は「水俣病から教わった(4)困難」。「患者さんの中には鉛筆を持ったこともない…ある90歳近いおじいちゃんは震える手で、サケ、マス、アユと、食べていた川魚の名前だけを書いた」 pic.twitter.com/GHqPx1JTe1
2015-05-03 10:21:25新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」五回目は「水俣病から教わった(5)挫折」。「4人の子どもを残して、なぜ死を選んだのか…患者を掘り起こしたいなんて…彼女にとって「水俣病患者」になることは幸せではなかったんです。」 pic.twitter.com/RayjCGhF0e
2015-05-03 10:29:37新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」六回目は「水俣病から教わった(6)阿賀に生きる」。「酒を飲みながら口説いたわけ。熊本は映画をはじめ、水俣病についての文化運動を発信しているのに、新潟ではそんな取り組みがない」 pic.twitter.com/SGdLYJCdzw
2015-05-03 10:31:53新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」七回目は「水俣病から教わった(7)餅屋のじいちゃん」。「「お前は世のため、人のためと言っていろいろやっているけど、まず本業の仕事をしっかりやって、生活をきちんとしろ」ってね。」 pic.twitter.com/KI4ImWtoz5
2015-05-03 10:35:59新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」八回目は「水俣病から教わった(8)それぞれの阿賀展」。「裁判が終わって、患者が日常に戻ってから何ができるか。その時が自分の出番なんじゃないか…患者が暮らす地域の人といい関係を築く」 pic.twitter.com/sLRJXjCnA3
2015-05-03 10:38:30新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」九回目は「水俣病から教わった(9)お地蔵さん」。「もともとツツガムシ病で亡くなった人を供養する「虫地蔵」…その様子を見ていて、患者さんと周囲の人をつなぐために、新しいお地蔵さんが」 pic.twitter.com/r2SIC08aLy
2015-05-03 10:44:21新潟日報夕刊で連載された旗野秀人さんの「人ものがたり」十回目は「水俣病から教わった(10)絵本」。「イラストレーターWAKKUN…うちの自転車に乗ってお地蔵さんが立つ集落にむかう道中で見聞きしたものを、そのまま絵本に」 pic.twitter.com/u9Dx7YhGEh
2015-05-03 10:48:41