- Golden_hamster
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項羽ってなんか伯父項梁が死んでそのまま全て継承したみたいにワイ自身も含めて思いがちになるけど、これ絶対違う。むしろ特に何も継承されず(実子でもないし弟などの年長者を差し置いてなる理由も無い)、集団の将の三番手以降にされた不満から謀反起こしたと見るべき。
2016-03-30 22:54:03項羽があっさりと四面楚歌に追い込まれるのも、そもそも主君を殺す羽目になったのも、何一つ正当な権利は無いのに無理押しして楚のトップに立った謀反人だから、と考えるとすっきりしないだろうか
2016-03-30 22:59:32『史記』でも各種創作でも項梁・項羽を中心にして書かれてるし実際中心人物だったと思うけど、その時代の楚は「陳勝の建てた楚の臣下」や「各地の独立勢力の頭領」や「滅ぼされる前の楚の貴族の系統」などが混ざっていたわけで、項梁死んだからって素直に項羽がトップになるわけがない
2016-03-30 23:24:41あと、項伯が項羽を裏切ったみたいに思いがちだけど、楚王の臣下であった項伯にしてみれば、総大将宋義を勝手に殺した上に関中を落とした者が王になるという楚王の命をも無視する項羽の方こそ裏切り者と見えていたかもしれないよね
2016-03-30 23:28:59項羽は「選択肢自体は全部正解を選んだ呂布」とでも思っておこう。滅ぶのはイベント扱いなのでどうしようもない。だって開始直後で既にバッドルートだったからね仕方ないね
2016-03-30 23:41:49楚王たちは劉邦なら関中に行けると踏んで(項羽ではダメと考えて)劉邦をやったと『史記』にあるからね。劉邦が関中を取るところは実は予定通りというか全て上手くいっている。楚王が健在なら、劉邦は関中の一部分の王にでもなって、楚王朝が誕生したのだろう。
2016-03-31 00:29:59あの司馬懿の先祖司馬卬は趙将で、劉邦などとは別に秦へ向かっていたという記事がある。つまり、趙は楚とは別に秦を滅ぼそうとしていた。当時、秦を楚が滅ぼして天子となるためには、趙には黙っててほしいのである。
2016-03-31 00:55:09秦が滅ぶ直前の楚は、秦を滅ぼすためには西に向かうことになるので背後の斉とは仲良くした方が良く、秦よりの趙に先を越されないよう趙は弱体化していた方が都合がいい。 この条件に当てはまる行動をしているのは宋義である。
2016-03-31 00:59:10キッチリ趙将の秦入りは邪魔して、自分はできるだけ急いで秦に向かって一気に秦王降伏まで持っていったんだから、劉邦の能力って割とガチだと思うよ。力技じゃないというだけで、成し遂げたことは項羽と同等かそれ以上なわけだからね
2016-03-31 01:09:40なんで「劉邦は予知能力を持っていたから何度も危機を回避したり正しい進言を選んだりできたんだ」と言う人がいないのだろうか
2016-03-31 01:27:47楚漢期って本質的には『史記』『漢書』あたりからして漢王朝中心主義で書かれているはずなのに現代ではどこか項羽中心主義みたいなとこがある気がする。それだけ項羽のインパクトが凄いということでもあるけど、実情が見えにくくなっているという部分は漢王朝中心主義とあまり変わらない。
2016-03-31 21:49:26項羽の属する項氏が秦に滅ぼされる前の楚でどういう立場だったかについても検討が必要だと思うんだよなあ。項梁は旧楚の貴人などへも指導力を発揮するために楚の懐王を立てる必要があったんじゃないかと思う。項梁は無条件に旧楚全体が認めるような家・人物というわけではなかったんじゃないだろうか
2016-03-31 21:57:58