金太郎 坂田金時 公時 について

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森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

「サーヴァント英雄列伝」の人選は、編集部側で行っています。中でも、坂田金時についてはかねて興味があるキャラクターで、彼が登場する説話や浄瑠璃などは一通り読んでいたのですけれど、仕事で扱う機会はなかったので実にありがたいお話でした。 amazon.co.jp/dp/4041043751

2016-04-16 01:16:51
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

@Molice 平安後期から鎌倉時代にかけての記録や説話集に名字のない「公時」という若武者が登場し、その後四天王の一人とされ、江戸時代に「坂田・酒田」がくっついたという話を書いているわけですが--ではそもそも「公時」ってのは誰だったの?というあたり、この週末にTweetするかも。

2016-04-16 01:19:59
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

ではそもそも「公時」ってのは誰だったの?--というお話。 twitter.com/Molice/status/…

2016-04-17 01:43:34
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

「坂田金時」というキャラクターは、江戸時代に誕生したと言い切って良いでしょう。平安後期から鎌倉時代にかけての記録や説話集に名字のない「公時」という若武者が登場し、その後四天王の一人とされ、江戸時代に「坂田・酒田」がくっついて生まれた名前です。

2016-04-17 01:45:06
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice その出自についても、源頼光&四天王の息子たちが活躍する一群の古浄瑠璃(金平物)が1600年代に流行した際、その中でも人気を集めた公時(金時)の息子・金平の「父親」として設定がこしらえられたようです。SWのプリクエル・トリロジーみたいなものですな。

2016-04-17 01:47:11
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 『今昔物語集』における「公時」から数百年をかけて、無数の創り手たちに連綿と練り上げられていった「頼光四天王」の文脈の到達点が「坂田金時」であり、幕末頃に生まれた「金太郎」の幼名でした。では、本来の「公時」はどのような人物だったのか--。

2016-04-17 01:48:58
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 最有力候補と見なされている人物が存在します。藤原道長が著したとされる『御堂関白日記』でしばしば言及される「下毛野公時(しもつけのきんとき)」という人物です。下毛野氏は飛鳥時代に遡る豪族で、『日本書紀』によれば崇神天皇の皇子、豊城命の裔とされます。

2016-04-17 01:53:01
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 平安時代において、下毛野氏は摂関家に仕える有力家人の家だったようで、鷹飼並びに鷹飼渡と呼ばれる儀式を代々つかさどる家でもあったようです。公家は、その下毛野氏の下毛野公友を父、母は尾張兼時を母として長保二年に生まれました。

2016-04-17 01:58:39
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 『御堂関白記』によれば、彼は近衛舎人(帝の親衛隊長)として宮中に仕え、その責任者である番長に昇進した後、道長の随身となったようです。『関白記』には幾度か彼の名前が言及され、彼が重用されていたことがわかります。

2016-04-17 02:01:54
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 『関白記』によれば、この下毛野公時は1017年(寛仁元年)に九州の筑紫で死亡したようで、その役職を同家(弟? 調査中)の光武が継いだようです。享年18歳。

2016-04-17 02:06:05
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 『御堂関白記』寛仁元年八月廿四日の条には「従帥許送害、開見書云、相撲使公時死去由、件男随身也、只今両府者中第一者也、日来依此云々、憐者甚多」とあり、道長は「左右近衛府の第一の者」として公時の死を悼んでいます。

2016-04-17 02:07:28
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice なお、この下毛野公時こそが、後に頼光四天王に数えられることになった「公時」なのではないか--という指摘は、1961年に東京大学出版会から刊行された『大日本史料』第二編12において初めて行われたようです。

2016-04-17 02:12:00
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice ×『御堂関白日記』 ○『御堂関白記』

2016-04-17 02:13:32
闇に囁く方の森瀬 @TalkingMolice

@TalkingMolice 参考:『国立歴史民族博物館研究報告』第45集(国立歴史民族博物館)その他の文献

2016-04-17 02:18:11
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

@k_hisane 逆です。まず金平物の流行(二世英雄ブーム)があって、それに便乗して「坂田民部金時」が古浄瑠璃に登場して、従来の「公時・金時」設定にオーバーライドしていったようです。

2016-04-17 02:49:21
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

坂田平太金時の妻(『公平誕生記』より):金時が三〇代半ばの頃、鞍馬寺の僧正ヶ谷で出会ったさる公家に仕える女房(自称)。五年身籠った後に鬼子・惡太郎(後の坂田兵庫頭公平)を設ける。実は、かつて近江三上山の大百足に滅ぼされた「ばんだいがいけ」の竜宮の生き残りで、齢三千の大蛇の化身。

2016-04-21 05:12:01
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

@Molice この「ばんだいがいけ」は、大阪市住吉区の万代池だろう。同区内の臨南寺の伝承によれば、この寺の御神木に棲んでいた白蛇(棱伽白龍大権現)は、万代池の白蛇と夫婦ないしは兄弟であったという。『公平誕生記』によれば、女房が金時と惹かれあったのは、金時が鬼女の子であったから。

2016-04-21 05:15:42
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

目が覚めてしまったので、手元の金平物古浄瑠璃をぱらぱらめくって金時の妻についてまとめ始める。inお布団

2016-04-21 05:22:32
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

@Molice なお、前述の「三上山の大百足」は瀬田の唐橋の龍女の嘆願で俵藤太に退治されたあの怪物である。大百足は山澄判官別当時景という人間に生まれ変わっていて、源氏滅亡のために暗躍している。惡太郎は、母の願いにより時景を討ち、元服して坂田兵庫頭公平を名乗る。という筋立て。

2016-04-21 05:29:25
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

『漉根惡太郎』によれば、渡辺綱の嫡子・三田源次郎は金時の嫡子・漉根(すくね)惡太郎よりも一歳年長。「三田」の名字は、渡辺綱の生地と伝わる現在の東京都港区三田が由来と思われる。源次は渡辺氏の嫡男につけられる名前なので、「三田源次郎≒渡辺(奈古屋)源次授)」と考えてよさげ。

2016-04-21 06:25:31
森瀬 繚@物語仕事歓迎 @Molice

そうか。金髪の坂田金時というと、永井豪の『手天童子』がありましたな。すっかり忘れてた。(数年前に永井作品を大量に読みなおした際も、そういえば何故か『手天童子』が抜けていた記憶)

2016-04-22 07:55:13