伝説のセメントマッチから30年。今振り返る佐山聡と前田日明の関係~(ふるきち氏 fullkichi)
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(続)準決勝突破と高いハードルを乗り越えて決勝でヒクソンと当たり、こちらは寝技で堂々と渡り合ったすえ結果はやはりチョークで完敗。しかし71キロという小兵での敢闘ぶりは今日でも感動的な伝説として語り伝えられるものとなりました。直接対決で事実上前田の勝利に終わった第一次佐山・前田(続
2015-09-02 06:21:08(続)戦争に比して、弟子同士の間接対決である第二次佐山・前田戦争は佐山の勝利に決したと言っていいかと思います(もっとも中井にはもともと七帝柔道のベースがあったので、これをもって佐山が指導者として上と言い切るのもどうかとも・苦笑。前田の弟子がガチンコで結果を出すのは翌年・続)
2015-09-02 06:21:35続・トーナメントオブJでイーゲン井上を破った高阪剛を待つことになります・・・これも中井と同じく柔道で実績を持った選手であったのが何とも皮肉・^^;)。さて第二次佐山・前田戦争の後もしばらく二人の冷戦は続きます。その間に佐山は自ら作った修斗を離れ、初代タイガーとしてプロレス(続)
2015-09-02 06:22:05(続)再デビューしたりしてるので、前田にとってその姿勢はやや首をかしげるものであったのではと思うのですが、これについて前田は特に目立ったコメントはしていません。そして佐山は猪木率いる新団体UFОに参加し、小川直也に格闘系プロレスラーとしての教育を施したりしています。そこで(続)
2015-09-02 06:22:41(続)面白いのが、ある時期から前田の標的が佐山から猪木&小川に移っているのです。99年1・4のあの小川対橋本の一戦の後、UFОとリングスの対決が浮上し小川対山本(これまた何でヤマヨシと思ったものですが・・・^^;)の対戦が半ば内定したものの、土壇場で小川が右手負傷を理由に(続)
2015-09-02 06:23:05(続)回避、これに前田が「猪木さんはやはり信用できない」と激怒していたりします。さて、なぜ前田は標的を猪木&小川に移していたのか?ここから大胆な推論なのですが(笑)前田は前述の99年1・4小川対橋本を、恩師山本小鉄の作った世界を壊したものとして不快に思っていたのではないか?(続)
2015-09-02 06:23:41(続)それはセメントまがいに対応できない橋本が不甲斐ないには違いない。しかし橋本もまた山本小鉄が手塩にかけて育てた弟子であり、前田にしてみれば間接的後輩なのであって(92年に放映されたテレ朝系の格闘技特番で、橋本の「いつか前田さんと対戦したい」とのトンパチ発言に前田は笑顔を・続
2015-09-02 06:24:03続・見せていたと記憶しています)、その橋本に代表される「小鉄さんが作った世界」を猪木自らが破壊するとは何ごとか、という思いが前田にはあったろうと思うのですね。そしてその思いは実は佐山と共通するものであったのでは。佐山もまた実際、小川対橋本の四カ月後にUFО離脱しているのです。(続
2015-09-02 06:24:33(続)佐山は小川を指導してきた者として「1・4事変」の仕掛人ではあった。しかし小鉄さんが作り上げた新日本の世界を壊してしまったことについてはやはり忸怩たるものがあったのではとも思うのです。表面上は「団体の方針への食い違い」であり、彼がそのあと創始した掣圏真陰流がらみの問題でも(続
2015-09-02 06:25:04(続)あったろう。しかし彼の格闘技への傾倒のきっかけとなったマーク・コステロ戦でセコンドについてくれた小鉄さんへの思いもまた、佐山の中にはあったろうと思うのですね。そういう共通の思いを持ちながら、しかし、彼らが対談という形で一部ながら雪解けを迎えるのはなんとその7年後(続)
2015-09-02 06:25:44(続)佐山が参院選落選(ありましたねw)&リアルジャパンプロレスリング設立を経、前田がリングス休止&HEROS参加&ビッグマウスラウド設立及び脱退(ありましたねえww)を経た2006年のことであります。kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2006/04… 週刊文春で故・真樹日佐夫氏(続)
2015-09-02 06:26:34(続)仲介のすえ成り立った対談でしたが、二人の表情はまだまだ硬い(苦笑)。前田は佐山を詰問するような場面もありましたが、一方で修斗を離脱した際の佐山を擁護するような発言をして佐山が感謝する場面も見られたりします。この硬軟両面が見られた対談の2年後、二人は「藤原祭り2008」(続)
2015-09-02 06:27:04(続)のリング上で再会、何と前田が佐山に花束を渡す場面が見られたりしています。kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2008/12… この2年の間に何があったのか? 言わずと知れた共通の恩師カール・ゴッチの死去・・・。佐山は80年に、前田は83年の帰国直前にそれぞれゴッチ宅を訪れ(続)
2015-09-02 06:27:40(続)指導を仰いでいます。共通の偉大なる師の逝去は、二人に今までの来し方を振り返り内省の機会を与えたのでしょうか。前田に至っては、もう一人の師・山本小鉄とともに共著をも出したりしています。amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9… その出版の直前には新日本のイベントで(続)
2015-09-02 06:28:08(続)こんな微笑ましい場面も見られたりしました(笑)。youtube.com/watch?v=M6umKN… しかしそんな蜜月の時間も短かった。その翌年には小鉄さんも逝去…。そして告別式に駆け付けた弔問客の筆頭に、この二人の名前が。kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/cat2227… (続)
2015-09-02 06:28:41(続)「前田日明 佐山聡」・・・・・・そしてその2年後、藤波辰爾のデビュー40周年大会のリング上で佐山・前田が並んで祝う姿が。battle-news.com/battle/2012/04… 「前田と佐山タイガーが肩を組みながら」「前田も佐山タイガーと共に拳を突き上げた」・・・ここまで来るのに(続)
2015-09-02 06:29:19(続)27年を要した。佐山と前田が出会ってから決裂までが8年、その修復に27年の歳月を要したのです。そしてその間にはゴッチ&小鉄さんという共通の師匠の退場が・・・今、二人がお互いに言及することも少なくなりました。しかしいつか二人が対談において共通の師匠たちを振り返り感謝する(続)
2015-09-02 06:29:58(続)そんな機会があってもいいと思うのです。それでこそすべての因縁が過去のものとなるのでは。そんな淡い期待を、二人の決裂から30年を経たこの日に書き留めておきたいと思います。長文にして駄文、まことに失礼いたしました。ではではまた。(この項了)
2015-09-02 06:30:18本日のツイートブログアップ「開戦から30年を経た佐山・前田戦争、その終結を導いた二人の偉大なる師の喪失について」。皆さまご笑覧くださいませ。d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/… ちなみにブログ版にはおまけに「佐山対マーク・コステロ(山本小鉄セコンド)」付いてます(^^)。
2015-09-02 06:35:07