空想の街・ハンツピィ'15 二日目 #赤風車
華二輪と光さす水
宴の本番は今日の夕べだ。いよいよ浮足立って仕方ない街がうごめき、ひとつのいきもののように快哉をあげようという中、建造物の隙間からちろりと零れる光を浴びて、街の通りを音もたてず進んでいく者があった。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 02:59:09生地がしっかりした黄土色のズボンに、黒いサスペンダー、そして男物の白いシャツで身を固め、髪で流線を描きながら、その人間は視線を僅かに下げ道を造る煉瓦を見ながら進む。小さな靴に収まった足が止まったのは、ペチカ橋と書かれた場所であった。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 02:59:24目前には、ブラウスに黒の又の字タイをしめた妙齢の女性と、甘い茶色のスーツ姿の男性がいる。立派な造りの橋の上に、己を待つ二人組の姿を認めてとまった人間へと、煙草交じりの挨拶が染みこんだ。 「やっと来たか。我が愛しい妹よ」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 02:59:45何も返答はない。声をかけられた側は小さめの重箱が包まれた風呂敷を、片手で握りしめているだけであった。それに対して、先ほど呼びかけたモップカットヘアの女――皆代実華は業を煮やしたように眉根を寄せる。その隣にいた男が見かねて口をはさんだ。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:00:11「あの、徒華さ――義妹さん、お早う。ごめんね、こんなに急に呼びつけちゃって」 もうすっかり人間の姿になっている夫にそう諫められ、同じく元の姿である実華の渋面は心なしか緩んだが、それでも煙は途絶えない。「洸太郎、お前少しこいつに甘すぎるんじゃないか」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:00:32洸太郎と呼ばれた男は、落ち着いた雰囲気とは裏腹の童顔を横に振った。仕方ないなあ、とぼやく彼の横で、手すりに凭れていた実華が、妹である徒華へとまた話しかける。「おい、黙ってちゃ進まんだろう。無事に着いたのはよかったがな、」 「姉さん」そこで急に徒華が遮った。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:01:04面食らった様子など微塵も見せず、実華は先を促す。一度強まった風に長い黒髪を攫わせながら徒華が続けた。「この街に来ること自体は私は別に厭じゃない、この街は何度だって来たい場所だから――でも、あの報せの内容は一体、何がどういうことなんだ」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:01:48「何も蟹もないぞ。書いたままだ。この街はすごいな、一晩であんな遠くの故郷まで手紙が着く」 「姉さん」話をするのが苦手な徒華がいつになく必死に姉を止める。いつもならば、気弱な徒華は、強い姉の発言には絶対に口を挟むような真似はしないのだ。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:02:17「姉さん、こっちは真面目なんだよ。無論姉さんだっていつも真面目なのは知ってるけれど、そうじゃない、今は、――今は外に出ている場合じゃないだろう。それに手紙の……」徒華は一度、言い辛そうに重く長いだけの睫毛を伏せる。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:02:42「どうした。何が不満だ」 一切動じない姉へ、徒華は言い募る。「不満ってそれは、卒業したとき言ったろう、私は――私は結婚なんてできない。貰い手なんて今更つくはずもない、もう私は二十三なんだ。そもそも私は、」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:03:21そこへ実華の声が突き刺さる。「私は女が好きだから――、か?」 詰まった徒華など気にせず、実華は洸太郎の持つ灰皿を断りなく奪い取って続けた。「女好きの女というのも大変だなァ、年がら年中暗い顔をしおって。んなもんやめてしまえ。医者でも探すか」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:03:53この街に来るまでもずっと重苦しい面差しだった徒華の表情がみるみる歪む。滅多に彼女の見せないある感情の色をかんばせに載せ、姉によく似て形のよい口が割れた。 「ひとを病人かきちがいみたいに――いつも姉さんはそうだ。そんなんじゃないって何度言えばわかるんだ」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:04:31「わかりたくともさっぱりだ!」妹に負けず劣らず憎々しげな表情を浮かべ、実華が打ち返した。それが混り気のない澄んだ本心であるということに徒華は気づけず、そんな猶予も与えず実華が言葉を撃ち続ける。「相手は癸だ。馴染みの従業員なら気安いだろう、歳も近いし丁度いい」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:05:00姉の決めつけるような物言いに徒華は項垂れる。 ――この街に入れ違うように来ること、そして結婚の件、それが真夜中徒華に届いた姉からの文書の内容だった。結婚相手の身分などは取るに足らないというのが信条の実華らしい提案だ。併し、徒華にとって問題はそこではないのだ。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:05:28「姉さん、私は確かに、女性にしか恋心を抱けないよ、でも女好き女好きって、そういうわけじゃない。そういう言い方を誰かがするから永遠に誤解が消えないんだ。それに、癸は、癸は」勢い込んで話し出したのにも関わらず、徒華はそこでしおしおとなる。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:05:55鋭い眼光で妹を見据える実華と、その視線も分からず俯く徒華を、洸太郎は見比べるばかりだ。姉妹が言い合いをするのはしょっちゅうのことだが、ここまで深刻になるのは珍しい。併しそれもそうだろう、絶対にしないしできないと徒華が宣言した領域へ、実華は踏み込んだのである。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:06:24しあわせの材料
「姉さんは何か勘違いしてないか」ようよう徒華は続ける。「しあわせはひとそれぞれの筈だ。姉さんにとって結婚はしあわせの絶対条件なのか? こどもがいれば絶対にしあわせになれるのか。それは確かに家庭や仕事が安定して健康なら平和だろう、でもそれが全てじゃないだろう」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:06:41幸福を構造するものについて考え込む徒華へ、実華は紫煙を向けた。「最もだな。それを踏まえた上での提案だ。お前、癸となら仲も悪くないだろうが。あいつは私の代から入れたばかりの新人だが相当頼りになるし、いいとは思わんか――、あの一文字とかいう輩と一緒になるよりは」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:07:13「はあ?」姉の発言に徒華は仰天する。常の憂いだらけの顔は呆れかえり、更に困惑まみれになった。まさかここでその名を聞くとは――とんでもないことを言い出す姉だが、本当に想像のつかないことをしてくれる。言うに事欠き一文字が自分の夫候補に入っていたとは。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:07:42ちょっと待ってくれ、と包みを持った白魚の手を姉に向け、徒華はもう片手で重みのある前髪を掴んだ。混乱してしまって整理がつかない。 待てを聞かない姉は手ずから灰を落とし話し出す。「だァから安心しろ、彼奴なら私が直に見てきたとも。ありゃお前とは駄目だ。だから癸だ」 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:08:18物も言えない徒華は只管首を横に振るのみだ。「駄目ってそんな――癸とか一文字とか――どっちならいいとかそうじゃなく――」意味を成さない言葉しか口端には上らず、実華がそれを見ている。 爽やかに煌めく川の光が、姉妹の黒髪の表面で跳ねていた。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:09:01十数分ほど、実華は妹が落ち着くのを待った。 姉が大人しく自分を待っていることは一年に一回あるかないかの珍事なのだが、肝心の徒華にそれは伝わらない。 呼吸もままならない徒華の様子をついに見かね、洸太郎が柔らかな髪を遊ばせて頭を動かした。 #赤風車 #空想の街
2015-10-25 03:09:37「あの、義妹さん、今すぐ決めなくてもいいんだよ。癸くんもまだ知らないし」どうしても余所余所しい呼び方になるのだが、こちらでないと徒華の白い顔は曇りに曇るため、洸太郎はそう呼んだ。 徒華はまだ当惑している。「義兄さん――別に庇ってくれなくても、私は」 #赤風車 #空想の街
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