平倉圭×細馬宏通×畠山宗明「『映画的』であるとはどのようなことか?——見世物から『マッドマックス』へ」 #ゲンロン150918

「映画的」であるとはどのようなことか? | ゲンロンカフェ http://genron-cafe.jp/event/20150918/ 現代の映像環境は、かつて予想していたものとは少し異なった方向に進んでいる。1970年代から80年代の情報化が進行した時期に、情報テクノロジーは現実のリアリティを凌駕し、身体から自由になった情報空間を形成すると考えられた。しかし、デジタルメディアの時代になって、人はむしろ、かつてよりさらに身体に拘束されるようになっている。そのような情報化に伴う映像の変容を考えるにあたっては、媒体そのものよりも、イメージが観客に及ぼす作用から考える必要があるだろう。 続きを読む
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佐藤正尚 (Dion Masanao Sato) @penguinmeditate

#ゲンロン150918 なんか平倉さんのマッドマックス評価を向上させる会になってきている。細馬さんが「イモーたんって感じ」と。

2015-09-18 21:53:24
佐藤正尚 (Dion Masanao Sato) @penguinmeditate

#ゲンロン150918 細馬:アトラクションは興行主がいて自分が何を見せているか知っている。youtubeの映像をリンクしている人は何を見せて何を見ているか理解できていない。剽窃が問題になっているが、それもコピーしている人が何を見せようとしているか見ていない。

2015-09-18 21:57:03
ゲンロンカフェ @genroncafe

アフターです!→【生放送】平倉圭×細馬宏通×畠山宗明「『映画的』であるとはどのようなことか?」nico.ms/lv232962549 #ゲンロン150918 pic.twitter.com/u1Mg6D5zdS

2015-09-18 22:32:13
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ゲンロンカフェ @genroncafe

アフター盛り上がっています!東、上田も参加で賑やか。→【生放送】平倉圭×細馬宏通×畠山宗明「『映画的』であるとはどのようなことか?」nico.ms/lv232962549 #ゲンロン150918 pic.twitter.com/WOA1YcV3wl

2015-09-18 22:52:53
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大橋可也&ダンサーズ @DancersOffice

大橋可也&ダンサーズは『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』≒『テンペスト』説を唱えていきます。(詳細はこれからぼちぼちつぶやきます) #現代的テンペスト

2015-09-21 11:28:11
とら @aIA66mB5z2Bd4PP

ゲンロンカフェ 平倉×細馬×畠山 『マッドマックス』は写実的/人間的、『ゼログラヴィティ』は絵画的/幽霊的であることによって作品にアニマ(魂)を込めると。しかし注目すべきはむしろ、前者の非人間性(モノとしての人間)や、後者の人間性(ブレスシンク)などにあるのだろう。

2015-09-22 21:19:25
とら @aIA66mB5z2Bd4PP

ゲンロンカフェ 平倉×細馬×畠山 フライシャー兄弟の『インク壺から』では、生身の人間(実写)と人間のコピー(ロトスコープ)と幽霊が共存すると。技術が発達した今日における「映画的」とは、初期映画よりさらに多様な「身体」を導入することで、常に形を変化させ続けているようなものだと思った

2015-09-22 21:30:25
宗像芳明 @luxury_munekata

大橋可也さんのがマッドマックスに言及しててとても楽しい! 先日の 平倉さん細馬さんの時、 隣にいらしたので、作品に反映されるのかもと思うと、チョー待ち遠しい!

2015-09-23 00:33:52