アート集団OOOOの一人 @NamHyoJun さんの美大時代とそれからに関するつぶやき

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@NamHyoJun

学祭があるから、毎年彫刻科は1年が居酒屋するからその為のお金が必要だし準備手伝えと1年に言われ、挙げ句の果てに「伝統だから」って東京芸大志望の仮面浪人の1年の彫刻科のやつに言われていました。あぁこんなやつらがアートだとか言っているんだと思ったし、吐きそうになっていた。

2010-12-29 15:49:06
@NamHyoJun

学内に自由に使えるアトリエなんて無いし、共同アトリエを使ったとしても隣には東京芸大志望の仮面浪人の連中だらけ。お酒は飲むし、飲んだら片付けないわ、先輩に気に入られているオレは彫刻科で上のほうみたいな感じで、大きい声で話すが、なんの話かがわからんってやつだ。

2010-12-29 15:52:38
@NamHyoJun

そんな連中は展示もしたことはないわ、当然作品なんてものもない。プライスもつけたこともない連中がアートの話もしないし、美大生ってだけだ。ウダウダ言ってないでどっかに売り込んでこいよ!バカと思ってたし、完全に無視だった。話もしない。

2010-12-29 15:54:45
@NamHyoJun

高校から自分の金を使いながら外で活動していて、自分の作品をとりあえず外に出しまくっていたのもあり、大学1年の間にとりあえず活動すんぞって展覧会を15回ほど打ちまくった。お金はほとんど使わずに行えたのが今でもどうやってん?と思うこともあると振り返ると気づくな。

2010-12-29 15:57:52
@NamHyoJun

しかし、そんなに展覧会しても引っかかることがないわけだ。リアルに展覧会をしても引っかからせるやつを呼んで来なければ意味がないと気づき、よっしゃ!ネットするぞ!つて事でmixiやブログなどと色々していた。そこで、0000の緑川雄太郎や谷口創という2人とも出会えたのは本当によかった

2010-12-29 16:01:31
@NamHyoJun

自分は日本生まれの韓国人で北朝鮮の教育をうけたこともあり、コンセプトをナショナリズムなどで闘うんだというのが基本的にあった。だったら北朝鮮か、韓国に行くかとも思っていたが選んだのは中国だった。それが2006年。それは中国現代アートバブル時代の中国に乗り込むことで

2010-12-29 16:09:32
@NamHyoJun

ナショナリズムなどで闘えるかの挑戦のために決めた。だからGoogleで中国アートとかで検索をかけ、誰かいるかと探していた。それで、上海にあるアートマネージメントオフィスにヒットし、速攻でメールしてそこの代表と渋谷であうことにした。

2010-12-29 16:14:40
@NamHyoJun

えらい気に入られたのだが、若いとガッツだったのではないかと今では思う。それで、私はもうすぐ20歳になってしまう、19歳で海外でデビューするのだという野望があったので、上海でやらして欲しいと売り込んだ。すると、速攻でやるぞ!という返事だった。

2010-12-29 16:18:37
@NamHyoJun

上海のコマーシャルギャラリーでデビューが決まり、個展を開催し、いくつかの作品も売れ、ギャラリーからの所属のオファーもあった。よし、いけるぞと!これは上海に住むと決断でもあった。

2010-12-29 16:21:21
@NamHyoJun

同時に大学を辞めることも決断した。大学に、通いながら上海のコマーシャルギャラリーからのどんどんくる話に対応できるはずもない。大学の課題やら単位なんかは、アートシーンからは関係ない。マイペースなんてものはない、グルグル早く回るアートシーンが、アートのスピードであり

2010-12-29 16:25:13
@NamHyoJun

私の主張なんてものは弱すぎる。私がアートのスピードに追いつくのだと気付き、辞めるぞと。これじゃあダメだと。中国はコストとスピードの 国であったが、日本はコストもダメスピードもダメ、中国がスタンダードになると考え、中国のスピードに食いついた。

2010-12-29 16:28:53
@NamHyoJun

大学を辞めるのは簡単だった。あっけなかった。残ったのは奨学金の返済が速攻できたことと、親戚からの変な目くらいだ。

2010-12-29 16:30:39
@NamHyoJun

辞めてからは上海に住み、いきなりくるギャラリーからの450平米くらいのギャラリーで個展してーとか、こんな展示があるから出してーとか、中国人のアーティストが一緒に制作したいとかそんな話ががんがん来た。ちょくちょく作品は売れるが、食えるとかそんなレベルでは無かった。

2010-12-29 16:33:58
@NamHyoJun

これが20歳くらいだった。アートバブルも弾たが、まだまだやるぞって上海で活動した。今では香港や韓国や日本とかで活動も出来ているかま、食えるはずもなかった。周りが言う食うとかが、日本人が想像するような美術館での活動とかインスタレーションとかと接続は遠いのは見えた。

2010-12-29 16:40:49
@NamHyoJun

まぁ、中国てわは物価もアトリエも画材も安くお金はどうにか出来た。これが食っているかはわからん。切実に作品を作り続けた。隣には0000になる前のokkoと一緒に。わたしのマネージャーの仕事も手伝い、年間20くらいの搬入中搬出をしまくった。中には美術館や、アートフェアもやった。

2010-12-29 16:44:06
@NamHyoJun

手伝いにお金なんて発生しないが、お金はちょくちょく売る作品でどうにかした。一日50円くらいで生きる術や、okkoと一部屋に住んでいたしベットも一緒、布団も一緒。いつも2人でどうにかやってきた。しかし、画材はケチらなかった。

2010-12-29 16:47:05
@NamHyoJun

日本円で二万で生きれるのだが、画材に二万使っていたり、まぁ生活なんてどうでも良いから、活動をし続けた。いまみるとバカみたいな作品を作っていたが、どれも誇れるものだった。

2010-12-29 16:50:01
@NamHyoJun

しかし、お金が尽きた。もう無い。死ぬと。異国の中国で死ぬと思ったが、そんな時ほど作品が売れた。あれだけは奇跡的で何故かいつもそうだった。

2010-12-29 16:54:15
@NamHyoJun

奇跡は何度も起こるはずもなく、お金がつきた。それと同寺に自分のナショナリズムというところに違和感をかんじた。単純に中国で中国人という強大な連中に、異国人の日本人かも韓国人かも北朝鮮人かもわからないやつでは勝てなかった。言っちゃうと弱かった。負けたと。

2010-12-29 16:57:53
@NamHyoJun

しかし、日本に帰っても中国からのオファーがくるは、韓国でやろうぜとか、なんだかんだ色々今もある。あの頃アタックできる戦闘値がなくタイミングでは無かったと感じ、今ももう勉強中であるし、実際に日本外ではデカイ話があったりもするが、食うとは全然別のプロモーションである

2010-12-29 17:03:13
@NamHyoJun

基本的にギャラリーでしかお金はうめない。中国では一年を60万で過ごす知恵があったので、それをしても中国でプレイヤーになれない。中国でのプレイヤーは中国人であり、北朝鮮ネタのアーティストではないわけだ。しかし、中国で朝鮮半島から串刺しにする作品というのに可能性はおおいにある

2010-12-29 17:11:25
@NamHyoJun

日本に帰ってきたものの、アートでの友人なんでほとんどいない。しかし、中国にいながらコンタクト取り合っていた谷口創さん、上海にも来るし一緒に企画としたことありは緑川さん、一緒に上海で共にし共に帰国したokkoは頭にずっと残っていたので、SUPER ART PARTYを企画した

2010-12-29 17:17:00
@NamHyoJun

そこでは、昨日ustで話したようなことがあり、アートシーンの話になった。私はアーティストをドロップアウトしたわけでもないが、私が最初に感じた美大問題のようなものや、アーティスト志望問題が日本には膿みのようにあり、日本人がどのようにそれを突破するかが気になった。

2010-12-29 17:23:37
@NamHyoJun

しかし、周りを見ると口だけで何も動かないやつ、美大でふざけているやつ、何もやらないやつ、危機感もないやつ、そんな連中だらけだった。しかし創さん、緑川さん、okkoの3人は違った。ここは問題だらけだ!突破するぞ!と0000を結成することになる。

2010-12-29 17:28:03
@NamHyoJun

ここで、私自身の個人の活動にズレがあると散々言われ、片手間のように0000をやるアーティストをやるだの、集中していないだの言われ、今も感じられているかも知れない。しかし、中国で朝鮮半島ネタのアーティストがポジションを勝ち取る事、日本のアートシーンを作る事に差はないとおもう。

2010-12-29 17:34:25