今の人口は約150人。うちの6割が65歳以上の年寄りで、猫のほうがよっぽど多い(300匹とか言ってた)。島民にはアスクルが大人気。最近ではイノシシの駆除に躍起になっている、とガイドの人は言っていた。 pic.twitter.com/3JeUuw0YsC
2015-08-29 22:31:08池島炭鉱ガイドには、いくつかコースがある。僕らはSコースという最上級のコースを選んだ。これは炭鉱に入ったり、廃墟となったアパートに入れたりするコース。最初に、「研修施設」で池島と炭鉱の歴史ビデオを見せてもらう。 pic.twitter.com/AW78j9bJMT
2015-08-29 22:33:42「研修施設」とは、閉山した後、炭鉱産業についてのノウハウを外国人に教えていた時代が少しあったらしく、ツアーのガイドをしてくれた人はそこで指導員をしていた人だ。早口で訛りもきつかったのでたまに聞き取りづらい部分もあったけど、面白い気立てのいいじーちゃんだった。
2015-08-29 22:36:39800円で食べられるという弁当をお布施代わりに購入し、それを昼食にする。その後、本格的にツアー開始。いきなりトロッコに乗せられて、記念撮影だけだと思っていたら、突然走り出して「まさか」と思っているうちに、炭鉱の中へ。 pic.twitter.com/0SC2tubE4J
2015-08-29 22:39:56洞窟の中に入った瞬間、ひんやりした湿った空気が肌を撫でる。上からポタポタと水は滴り、僕らを含めた5名のツアー客は思わず声をあげた。このまま洞窟を抜けるのかと思ったら、トロッコは途中で止まり、今度は降りて探検させてくれるという。 pic.twitter.com/HnCJAmLnlv
2015-08-29 22:43:33足元はぬかるみ、決して歩きやすいとは言えない。脇には重機やベルトコンベア、ケーブルの類が多く走っていて、当時の雰囲気がそのまま伝わってくる。 pic.twitter.com/ODE25yHzD6
2015-08-29 22:45:30削岩機に触らせてくれたり、粉塵が舞うのを防ぐ為の放水スイッチ、電気の点灯などもさせてくれる。少人数のツアーだからこそだ。重機作動もさせてくれたのにゃさすがに驚いたが…。 pic.twitter.com/LNTZShDkGJ
2015-08-29 22:51:02「もうそろそろ引き返すかな?」と思っても全然終わらない。どんどん奥に進む。ここは、非難場所。緊急食料や一酸化炭素の中和薬剤などを置いておく部屋だ。 pic.twitter.com/wNBMELS64A
2015-08-29 22:54:11重機や備品には日本語のほかに英語、インドネシア語などのカードが張ってあり、様々な人種の人がいたことを連想させる。2枚目の写真、奥の光は地上への出口である。 pic.twitter.com/PCIMpgNLqG
2015-08-29 22:57:011時間ほどの炭鉱洞ツアーを終えて外へ。その後、炭鉱夫やその家族たちの生活に触れるツアーが始まる。一路バス(といってもワゴン)で山の上へ。ここでツアーガイドは現地の人に交代。このおっちゃんが、また面白いし、話が上手だった。 pic.twitter.com/Bdv6vhoGrM
2015-08-29 22:59:39山の上は居住区だったようだ。いきなり現れた廃アパートに僕らのテンションは再び最高潮。そうだ、これだ、こういうのもほしかったんだ。3枚目の写真は、島に2軒あったパチンコ屋のうちの1軒。とてもそうは見えない。 pic.twitter.com/WClax66awT
2015-08-29 23:03:30と、居住区見学の前に、まずは縦坑を見学させてもらう。縦坑とは、垂直に掘り下げられた坑道だ。これで地下700mまで下るらしい。縦坑は島に2つ。写真は第一縦坑と呼ばれていたもので、3基が30人を乗せ、釣瓶式に人を地下へと運ぶ。 pic.twitter.com/RRUSzmSt84
2015-08-29 23:07:39※正しくは「立坑」です
海底坑道は長いものでは島から10km以上も伸びている。また、採掘した「石炭」と「ぼた石(燃料にならない石)」を運ぶベルトコンベアが島中に走っている。 pic.twitter.com/hOo4dTSkKx
2015-08-29 23:10:58次に見せてもらったのは、「高速人車」。これで炭鉱夫たちを運んだらしい。時速50kmの高速で移動した、と説明されることが多いが、実際は最高時速が50kmなだけで、実際はもっと低速で運行していた、との裏話がある。 pic.twitter.com/5SZBsAjAnd
2015-08-29 23:14:201996年に導入されたものだけあって、比較的新しい。だが、当時の操縦において「タッチパネル」の採用は画期的だった。 pic.twitter.com/icseUeuKZa
2015-08-29 23:16:55地下へと下っていく坑道。ずっと下っていった先は、最初に案内された山の下の坑道に繋がっている。 pic.twitter.com/UlY8HfZQp6
2015-08-29 23:22:45掘り出した石は、このトロッコで外に出す。底が抜けてバサっと石を落とす映像を、最初の研修室で見た。 pic.twitter.com/e3JdS3Okee
2015-08-29 23:20:00そしていよいよ居住区。一般の住民は皆、共同の風呂を使っていたらしい。家賃は一ヶ月6000円だったとか。ひび割れたコンクリートの隙間に蔦が入り、劣化が激しい建物は数年で3枚目の写真のようになってしまうらしい。 pic.twitter.com/Cle00w2VBE
2015-08-29 23:25:13※1ヶ月6000円なのは確か現在も島内にある市営アパートの値段だったはず。
居住区の中も見学させてもらえた。3交代制で24時間、掘り続ける炭鉱夫が日中も眠れるように、3枚目の写真のような札を下げ、子供たちに配慮を促した。 pic.twitter.com/cMxfHzmTdS
2015-08-29 23:26:58人が住まなくなって比較的久しいためか、生活感がまだ残る。ただ、中には演出のために後から置かれたようなものもあった。台所の、直前まで人がいたような雰囲気は、少し怖い。 pic.twitter.com/eolW7daAQs
2015-08-29 23:29:43最後の炭鉱というだけあって、島から出た人たちはまだまだ元気で、幼少時代をすごした人が、たまに島に遊びに来るという。けど、まるで廃墟となった有様にショックを受ける人も少なくないらしい。 pic.twitter.com/GzCnPQbGD9
2015-08-29 23:33:138階立ての居住棟。ガイドさんいわく、剥がれ落ちたはずのコンクリートは足元に落ちているはずなのに、ここにはそれがないらしい。風で飛ばされた、との見解に落ち着いたが、どうにも納得できない、不思議だ、とのこと。 pic.twitter.com/xyxgkTouHh
2015-08-29 23:36:49