佐藤正美Tweet_20151001_15

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佐藤正美 @satou_masami

荻生徂徠は、「原典」を熟読するように注意を促しています。「私智ヲ去ル(『じぶん一人の量見で、聖人というのはしかじかであると作る』ことを嫌悪する)」ことは、かれの一貫した態度でした。憶測で意見を言わないように、具体的な「物」を検討することが、かれの一貫した態度でした。

2015-10-13 07:26:25
佐藤正美 @satou_masami

徂徠の云う「物」とは、「制度・政策」のことです。すなわち、「道」は抽象的な概念ではなくて、「礼楽刑政」という「物」として示されているというのが、彼の考えかたの基本です。「(聖人の)道」を学ぶには詩・書・礼・楽の経書を丁寧に読むしかないと彼は言っています。

2015-10-13 07:31:15
佐藤正美 @satou_masami

徂徠は、「聖人」とは「作るひと」のことだと言っています。すなわち、「聖人」とは、「神」のような絶対的存在(一者)ではなくて、すぐれた業績(制度・政策などの事績)を遺したから尊敬されている人たちのことです。この意味で、「道」は「術」と同じです。

2015-10-13 07:34:42
佐藤正美 @satou_masami

「活物」たる人間があつまった錯綜した社会を安泰にするために作られた「道」は、ひとりの聖人が実現できる しわざ ではない。代々の聖人たちが作ってきた「道」です。したがって、そういう「道」を、個人の憶測で捉えきれるはずがない。

2015-10-13 07:37:36
佐藤正美 @satou_masami

徂徠は「歴史」を重視しています。というのは、「道」が「術(制度・政策)」であるならば、変化するのが当然であって、「具体的な」与件(社会事態)のなかで、「具体的に」実現された事実を観るしかないから。

2015-10-13 07:39:53
佐藤正美 @satou_masami

徂徠は、「『道』の原理」を述べることはしなかった。なぜなら、「道」は「物」に即して学ぶしかないから。「道」をわかる てだて は、「物」に即して「体得する」しかない、というのは徂徠の真意でしょうね。

2015-10-13 07:43:56
佐藤正美 @satou_masami

徂徠の考えかたは、システム・エンジニアの考えかたに通じますね。彼の云う「道」を「事業過程」として読み替えてみれば、私の言っていることがわかるでしょう。私は、徂徠から学ぶ点が多かった――「多かった」と過去形で書いていますが、私は、いまも、折節、徂徠を読んでいます。

2015-10-13 07:48:02
佐藤正美 @satou_masami

モデル論を学習するなら、まず、どのモデル論でも良いから、ひとつを選んで学習して、次に、そのモデル論が出てきた源流を探れば良いでしょう。そういうふうに学習すれば、その学習のなかで、データ分析法の歴史がみえてきて、歴史のなかで、どういう点が論点になってきたが明らかになるでしょう。

2015-10-13 07:52:06
佐藤正美 @satou_masami

モデル論の論点は、モデル制作の理論に関する論点もあれば、モデル技術を実地に適用して出てきた論点もあるでしょうね。そして、そういう論点を掴んだら、それらの論点に関する研究書を読めば良いでしょう。こういうふうに「芋蔓式に」学習を進めるしか知識を拡げる てだて はないでしょうね。

2015-10-13 07:57:18
佐藤正美 @satou_masami

モデル論の源流に遡って、そしてそこから歴史順にモデル論の学習を進めれば、多くの人たちが継承して改良してきた「モデルの論点」が明らかになって、そこで、改めて、さまざまなモデル論を観てみれば良いでしょう。そうすれば、そのモデル論が贋物か本物かを判断できるでしょう。

2015-10-13 08:00:47
佐藤正美 @satou_masami

俳句は、確たる形式で記述されますが、詠み手によって、格調が違ってきます。その格調は、詠み手の「境地」から生まれるのでしょうね。小学生も(俳句の形式に従えば、)句を作ることができますが、芭蕉の辿り着いた「境地」で歌える訳ではない。

2015-10-13 08:03:50
佐藤正美 @satou_masami

良い仕事をするには、みずからの知性・感性を充実することが大切であるという当たり前のことを意識しておけば良い。制度として確立された手続きに従えば、いっぱしに仕事ができるなどという専門職はないでしょうね。

2015-10-13 08:05:54
佐藤正美 @satou_masami

いつも つながれて ほえるほかない犬です(種田山頭火、「草木塔」から)

2015-10-13 08:07:50
佐藤正美 @satou_masami

ちかごろ なんとなく こう 馬鹿に だだっぴろい いつわり 「偽」の海を 泳いでいるような 気がしてならぬ よくもまあ こうして あきずに 泳いでいるな と われながら ときに あきれる これだけが わたしの 路だもの (定本 八木重吉詩集、「巨なる鐘」から)

2015-10-13 08:13:04