- JunNakagawaWork
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ソフトウェアハウスのプログラマたちが、SQLを使って構造的プログラミングをやって奇っ怪なプログラムを作成している事態を、私は、多々、観てきたのですが、同様に、オブジェクト指向と言いながら、構造的プログラミングに似た やりかた をしているのを、多々、観ます(苦笑)。
2015-11-18 22:19:32もし、ひとりのシステム・エンジニアが、いくつかの事例を材料にして、それらの事例の最大公約数(あるいは、最小公倍数でもいいのですが)としてモデル(雛形)を作ったとすれば、あいかわらず、個人の力量に頼った恣意性を免れている訳ではないでしょうね。
2015-11-18 22:24:16「パターン(アナパタ・デザパタ)」を参照項としてのみ使うなら、それなりに役立つのですが、それを、そのまま、現実の世界に適用することに対して、私は極めて生理的な嫌悪感を覚えます。生理的な嫌悪感というのは、理屈抜きで鳥肌がたつということです。
2015-11-18 22:27:42形式的構造は、「真」とされる・幾つかの選ばれた前提のうえで充足状態にあるという当然のことをわかっていれば、それで良い。しかし、この当然のことを忘れて、「真」とされる前提を無視して、「構造」のみを鵜呑みにしたパターン症候群が、最近、増えてきていると思うのは、私の思いすごしかしら。
2015-11-18 22:33:12モデルが適正なモデルであれば――「モデル」という用語の代わりに、「学問」という用語を使っても良いと思っていますが――、限られた区域のなかで、事物・事態が起こる必要十分条件と、事物・事態が在るための推論を示しているにすぎない。
2015-11-18 22:36:00「みんながやっていないような やりかた で成功するよりも、みんながやっている やりかた でやって失敗したほうが、ああだこうだと悪口を言われない」(ケインズ、「雇用・利子及び貨幣の一般理論」)。先例がない事をやろうとしない態度に対して、ケインズ氏は皮肉を込めています。
2015-11-18 22:38:58正統な書物を読んでも理解できなければ、直ぐに、「難しい」と苦言をこぼして、みずからの理解力のなさを恥じないで、書物を非難するか、あるいは、書物に対して、こざかしい批評を言い散らして、みずからのほうが「鋭い」と思わせぶりの態度をとる人たちを、最近、多々、目にします。
2015-11-18 22:42:06荻生徂徠は、「『原典』を読む」ことを難しいことであると言っています。確かに、文を正しい字義で読み下す努力は労力ですね。しかし、そういう努力をしないで、じぶんの読んでいる書物を「難しい」と非難して、恣意に読んで、我流の寸評を言っている人たちを私は ときどき 観てきました。
2015-11-18 22:45:30荻生徂徠は、「答問書」の中で、次のように述べています――実際の事物を軽視して観念を弄んではいけない、杓子定規の型に填(はま)ってはいけない。
2015-11-18 22:47:53「道理ばかりを説いて『聖人になるように努めよ』と人をさとすこと」を徂徠は非難しています。現代なら、さしずめ、「第一級の人物に学べ」というミーハー本などは、徂徠の非難の的になるでしょうね。私も、そういう類の書名を目にすると、吐き気を覚えます。
2015-11-18 22:50:34「器量の小さな人は、何事も みな自分だけの尺度で考え、小さな枠を こしらえて その中で考えるので、自分の知恵の及ぶ範囲で、一つのことですむような手近な手段を好みます」(荻生徂徠、「答問書」)。こういう罠に陥らないようにするためには、基礎学習を ちゃんと修めることでしょうね。
2015-11-18 22:54:09ものことを判断するということは、みずからのFOR(Frame Of Reference、知識の枠組み)を基底にせざるを得ないのですが、みずからのFORは、人類が継承してきた知識と比べたら、微々たる量にすぎない。
2015-11-18 22:57:21「私の経験から判断して」という言いかたは、その人が どういう経験をしてきたかを示しているけれど、かならずしも、正しい判断である保証はないでしょうね。なぜなら、その人の経験に比べて、現実的事態は、もっと豊富な事態に満ちているから。
2015-11-18 22:59:23システム・エンジニアというのは、対象の網羅性に対して注意を払って、妥当な論理を組んでアルゴリズムを記述するように訓練されているはずですから、いちぶの事象のみを前提にして(あるいは、みずからの少ない経験のみを前提にして)断言するような軽薄さはないと私は思っているのですが、、、。
2015-11-18 23:01:44一過性の流行を追って、次から次と、「新しい」ことを齧(かじ)って、いっぱしに、エンジニアを装っても、10年の時の流れで観れば、化けの皮が剥がれます。博く、そして、丁寧に、基礎を学習して、その礎石のうえに、みずからの専門技術を深めるのが、学習の確実な やりかた でしょうね。
2015-11-18 23:05:04システム・エンジニアだった中間管理職者が、「かつての(古い)」経験をもとにして、「今の」事態に対応しようとする現象が、多々、プロジェクトのなかで観られます。「私はシステムを数多く作ってきた。私の経験から言えば、そんなことはできっこない」というふうに足手まといになる時がある。
2015-11-18 23:07:43私はエンジニアなので――しかも、データベース・エンジニアなので――、事業過程のなかで使われているデータと向き合うことが仕事のなかで大きな比重を占めていて、営業活動のように、人を相手にして仕事をすることが、まず、ない。
2015-11-18 23:17:20システム・エンジニアとして30年以上も仕事を続けてくれば、往々にして、技術のみに惹かれて、人との つきあい を疎ましいと感じることもあります。
2015-11-18 23:18:43仕事が専門性を帯びていれば、往々にして、専門技術のみを後生大事に抱えて、ほかの技術を みずからの専門技術に比べて、大したことがないように軽視しがちです――なぜなら、みずからが体得している専門技術のみが、みずからの存在理由(raison d'etre)を示すから。
2015-11-18 23:22:06書物だけでシステム作りを学習したひとや、みずからの やりかた が最高であると自惚れているひとは、どうしても、「当為意識(『ものごとは、しかじかとして あるべきである』という理想のみを述べること)に陥るようです。
2015-11-18 23:24:54小悧巧なひと というのは、なまじ、いくつかのシステムを作ってきた経験を楯にして、みずからが信じている やりかた が最高だと自惚れて、その やりかた を押し通そうとするひとです。そうなれば、ひとりの わがまま の所為で、まわりの人々が疲弊してしまいます。
2015-11-18 23:29:13本来なら、システムの品質を考えなければならないはずなのに、我流で生き延びてきた小悧巧なひとは、「私は、いままで、こういう やりかた でやってきた」というふうに うそぶいて、およそ、エンジニアリングから外れた所見を詫びれもしないで言い切ってしまう。
2015-11-18 23:33:06