佐藤正美Tweet_20151016_31

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佐藤正美 @satou_masami

どんなすぐれた技術でも、用い慣れていなければ、うまく用いることはできにくいものです。データ設計のモデルに興味を抱いている人たちは、往々にして、モデルの原理に惹かれてしまい、モデルを吟味ばかりして、みずからが どのくらい使用力があるのかを度外視してしまうきらいがあるようです。

2015-10-19 19:27:50
佐藤正美 @satou_masami

「私が他人の文章に手を入れるときには、たいがい一つか二つは わかりやすい疵(きず)を残しておき、作者に もう一度 手を入れなおさせて、自分の手で完成させるようにします。これが私の家法です」(荻生徂徠)。私は、モデルの添削では徂徠と同じやりかたをしています。ユーザの周知の事ですw。

2015-10-19 19:31:30
佐藤正美 @satou_masami

「だいたい、私に文章を直してもらおうとする同人は、みな あまりにも私を信用しすぎていて、一度 私が書き直すと、もう、そうで手を加える余地がないと思いこんでしまいます。それでは私の金縛りにあったようなもので、どうして上達できましょう」(荻生徂徠)。

2015-10-19 19:34:02
佐藤正美 @satou_masami

「先方では さしせまった当座の受け答えの文章を書くので、私が その事情も考えずに つれないと恨むかもしれませんが、私としても先方の本心と違う文章にはしたくないのです」(荻生徂徠)。コンサルタントの基本の態度(catalyst である事)でしょう。

2015-10-19 19:37:02
佐藤正美 @satou_masami

「そもそも古代と現代とは違っている。どのようにして その相違を見わけるか。具体的な事物のほかにない。事物は時代によって違い、時代は事物によって違う」(荻生徂徠)。

2015-10-19 19:38:52
佐藤正美 @satou_masami

「格物到知」とは、朱子学では、ふつう、後天的な知を拡充(到知)して、あらゆる事物に内在する理を窮めて究極の宇宙普遍の理に達することをいうのですが、徂徠の云う「格物到知」とは、「物が、おのずから、来る」という意味です。

2015-10-19 19:42:21
佐藤正美 @satou_masami

荻生徂徠の考えかた――言・辞(ことば)の意味は文脈のなかで示される、言・辞と事(事態)を切り離して言・辞のみを弄んではいけない、私才で事物を計らってはいけない、「知る」とは、2つの事物を対比して相違点を認識することである。この当たり前の事を忘れると、思想は停滞自足して腐る。

2015-10-19 19:46:25
佐藤正美 @satou_masami

実証主義や科学的証明は、それはそれで すばらしい――しかし、すべて「事実」の断片であり、やはり思想から出ていないものはないという反省を忘れてはいけない、単に究理の問題ではない。

2015-10-19 19:48:34
佐藤正美 @satou_masami

TM(モデル技術)は、使いたいと思うひとが使えば良いのであって、使いたいと思っていない人たちに対して私は TMをセールスするつもりは更々ない。社会人になってからの学習というのは、学校での教育とはちがって、自分を信頼してくれている人たちに対して指南することだと私は思っている。

2015-10-19 19:51:50
佐藤正美 @satou_masami

みずからの専門技術に関して誇りをもつことは、それはそれで みずからの気持ちのなかにとどめて置けば良いのですが、つよい思い込みにまで助長して、「最高の技術である」というふうに自惚れて、ほかの技術を見下げる対比意識を抱いている人たちを、多々、観ることがあります。

2015-10-19 19:54:33
佐藤正美 @satou_masami

テレビで観た、討論している人たち――正論に こり固まった人は、正しい事を説くことに熱心で、何事も隅から隅まで はっきりしていないと気がすまず、ついには高慢になり怒りっぽくなる様ですね。人柄が悪くなっている(正論を言っている割には人相が悪い)。

2015-10-19 19:57:38
佐藤正美 @satou_masami

挨拶・感謝そして(みずからが間違っていたと気づいたときに)謝罪を言えない社会人 [ 大人 ] は宜しくない。

2015-10-19 19:59:42
佐藤正美 @satou_masami

コッド関係モデルに対して、意味論を強く適用したら、TMが生まれたというだけのことです。今となっては、TMを整えることに精一杯で、私はコッド関係モデルから ずいぶんと離れてしまいました。それでも、コッド関係モデルを敬っています。なぜなら、それは、TMの故郷(ふるさと、実家)だから。

2015-10-19 21:12:04
佐藤正美 @satou_masami

「理屈を離れて、ただ何となく そのことに慣れるのが一番よろしいと思います。それも初めの間は こわいのを我慢して それに慣れてしまいますと、後は用心も こわさも だんだんに消えてゆくのは、物事は慣れると、そのことに関して よくわかるようになるからです」(荻生徂徠)。

2015-10-19 21:15:13
佐藤正美 @satou_masami

「慣れる」ためには、当然ながら、その事態の渦中に、つねに、いることが要件になります。プログラム言語の文法を暗記していても、いちども、プログラムを作成したことのないひとをプログラマとは云わないでしょう。プロフェッショナルの力(ちから)として問われるのは、つねに、「いまの」実力です。

2015-10-19 21:18:13
佐藤正美 @satou_masami

ことば は社会的産物であって、個人の頭脳の産物ではない。事業のなかで伝達される情報は、事業を効果的・効率的に進めるための1つの秩序です。したがって、事業の秩序を保つための規範です。事業が複数の人たちで営まれているとき、ひとりで合点している秩序などは無意味でしょう。

2015-10-19 21:21:13
佐藤正美 @satou_masami

私がモデル技術を作るために採った やりかた は、対象のなかに「法則」を発見することではなくて、対象を記述するための「文法」を作ることであった。事業過程のなかに自然法則に近い「法則」があるとも思えなかったので、「『構造』を記述するための『文法』を示す」ことを考えていた。

2015-10-19 21:24:32
佐藤正美 @satou_masami

私は、一般の読書子として、多数の書物を読んできたのであって、学問を究めることを目的として、文献を読んできた訳ではない。もし、私が「学者肌」なら、似非にすぎないし、学問を真摯に究めようとしている学者たちに対して無礼になる。

2015-10-19 21:26:46
佐藤正美 @satou_masami

私は、学問を真摯に究めようとしている学者たちに対して敬意を払ってきました。そして、かれらの研究の実りを私は応用してきました。私は、システム・エンジニアであって、いかなる意味でも、学者ではない。荻生徂徠を敬愛する人物が学者である訳はないw。

2015-10-19 21:28:56
佐藤正美 @satou_masami

「情報」は、「文」です。「文」は、「あや」です。「あや」は、個性です。「実践」というのは、個々の「事実」を あるがままに観るしか やりかた はないでしょうね。

2015-10-19 21:31:18
佐藤正美 @satou_masami

科学法則や数学の証明式では、単純なほうが良いと私は思っているのですが、技術を作るとなれば、単純性が単調性になることを怖れて、ややもすれば、私は、技術を使う人たちに対して技術が知的に見えるように「凝った」技巧を施す誘惑に駆られることがあります(苦笑)。

2015-10-19 21:34:10
佐藤正美 @satou_masami

技術を使う目的に合わせて技術の しくみ を作るので、目的(necessary)にそぐわない装飾は排除されなければならないでしょうね。

2015-10-19 21:35:53
佐藤正美 @satou_masami

技術は1つの有機体(mechanism)ですから、それぞれの部品は、それらが構成する有機体のなかで、連鎖して作用しなければムダな部品でしょうね。

2015-10-19 21:37:11