- makoJOSIAH
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@miro_pias @leftlateral ノンクリスチャンでも、イエスを信じていないと言いながら自分の気づかない本心ではイエスに希望を置いている人もいるもしれない。そういうの全部ひっくるめて、神さまが決めます。
2015-05-24 09:46:44@miro_pias @leftlateral 神との断絶、罪の束縛、滅びの運命からの救いです。神さまと共に生きるために創造された私たちは、神さまから離れてしまいました。これが定義として罪です。罪αμαρτιαは神さまの意志から離れている状態のことです。
2015-05-24 09:50:37@miro_pias @leftlateral この断絶をイエスさまが埋めてくれた。この道を渡って神さまのもとへ帰るのが救いです。
2015-05-24 09:51:05@miro_pias @leftlateral だから、イエスさまの救いの本質は、この世の苦しみや心の寂しさから救われるというようなものではありません。もちろんそれは副次的なものとしてあります。
2015-05-24 09:57:50@miro_pias @leftlateral イエスさまなしでは、私たちは永遠に神さまと隔絶したまま存在することになる。そうならないよう、神さまと永遠に共に生きれるようになることが救いです。永遠の罪、永遠の死からの救いです。
2015-05-24 09:58:36@miro_pias @leftlateral なぜ罪を犯したアダムとエバを園から追放したのでしょうか。それは命の実を食べて「永遠に神さまから離れた状態、永遠の罪、永遠の死の中で生きる」という絶望的な状態を防ぐためでした。
2015-05-24 10:01:17@miro_pias @leftlateral 永遠的存在が神に背いた例が、サタンですよね、サタンには救いの道が与えられませんでした。
2015-05-24 10:03:31@makoJOSIAH @leftlateral 先程の私の知人の話。 では、創価学会で救われたって人に対しては、あなたはどんな意見ですか?
2015-05-24 10:07:42@miro_pias @leftlateral その救いは意味が違います。この世の苦しみからの救いでしょう?その人の神さまとの関係が回復しているのか、断絶したままなのか、それは僕にはわかりません。神さまだけが知っています。
2015-05-24 10:14:57@makoJOSIAH @leftlateral 勿論、この世の苦しみが優先されるよ。 第一はね。どんな方法であれ、その人が救われたのを目の前で見たら「良かったね」と私ならストレートに言える。でもその人が「創価学会どお?」って言ってきたら「あ、私には必要ないから」と断わる。
2015-05-24 10:28:07@makoJOSIAH @leftlateral それがチョイス。この世の意識が、あの世に連鎖するので、この世で苦しんじゃいけないでしょ?現実、癒されるなら、それが猫でも犬でも、その人が良ければ幸せ。それも好みのチョイスは良くないと思う?あの世の事は、さて置いて。
2015-05-24 10:31:16@miro_pias @leftlateral 僕も全く同じ反応をすると思います。 ただ、僕は神との関係の回復がないなら生に意味はないと思います。
2015-05-24 10:33:05