江戸城天守復元調査報告書、気になった点。

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日光81 @nikko81_fsi

五月も終わる…なかでようやく寛永度江戸城天守復元調査研究報告書に目を通し始める。天守よりもまず天守台・・ということで、現天守台(万治年間、明暦大火翌年改元)の高さについて。万治年間再築の際に寛永度と比べ低くしたとするのは「江府天守台修築日記」(金沢市立図書館加越能文庫)による。

2016-05-31 23:06:10
日光81 @nikko81_fsi

金沢にあるのは、もちろん前田綱紀が天守台再建を担ったから。この「江府天守台修築日記」は天守台再築を指揮した奥村庸礼に近い人物による写本。ここに「外構ヨリ石垣之ミヘ候義、大猷院様不可然思召候由ニテ、壱間半ひくく成候也」とあるそう。ようやくソースがはっきりしてスッキリだ。

2016-05-31 23:12:43
日光81 @nikko81_fsi

さらに興味深いのは、寛永度天守台においては鉄砲狭間の石、つまり平川門等にある石を加工してつくった狭間が存在したが、現天守台においてはそれをやめたという記述。家光の見た天守には狭間があったということになるわけだ。さらに幕末の万延元年(1860年)には小天守台が縮小されている。

2016-05-31 23:17:39
日光81 @nikko81_fsi

その前年、安政六年(1859年)に本丸御殿が全焼、翌年万延元年に再建されているから、その際に、縮小されたのでしょうな。理由はわからないが・・・ちなみにこの万延元年再建の御殿も文久3年(1863年)には焼失、この焼失を以って本丸御殿は再建されなかった。

2016-05-31 23:21:38
日光81 @nikko81_fsi

天守台の万治年間の創建以降の改変もいくつかあるようで、穴蔵位置がやや西寄り、間口が少し狭い・・など。まだ天守台と再建天守の整合性検証課題はありそうだ。とにもかくにも、現状の盛り土をなんとかし、実地検分をもっと深めないと先へは進めないだろう。

2016-05-31 23:27:58
日光81 @nikko81_fsi

天守台でコレだから、天守本体はもっといろいろわかるんだろうなー。ソースがはっきり示されてそうだから、論理展開もわかりやすいかもしれない。期待。

2016-05-31 23:31:54