教育から「培育」へ・・・「教える」ことから「気づき」の触媒へ

「教える」という行為はさほど学力向上に寄与しない。クララの祖母がハイジにしたように、学ぶことの楽しさに気づかせ、意欲を高める工夫にこそ力を入れるべき。目指すは「クララのおばあさん」増殖。
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shinshinohara @ShinShinohara

教育という言葉はひどく出来が悪い。「教育は重要」と言えば、教えることがとても重要なように誤解しやすい。しかし「教える」ことはある程度分かりやすければそれで十分。しかし子どもの学力向上には大して寄与しない。教える以上に重要なことがある。「気づき」を与えることだ。

2015-08-25 21:19:37
shinshinohara @ShinShinohara

「アルプスの少女」ハイジはクララのもとに来た当初、低能扱いされていた。クララと一緒に家庭教師までつけられていたのにABCすら覚えられず、奇行ばかりを繰り返す。家政婦のロッテンマイヤは完全に見放していた。

2015-08-25 20:15:08
shinshinohara @ShinShinohara

そこにクララの祖母が来る。ハイジは決して愚かな子ではなく、素直な心の持ち主であることを見抜いたその老婦人は、ハイジの気持ちに寄り添い、話を聞き、その上で色々な楽しい話を聞かせた。ハイジは文字を覚えることに何の魅力も感じていなかったが、学ぶ動機、きっかけをつかんだ。

2015-08-25 20:30:58
shinshinohara @ShinShinohara

アルプスに住むペーターのおばあさんは目が見えず、本を読むことができない。ペーターは勉強嫌いでちっとも読んあげない。おばあさんに本を読んで聞かせることができたら、どんなにおばあさんが喜ぶだろう。おばあさんに柔らかく白いパンをあげて喜んでもらう計画と一緒に、ハイジの学ぶ動機になった。

2015-08-25 20:34:45
shinshinohara @ShinShinohara

ハイジのこの話は「学ぶ」ことに重要なヒントを与えてくれる。いくら丁寧に家庭教師が教えようとしてもちっとも身に入らなかったハイジが、クララの祖母の言葉をきっかけに猛然と勉強し、瞬く間に文字をマスターし、本を読めるようになった。本を読めるようになりたい。その動機が見つかったからだ。

2015-08-25 20:37:36
shinshinohara @ShinShinohara

私自身、ハイジと似た経験をしている。公立中学で「行ける高校がなくはないけれど」の成績をウロウロしていた私は、授業を聞いても身に入らず、予習復習など手掛けるはずもなかった。しかし学ぶ動機、楽しみを発見したとたん、授業を聞くようになり、少しは勉強するようになり、成績が伸びた。

2015-08-25 20:44:42
shinshinohara @ShinShinohara

学校の教師の教え方が向上したわけではない。よくも悪くもごく普通の公立中学の授業。しかし私に動機が発生したとたん、学ぶ楽しみが生まれたとたん、学びの姿勢が変わり、学ぶから頭に入り、成績が伸びた。動機、気付きが非常に重要なのだ。

2015-08-25 20:46:40
shinshinohara @ShinShinohara

私が学生や子どもを指導する際も、学ぶ楽しさを思い出すこと、見つけ出すことを念頭に置いている。私が命令したから勉強した(フリをした)という受動的態度では、学力や能力の発達はおぼつかない。子どもや学生が自分自身の力で動き出す能動性が発生するまで待たなければならない。

2015-08-25 20:55:22
shinshinohara @ShinShinohara

「待つ」というのは実にじれったい。しかしどんな子どもも学生も学ぶ意欲を必ず潜在的にもつ。赤ん坊の頃、命令されずとも言葉を覚え、強いられずとも歩こうとした、強烈な学習意欲。学ぶことの強烈なよろこび。どんな子どもにも、こうした強烈な学ぶことへの意欲とよろこびが潜在する。

2015-08-25 20:58:48
shinshinohara @ShinShinohara

いわゆる授業が面白くない、つまらないというのは深刻。本来楽しいはずの学びがつまらなく下らない苦行に成り下がってしまう。教えるという行為がしばしば、学ぶ意欲、喜びを削ぐ要因となってしまう。「教育」という言葉の出来が悪い、とするゆえんである。

2015-08-25 21:01:25
shinshinohara @ShinShinohara

親や教師など、子どもの発達に携わる人たちは、「教える」ことにあまりこだわらず、子ども自身が学ぼうとする意欲、楽しさを邪魔しないように心がけた方がよい。教えようとするより、メンターあるいはコーチング指導者のように、学びの手助けをするくらいの意識に変えた方がよい。

2015-08-25 21:06:57
shinshinohara @ShinShinohara

クララの祖母は、この点をよく心得ていた。クララの祖母はハイジに教えようとしたことは一度もない。一緒の時間を過ごし、ハイジに学ぶ楽しさを気づかせ、意欲を高めたにすぎない。しかしそれこそがハイジの学習意欲を高め、学力を高めたのだ。

2015-08-25 21:09:24
shinshinohara @ShinShinohara

クララの祖母がハイジに施したのを「教育」と呼ぶのはためらわれる。「教える」という意味合いの濃いこの言葉は似つかわしくない。子どもが学ぶ「媒(なかだち)」をする「媒育」、あるいは「培育」とでも呼びたい。その意識をもっと強く持てば、日本の教育はもっと変わるだろう。

2015-08-25 21:13:29
shinshinohara @ShinShinohara

クララの祖母が寄り添ったことでハイジの心が解きほぐされたように、本の少し手助けするだけで救われる子供もいる。そうした子どもが一人でも増やせる社会であってほしい。

2015-08-26 22:38:21
shinshinohara @ShinShinohara

子どもの意欲、動機を与えることに専念するメンターのような存在があると、救われる子供も多かろう。昨今は保健室が子どもの駆け込み寺となっている。家の悩み、いじめの悩みを保健室の先生に相談することも多い。

2015-08-26 22:38:09