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ぬらりひょんの属性「妖怪の親玉」というのも藤沢衛彦が由来のないキャプションを創作したものであり、「家の中に入りこんでどっかり座る」は佐藤有文の創作、日暮れ時忙しくなる時分に現れる」は山田野理夫の創作。
2015-12-05 14:01:08藤沢衛彦『妖怪画談全集 日本篇 上』では、鳥山石燕のぬらりひょんの図版の下に「まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」というキャプションがつけられている。上に引用したような属性は、このたった一行のキャプションから派生したらしい。
昭和後期、藤沢のキャプションからの解釈を元とした「家に入って来る」あるいは「妖怪の総大将」であるという解説が水木しげるや佐藤有文の妖怪図鑑などを通じて一人歩きしたこと、テレビアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の第3作(1985年放送開始)に主人公・鬼太郎の宿敵として登場し「総大将」と作中で自称したことなどが総合的に「総大将」としてのイメージを有名なものとしたことが要因になったと見られている。 ぬらりひょん - Wikipedia
で、「ぬらりひょんは後頭部がでかい妖怪」っていう決まりはない(ないよね?)のだから、創作において「今回はこのデザインで」ってなっても不思議ではないなぁ。現場的にそこまで考えてない可能性もある。
2015-12-05 14:05:09で、「妖怪好きもマニアックになってきて、原点回帰」的に「本来は後頭部がデカいはず」となってぬら孫、鬼太郎五期からこっち、また後頭部が大きく出ているぬらりひょんが創作されることになったそうな。
2015-12-05 14:10:38ビジュアルの原点回帰という意味では後頭部が出ている以外にも体が小さい(2頭身くらいじゃね)というのもあるし、姿勢も不自然だし、これから創作される方はあまり拘らずにおもしろいぬらりひょんを作ってみてはいかがでしょうね。 pic.twitter.com/BNAj8K0pkJ
2015-12-05 14:14:10再び ぬらりひょん - Wikipedia から引用すると、京極夏彦は、「妖怪を生きた文化として捉えれば時代に合わせて変化することは構わないといった意見を述べている」そうである。後頭部問題も、時代に合わせた変化と見るべきものかもしれない。
……と、ここで終わるつもりだった。
ついに後頭部を伸ばした張本人の名が!!
「夕方に家に入っ来る」「親玉」っていう解説はあくまでも「石燕のぬらりひょん」に対して(あるいは、それをモデルにした鬼太郎もの・図鑑もの)の「ぬらりひょん」で、頭の大きな絵巻物に出て来る「ぬらりひょんの絵」(瓢箪鯰イメージとか)とは別ものだから、笠井さんの意見はあってるヨ。
2015-12-06 13:08:00恐れ入ります。
暁斎の頭の長い絵は『おばけ図絵』(1973)以後ほんの何回か写真図版が載ってる本があるけど(水木図鑑での頭の長いやつ) そもそも「絵巻物」のほうの2頭身な「ぬらりひょんの絵」は90年代後半にならないと本に出て来ないから、イメージとしてそれ以前の作家に【存在してない】点は忘るなかれ
2015-12-06 13:19:38藤澤衛彦はおそらく「絵巻物」は持ってるんだけど(ぬらりひょんが描かれてるかどうかは知らないけど、も) そっちではなく「石燕のぬらりひょん」をあげてああキャプションしてるわけだしネ。
2015-12-06 13:26:12これは重要な指摘である。
私の知識もあわせて説明すると、次のようになる。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は、絵としての完成度も高い。そのためか、児童向けの妖怪図鑑ばかりではなく、大人向けの本にも挿絵のようなかたちで使われていた。
同じ頃、藤沢衛彦の、いささか無責任なキャプションから生まれた属性が次第に定着しつつあった。つまり「家に上がり込む総大将」という属性は、後頭部の大きくない(といって小さくもない)石燕のイメージと固く結びついていたのである。
以上は、1960年代から90年代にかけての状況。
1994年9月、京極夏彦が『姑獲鳥の夏』でデビュー。ここで戦後第何次かはわからないが、一つの妖怪ブームがあったように思う。国書刊行会が何をトチ狂ったか……いや、英断で、妖怪画集を次々に出版し始める。全国の妖怪ファンが狂喜したのは、いうまでもない。
『暁斎妖怪百景』は、1998年8月刊。
『妖怪図巻』は、2000年6月刊。
私などはデフォルメの範囲内と思うのだが、まあ、とにかく、これらの刊行後は「ぬらりひょんの後頭部は長い」というイメージが一般に広まる。2004年『ほんとにあった! 呪いのビデオ』の老人、2005年『妖怪大戦争』の忌野ぬらりひょん、そして、2008年から連載が始まる『ぬらりひょんの孫』へとつながっていくわけである。
と、ここで終わらせてもよかったのだが……。
とんでもないことが判明した。
同時期の水木アニメを調べてみたのである。
ぬらりひょんの後頭部が伸びた時期を、ほぼ確定! 『ゲゲゲの鬼太郎』第4期92話 1997年10月26日放送 「百目とぬらりひょん」 この時点では、まだ後頭部は長くなっていない。白黒放送の第1期と、ほとんど同じかたちをしている。 pic.twitter.com/3DmhiRIwbn
2015-12-07 18:58:45『ゲゲゲの鬼太郎』第4期96話 1997年11月23日放送 「妖怪王ぬらりひょん」 後頭部が伸びているが、ちょっとわかりにくい。なので、次は99話。 pic.twitter.com/BTPpbCK7eb
2015-12-07 19:02:04『ゲゲゲの鬼太郎』第4期99話 1997年12月14日放送 「決戦! 妖怪王対鬼太郎」 96~99話は全4話の続き物である。ぬらりひょんの後頭部は、1997年10月26日から11月23日まで、1ヶ月弱の期間に伸びたことになる。 pic.twitter.com/BHkYW4f2tE
2015-12-07 19:08:01『暁斎妖怪百景』の発刊に先行すること、数ヶ月。氷厘亭氷泉さんが指摘されたように「後頭部が長い」というイメージは、イメージとして作家の中に存在しなかったはずでは? そう、これがぬらりひょん後頭部の謎を解く鍵だったのである。
国書刊行会・妖怪画集の編者は多田克己。京極夏彦は文章を寄せたかたちになっている。しかし、京極がもともとデザイナーであることを考えるなら、深く編集にもかかわっていたはずとの結論にいたる。『ゲゲゲの鬼太郎』第4期96~99話の放送は、その編集時期ともぴったり重なっている。
そして京極は、同じ第4期101話、1997年12月28日放送の「言霊使いの罠!」に一刻堂の名で出演しているばかりか、脚本まで手がけている。既に人気作家であり、水木御大とも懇意の仲。しかも元デザイナーであれば、直前の96~99話の作画にも影響力を持っていたに違いない。かくして妖怪の総大将の後頭部を伸ばした、真の総大将の名が浮かび上がってくる。
京極夏彦!
表向きは「時代に合わせて変化することは構わない」などと白々しいことを言いながら、その裏では、ぬらりひょんの後頭部引き伸ばしを画策、実行していたとは……。