沖縄人は先住民族なのか?まとめ。

先日、自民系の沖縄県議が海外記者向けの会見で「沖縄は先住民族ではない」と発言しました。しかし、国連が沖縄人は先住民族だと認めています。
23
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

いわば、従来の人種や民族という概念ではうまくとらえきれないけれども、同じ文化的ルーツを持っているということで民族的としか言いようのない人口集団が、どこか民族的なテーマをめぐって提起した運動が勢力を強めはじめたわけである。こうした現象は、同時期に世界各地で多発した。

2016-02-01 00:11:46
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

日本でも60年代末ごろから、在日華人や在日コリアンの二世たちが日本国内における民族性の復権を訴えて声をあげはじめた。こうした世界各地の文化現象は、「エスニック・リバイバル」と呼ばれる。

2016-02-01 00:13:00
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

エスニック・リバイバルの担い手を呼ぶのに、人種や民族という古い言葉はどうにも当てはまりがわるく、何かそれに代わる新しい言葉が必要だと思われるようになっていた。そこで注目されたのが、「エスニック集団」や「エスニシティ」という新しい概念である。

2016-02-01 00:13:57
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

エスニシティとは「民族的な(ethnic)もの(-ity)」をあらわす造語で、「エスニック集団とその内実」を意味する言葉として1970年代半ばごろまでのあいだに世界各地に急速に普及した。

2016-02-01 00:14:15
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

人種や民族という言葉ではうまく捉えきれない何かが誕生しているというコンセンサスはエスニシティという造語を普及させることになったものの、個々のエスニシティの内実が非常に多様だったこともあって、その正体が何かということについては激しい議論が巻き起こった。

2016-02-01 00:16:03
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

主観主義からは「多くのエスニック集団は産業化とともに客観的特性を喪失しつつあるにもかかわらず、逆にエスニック集団の成員間で情緒的紐帯が強まり、エスニック集団としての運動が活性化している。客観的な特性だけではそうしたエスニック・リバイバルを説明できない」といった反論がなされた。

2016-02-01 00:17:01
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

この論争は1970年代全般にわたって繰り広げられたが、1980年代初頭ごろには主観主義が優勢ということで決着がついた。客観主義からはエスニック・リバイバルを説明するための有力なロジックが提案されなかったのに対して、主観主義からは説得力のある議論や事例報告が多数なされたためである。

2016-02-01 00:17:48
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

他に、本質主義と構築主義の論争も激しかった。エスニシティの内実を論じる際に客観的要素を重視する立場は、“物事には本来の性質があり、それによって物事の内実が決められている”という発想を前提としている。このような前提を「本質主義」という。

2016-02-01 00:18:57
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

本質とは、現実の文脈を超えたところに存在する不変の理想を指し示す概念であり、したがって、本質主義にも物事の不変の実体に注目するという特徴がある。逆にいえば、社会変動や他者との関係の変化を受けて変質してしまうような対象について、本質主義の立場から説明することには限界がある。

2016-02-01 00:19:14
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

1960年代半ばまでのエスニシティ研究はその多くが本質主義的に各民族集団の文化的内実に注目したが、エスニック・リバイバルのような新たな事象が生成するしくみを十分に解き明かすことはできなかった。

2016-02-01 00:19:38
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

一方、本質主義の対立概念のひとつに「構築主義」がある。これは、“物事は言語を通じた認識によって生成されており、社会的相互作用の中で構築される”と考える立場である。認識というものは現実の文脈の中で変転する特性を持っているため、構築主義も動的な過程を説明することを得意とする。

2016-02-01 00:20:01
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

ノルウェーの人類学者フレドリック・バルトが1969年に執筆した民族境界論は、主観主義の立場から提起された有力な議論であると同時に、構築主義の観点をエスニシティ研究に導入した先駆的な業績である。

2016-02-01 00:20:35
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

バルトは、エスニック集団はいわば「器」にすぎず、社会的な文脈が異なれば、「その器には量や形態も様々に異なるような内容が盛り込まれる」と考えることによって、各エスニック集団の文化的内実が変動するエスニック・リバイバル現象を説明するための糸口を鮮やかに示してみせた。

2016-02-01 00:21:14
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

バルトの主張は、つきつめると「エスニック集団を下支えするのは、文化的内実ではなく民族集団間の境界であり、境界を堅固に維持するためにこそ民族的アイデンティティが利用される」というものである。

2016-02-01 00:22:28
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

エスニック集団の内実は不変の存在ではないというバルトの視座がエスニシティ研究に与えたインパクトは非常に大きく、それ以降、エスニシティを動態的に理解する視座を含まない主張は概して批判されるようになった。

2016-02-01 00:23:00
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

ところで、エスニシティを本質主義的に理解することには、エスニシティの動態をうまく捉えられないという問題だけでなく、しばしばエスニック集団への差別や抑圧に用いられるという悪弊があることも指摘しておく必要がある。

2016-02-01 00:23:22
金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org

文化的特徴と人種を本質的に結び付ける人種主義や、伝統的な民族言語や生活様式が変質したエスニック集団に対して、「民族とは呼べない」などと論断することで当事者らの訴えを否定しようとする同化主義は、いずれも本質主義的な理解に立脚して人権侵害を正当化する議論である。

2016-02-01 00:23:44

参考:民族の定義、エスニシティの定着