「a ri A Ru records Vol.Zero」舞踊家・俳優 金野泰史のレコード 時間順
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海外に行く 私には日本人という代名詞が付けられる 国家に於いての日本国民であることに嫌気がさす 文化圏としての日本人としては誇りが持てるのだが… ふ〜 子供達に、せめて文化圏としての日本人として誇りが持てるようにはしたいものだ。
2015-11-23 20:40:11再度、11/29(日) a ri A Ru records Vol.Zero "memory"&"record"ということで、テーマは「記憶」と「記録」である。 このアカウントはそれに於いてのツイートである。bit.ly/1Nn6Ue7
2015-11-23 21:46:41「記憶」「記録」というテーマからひとつ「名」「姓名」というもので、落とし込むことは決定した次第。
2015-11-23 22:31:07「残す」ことについて、再度注意深く考察。 狩猟採集生活者は残さない。 農耕が始まって「保存」が発生。 「保存」から格差が発生…権力、支配… と考えてみる。
2015-11-23 22:51:20「残す」という行為から結果、そして欲求、欲望 「不老不死」…権力者の欲望の最たるもの 「保存」という概念または行為から発生した文明社会 そして、この現代
2015-11-23 23:17:08「保存」の幻想… 「冷凍保存」…これは生躰研究家としても、大きな問題である。 生命を冷凍保存出来るという考えが現代の生命観に大きく影響している。 これは多分に「不老不死」を望んだ権力者の力による研究から成されたものと思われる。 (これは私的な推論である)
2015-11-23 23:17:57私がどこかで「残す」ことに抵抗感を持っているのは、この「残す」=「保存」という結びつけ方をしているところから派生していると自身を分析する。 「保存」というものが、現代の生命観を狂わせ、この様な社会を築き上げたのではないか?と漠然と考えているということだ。
2015-11-23 23:23:29言葉の文語と口語 朧げだが、釈迦は自身の言葉を文語で残さない様にしていたが(口語でも残さない様に言ったかは忘れた)、側近の弟子が勝手に残してしまったという、話を思い出す。 仏教徒なら、この話は知っていると思うが、有名な般若心経は文脈的に破綻しているという話。
2015-11-24 05:57:21言葉→言の葉→ことのは→おとのは→音の波 (引用) ヨハネによる福音書/ 1章 1-3節 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
2015-11-24 06:10:40言葉→形あるもの→静 音波→形ないもの→動 言葉 ⇄ 音波 静の中に動を感じ 動の中に静を感じる 注: 静は決して止まってはいない
2015-11-24 06:19:56ゆっくりははやい はやいはゆっくり テンポ、リズム、ビート 打つ 刻む 刻む→切る→繋がる セツゾク→切続→接続 セツ→節→フシ
2015-11-24 06:29:01アイコンとしての「名」 少しでもこの地球に、世界に、あまねく生命が溌剌と生きるための方向を示すことができたらと自分自身を含め思っている。 そのアイコンとしての「名」を記憶に刻めればいい。
2015-11-24 20:20:01それは、「名」という概念がこれから先も人間の世界に残っているならの話だ。 その時「名」はアイコンとして機能してくれるだろうと思うから。
2015-11-24 20:21:22私が「残す」ということならば、それはやはり「私」に属さないものでしかない。 個を超え、個にも含まれる、「叡智」への道程 その「叡智」が何であるのかは、まだ私は知る由も無いのだが…予感はしている。 だからこうしてやっている。 だからこうしてやっていられる。 感謝
2015-11-24 20:39:11自分の名前が、とても客観的な感覚なのは、誰もが同じなのだろうか? 名前について、過去に考えた記憶がある。 何処にそのメモのようなものが残っているかは分からない… 確か名前を「呼ぶ」ということがひとつのテーマだった
2015-11-24 21:24:32私は私の名を呼ばれたことがあるだろうか? 私は誰かの名を呼べたことがあるだろうか? 呼びかける その人が確かに振り向くように その人がその名前であることに驚く程に そんなニュアンスのことを考えていたことを思い出す。
2015-11-24 21:35:28宮大工の西岡常一棟梁のことを想う。 私の想像を超える感覚世界で、木や建物という生き物と会話し、付き合っていた方だ。 棟梁が引き継いで残して来た代表的な法隆寺は、モノでなく、生き物なんだと思う。 残すのではなく 生かし 活かし 続ける それが「残す」ということ。
2015-11-25 12:41:57@kinimanabebot: 「鉄骨をいれることを えらい反対したんですけども おまえは 法隆寺の鬼じゃと言われて」 法隆寺宮大工 西岡常一棟梁 鉄骨入れたら、死んでいってしまうんだろうと思う。 「残す」ことが生かすことだから、法隆寺が残らなくなってしまうと…
2015-11-25 13:16:39「法隆寺」という名前は残ったとしても、それがただの物体になったら、残ってないのと同じこと。 棟梁は「法隆寺」という生き物を生かし続けることの重要さを誰よりも分かっていたんだと思う。 「残す」とは、時に風化し、朽ち果てるのではなく、時とともに息づき続けること。
2015-11-25 13:23:10分かりやすく便宜的に区別し言うなら、時のチカラに抗って、保存出来るようにアプローチした西欧。 時のチカラと共に、生き、息続けるようにアプローチした東洋、または日本文化。 と言えるのではないだろうか? 諸行無常に抗わずに即し、共に歩む道を選択した、日本文化の伝統のかつて…
2015-11-25 13:31:34【a ri A Ru records】 Music "Air from Bottomlessness" by Kohsei x Bo-z EXP youtu.be/Ea4QLQuhQA4 @YouTubeさんから
2015-11-25 23:23:58⇔生命 ⇔(地球内生物) ⇔動物 ⇔人間 (黄色人種)(日本人) ⇔私 私から生命へ 生命から私へ 行ったり来たり 行きつ戻りつ 生きつ戻りつ
2015-11-27 01:04:29