山本七平botまとめ/【出版倫理と読者】民主主義社会の原則は内的規範と外的規範の峻別/~どのような悪逆な妄想にふけろうと、その行為が法に触れた場合のみ法的規制の対象となる~

山本七平『「常識」の非常識』/Ⅳ報道と世論/出版倫理と読者/171頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【出版倫理と読者】「出版倫理」という問題は非常に複雑な問題である。 例えば一冊の本によってその人の人生が狂い、普通ならば最高学府を出てエリートとしての生涯へと進みうる人の運命がある一冊の本によって空想的な革命運動に身を投じ、その人を破滅させ、その周囲の人に大きな迷惑をかけ(続

2016-05-18 08:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

②続>時には家族に自殺者などを出した場合、その著者・出版社はいかなる倫理的責任を負うのか。 これは、ある場合には本人または関係者、および周囲の人間の生命が関わる問題、いわば人命に関わる問題だから、倫理的にいえばこれが最も大きな問題の筈である。<『「常識」の非常識』

2016-05-18 08:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

③世に問題とされている「悪書」なるものも、実は、これほど大きな問題を社会に投げかけていないのが普通である。 だが、この種の本が「出版倫理」の対象として取り上げられることは絶対にないと言ってよい。

2016-05-18 09:09:14
山本七平bot @yamamoto7hei

④それは当然であって、もしこれを何らかの取締りの対象とするなら、それは必然的に思想の取締りとなり、それによって生ずる害悪は、その本によって生じた害悪とは比較にならぬほど巨大かつ徹底したものとなりうるからである。

2016-05-18 09:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤そしてもう一つの理由は、それらの思想の影響を受け、また摂取してそれを自らの行動の原理とするのはその人間の主体的な選択であり、それによる行動の責任はあくまでその本人にあり、その本人に影響を与えた著作にもその著者にもないとするのが少なくとも民主主義の社会の原則だからである。

2016-05-18 10:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥言うまでもないが、民主主義の社会の基本的原則は、内的規範と外的規範の峻別であり、もしそれが失われれば、それはもはや民主主義の世界ではない。 個人が内心でどのような思想を抱こうと、またどのように悪逆な妄想にふけろうと、それは何人も関与することはできない。

2016-05-18 10:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦ただそれが行為となり、その行為が法に触れた場合にのみ、法的規制の対象となるというだけである。 この意味においては、いかなる言論も出版も、全く無制限に自由に放置しておくべきだというのが原則である。

2016-05-18 11:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧このことは本の内容が非倫理的であると言うことと、その非倫理的な内容を、個人の責任において行為に移すということは、あくまでも別のことであって、この両者は絶対に混同してはならないと言うことである。

2016-05-18 11:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨従って出版倫理という問題を考える場合、まずこの原則を確認しておかないと、問題は、あらぬ方向へと発展するであろう。 社会はしばしば、ある現象に強くひきずられて思わぬ方向へと行き過ぎる場合がある。 「禁酒法」という悪法の前例があるので、このことをもう一度明確にしておきたい。

2016-05-18 12:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩こう考えた場合、一人前の社会人としての分別をもつ成人男女が、ある本の影響を受けてある種の非倫理的行為を行っても、それはその本人の責任である。

2016-05-18 12:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪その人は別にその本を読む義務はないし、まして、その本に記された通りのことを行う義務もないのであって、買うか買わないか、読むか読まないか、その通り行うか行わないかは、あくまでも本人が自らの責任をもって主体的に行うことなのであって、本それ自体の存在とは関係ない。

2016-05-18 13:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫それが社会人というものである。 従って私は、成年男女に関する限りは、出版倫理とは読者倫理であると考えている。 倫理的出版物が世にあふれても読者全員がその倫理的規範の通りに行動する訳でないように、非倫理的出版物が横行しても、読者全員が非倫理的行為に走る訳ではないからである。

2016-05-18 13:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬もちろん、このことは出版倫理が存在しないということではない。 そしてこれが特に問題となりうるのは、未だ、責任をもって自らの行為を自ら決定しうる状態に達していない人間の場合である。

2016-05-18 14:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭最も簡単な例をあげれば児童図書であろう。 では児童への図書の選択の責任はだれにあるのか。 基本的にいえば、義務教育の「義務」を負う親であって、政府ではない。 もちろん、これはその国の文化と伝統によって違いがあり、宗教団体が親へ指針を与える場合もある。

2016-05-18 14:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮たとえば教皇庁には禁書のリストもあれば、推奨リストもあり、前者の場合は本に明記されている場合もあるが、それには明確な教義的・宗教倫理的基準があって、決してその時々のあやふやムードに基づくものではない。

2016-05-18 15:09:19
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯だがもちろん、この禁書は出版を停止せしめる法的な力はもたないし、信徒がそれを読んだとて罰則があるわけではない。 このことは「出版倫理」という問題の基本に触れているであろう。 それは、一言でいえば「読者倫理」なのである。

2016-05-18 15:38:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰言うまでもないが、需要がなければ供給はあり得ないわけで、潜在購読者層を発掘して顕在化し、これを購読層となし得ることによってはじめて出版業は成り立つ。 従って人間の潜在的な倫理性と非倫理性がそこに顕在化する。

2016-05-18 16:09:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱過去においてしばしば行われた出版への弾圧は、顕在化したものをまた潜在化させるにすぎなかった。 従ってそれは、社会倫理にいかに対応するかという問題に正面から対応せず、「臭い物には蓋」の結果しか生じないのが普通である。 同じことの繰り返しにならぬよう希望したい。

2016-05-18 16:38:54