『人間と魚が浜』(作・演出 三野新)感想まとめ

ご来場頂いた方、ありがとうございました。またお会いしましょう! #人間と魚が浜 出演(あえいうえお順:敬称略)​ 大場みなみ  佐藤駿 続きを読む
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山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

魚と人の動きのシンクロを呼ぶ。3.そのシンクロの積み上げが、ストラクチャーとして、箱の積み上げと重ねられる。といった具合につづく。ストラクチャーは、それを積み上げたり壊したり壊されたりが繰り返される。それが、良くも悪くもエモさ?を呼ぶ。

2016-07-17 20:50:23
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

演者の身振りが、魚を実際に捉えるものではない、ここには釣り人しかいない、それがある意味、この演劇自体のエモさを作っているとも言える。どうしようもなさ。魚と人のコミュニケーションを行う手立ての質は、当然測られるもののように思えるけれど、でも釣りをやる人からすればそれは、

2016-07-17 20:50:36
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

「うまいへたではない。ただそうなるだけ」。そこに、魚による教え(と人が受け取るもの)はどうしようもなく実は食い込んでいる(「そうなる」ということは、魚が魚であることを組み込んでいる)。舞台の創造は、その既存の教えの関係を、人の身体をベースに思考できるか、ということにもつながる。

2016-07-17 20:50:57
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

釣りの技術を教える動きを受けて、人が人を模倣しようとするなかで、その模倣の行為が、そのまま、釣りの人(役)のライトが魚(役)の人に当たろうとするのを発泡スチロールで防ぐ身振りに重なる。さらにまた、教えの行為(動きの模倣が、本来の意図とは別のものになる)は、

2016-07-17 20:51:12
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

ストラクチャーを作るということや、写真についての語りにおける身振りの同期に向けたものとして、魚から人へ、ともなる……。この(教えの)動きの連鎖は、一方では、もちろん演劇特有の、あの不思議な切れと連続のありよう……舞台が、ひとつの空間としてありながら、

2016-07-17 20:51:24
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

演者の動きによってその空間に切れができる、あるいは時間の切り替わりや人のあり方のブツ切れが作られる、その「切れ」をどうするか、という問題にも根付いている気がする。発せられた言葉が、まったく別の文脈に変換されて、次の言葉を生むというようなことは、身振りにも、発泡スチロールにも起こる

2016-07-17 20:51:40
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

(発泡スチロールはライトを隠すものにもなるし、それで作られたストラクチャーは身振りの舞台(机)にもなる)。そしてまた一方では、魚と人の身振りの同期のきっかけのひとつである写真が、ほとんど観客からは見えず、あるいは本当にそこになく、ただ演者の身体を通して語られる、語られるからこその

2016-07-17 20:51:53
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

異種の同期ということが、ひるがえって写真という視覚表現の、効用……魚と人の間で行われる、釣りとは別の行為……を提示しているようにも思える(釣り=ライト=カメラ)。そして、写真への語りが、人(役)と魚(役)の交じりあう舞台への語り(ここはどこですか?への応答)を作る素材ともなる。

2016-07-17 20:52:13
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

それはある意味では、魚と人間の間の関係を、ただそうであるだけ、というのではない複雑さとして組み立てる、つまりフィクションを組み立てる、ということでもある。図像が単なる図像ではないところへ(人々の身振りや語りを介して)展開される。同期、類似、関係性。

2016-07-17 20:55:02
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

あと、戯曲の本に惹かれて( ああ、こういう、ノートのように作ることもできるんだ、と素朴に思った)、買ったけど、また後日届くから、今書いたのは、適当なかんそう

2016-07-17 20:56:22
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

演劇の感想って、ぼくの記憶力が悪すぎて、こわい(今日は記憶力最高のよるおわさんいたからまだしも)  でも書かなきゃ忘れるし何を見たのかわからないまま終わる

2016-07-17 21:03:17
suzuki ippei @ana_ta_des

東雲で『人間と魚が浜』を観た~ 人間と魚はコミュニケーションできません 人間を外さない限り でも人間を外すための話ではない話

2016-07-17 21:08:33
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

昨日のラトゥールで思ったけれど、芸術、演劇、と言われるものの、かなりの部分は、常に、政治と教育に接してしまうというのをどう考えるか、は必要だと思う。なにかを議論させる場を作るとして、しかしそれが作品というまとまりを持った瞬間、作品制作以前の既存の世界観を人々に啓蒙するものに

2016-07-17 21:34:36
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

なる可能性がある。大江健三郎が、『水死』で、演劇と政治を批判的に利用していたのが、思い出される。難しい問題だと思う。

2016-07-17 21:35:40
もいずまない @moizmoizmoiz

三野さんの「人間と魚が浜」 良かった 魚とのプラトニックな 恋までいかない、何かとの衝突のようなものを私は感じた

2016-07-17 21:37:19
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

ラトゥールが例にあげていた芸術の試みは、政治的啓蒙でしかないんじゃないのか、とどうしても思えてしまったところは、少しある

2016-07-17 21:37:36
KGR @tokotoko_k00

人間と魚が浜(おぼえがき) 弱火で熱せられたものの沸点/戦争のイメージ/南のリゾートアイランドが持つ死のにおい/コミュニケーション/語り部

2016-07-17 22:23:39
飯岡陸 @rikuiioka

三野新『人間と魚が浜』良かった。いま戯曲を読んでいる。passing picturesのときもそうだったけど、挿入される写真と、写真から派生したダイアグラムと、そこに描き込まれている、諸要素の関係を示した言葉が面白い。例えば↓ pic.twitter.com/DrQb6Blnf5

2016-07-17 23:00:44
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飯岡陸 @rikuiioka

作品自体が、写真や関係図などの平面を口頭で説明したときに伴ってしまう冗長さを、身振りや情緒によって、肯定的に引き伸ばしているんだけれど、その引き伸ばしの中で元の平面では交わっていなかった別々の2点が結びついてしまう瞬間がとても鮮やかで、その瞬間が作品のクラマックスに感じられた

2016-07-17 23:01:42
山本浩貴(いぬのせなか座) @hiroki_yamamoto

ああ、そうか、はやく戯曲届かないかな……という気持ち

2016-07-17 23:04:48
飯岡陸 @rikuiioka

(..だから人間と魚が浜はあらすじ的な要約がうまくいかない)

2016-07-17 23:22:59
なで なでろう @nadelow

『人間と魚が浜』観にいきました、表現難しかったけど伝わるものがあり(たぶん) 自分のやりたいことや好きなことに暴力性があり、そこに後ろめたさや罪悪感持っていて、どうにかしたいもどかしさが出てて、最後は悲しくなりました 衣装よかったなあ、滝沢さんの弱い魚ぶりがよかったです

2016-07-17 23:36:17
なで なでろう @nadelow

共栄したいよ海行きたいよ

2016-07-17 23:36:40
犬など @inunado

現在G/P gallery Shinonomeで公演中の『人間と魚が浜』に佐藤駿が出演しております。また、チラシの折り込みもさせて頂いています。公演は明日までです。現代の話であり、とても身近な話でもありました。aratamino.com/#!humanfishont…

2016-07-17 23:47:33
Y.Tsutsumi @Tsutsumi1976

横浜から帰り次は東雲で『人間と魚が浜』を観る。数多くの発泡スチロールの箱で作られた真っ白な舞台装置を背景に模索される、釣り人としての人間と物言わぬ存在である魚との共存の形。そしてそれは楽天的には終わらない。作品に寄せる言葉で作者が釣り人と兵士の類似性に言及してる点も示唆的でした。

2016-07-17 23:56:15
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