健常者と障碍者について

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光岡英稔 @McLaird44

鹿児島にある“しょうぶ学園”の福森所長のように、まず何が「健常者」と「障害者」と言うことの自体から見直す必要がある。何が健常で、何が障害なのか、私自身もそうだが自ら健常であるとは到底思えない。⇒ twitter.com/yuumizuki/stat…

2016-07-27 13:18:10
水城ゆう @YuuMizuki

障害者施設での刺傷・殺害事件で浮き彫りになるもう一つの大きな闇に注目が集まる temita.jp/kaigi/35270 @Temitajpさんから

2016-07-27 12:35:18
光岡英稔 @McLaird44

これから、この様な事件を起こさない為にも「しょうぶ学園」のような取り組みは大いに参考になること間違いないだろう。 twitter.com/yuumizuki/stat…

2016-07-27 13:18:19
光岡英稔 @McLaird44

ちなみに健常者と障害者の語源は英語の「Handicapped=障害者」「Normal,Healthy=健常者」である。⇒ twitter.com/yuumizuki/stat…

2016-07-27 13:28:34
光岡英稔 @McLaird44

以前にも書いたが、何が「健常=Normal、Healthy」なのか、また障害者の語源である「Handicap」や“Disabled”や“Disordered”の意味を分かって其の言葉を使っているのか等が気になる。⇒

2016-07-27 16:44:26
光岡英稔 @McLaird44

ちなみに 障害者の語源の一つである“Handicap”の語源は英語の「Hand in cap=帽子の中にお金をおき、三人が物々交換をしながら罰金をもらうゲームの名前」で、⇒

2016-07-27 17:11:01
光岡英稔 @McLaird44

三者が公平にすると三人が皆が満足できるWin,Win.Winシチュエーションになる三者トリプル・ウィン・シチュエーションにもなり得るが、誰かが1人だけ得をしようとすると其の人が痛み分けか損をする様になっているゲームであるとされている。⇒

2016-07-27 17:16:57
光岡英稔 @McLaird44

また、後に其のゲームの定義を競馬などに当てはめ実力差にハンディキャップを付ける意味へと変わって行ったことも伺える。このハンディキャップのゲームに関する解説は語源と共に英語のグーグルで見れるはずですので御参考に。⇒

2016-07-27 17:17:33
光岡英稔 @McLaird44

身体的な障碍、障害の「disabled」にしても「able=できる」を「dis=否定=ディスる」であり、精神的な障害「disorder 」にせよ「order=秩序」を「dis=否定する、しそこなう、やめる、拒絶する」である。⇒

2016-07-27 17:34:18
光岡英稔 @McLaird44

そこで「何ができる」ことが健常なのか、また、どうなると「精神的に健常で健康」なのかが具体的に示されてない上で普通や健常、障害を語ることの矛盾を感じる。⇒

2016-07-27 17:35:45
光岡英稔 @McLaird44

また、以前にも書いたが「Health=健康」とは「概念」であるとWHOも記述している。⇒

2016-07-27 20:47:13
光岡英稔 @McLaird44

すなわち「健康」とは「概念=コンセプト=想像上のこと」であり「健全、完璧、普通な人間」もコンセプトでしかないので、私達が「普通で健全で完璧な人間」になろうとしている時には実在しない何かになろうとしている訳である。⇒

2016-07-27 20:51:34
光岡英稔 @McLaird44

この問題は根が深く、ヨーロッパ中世のデカルト以後共有され始めた機械論的な身体観の構築によって「完全で完璧なマシーンの様に思い通りになる身体=意識して操作できる“概念上のリアルな身体観”」を内部構築することから始まる。⇒

2016-07-28 08:19:57
光岡英稔 @McLaird44

その概念上の完璧で健全、完全な人間の理想像を近代から現代にかけて皆で共有するようになった訳であるが、その機械論的な身体観を規範とする健全で完璧な人間の集合体からなる社会形態を具現化しようとしたのがナチス・ドイツと其の思想の中心となる優生学(eugenics)である。⇒

2016-07-28 08:25:26
光岡英稔 @McLaird44

このナチス・ドイツが優生思想にて「遺伝的に劣っている障害者」を社会から排除しようとした背景と、その健常者とは違う “可哀想な障害者” を差別対象から保守対象へと変えて守ろうとしたアメリカなどの心理傾向や精神構造は同じ傾向や構造の表裏でしかないことに多くは気づいていない。⇒

2016-07-28 08:31:09
光岡英稔 @McLaird44

アメリカや日本に住んでいて「障害者は私たち健常者とはことなる可哀想な人達感」から来る無自覚な差別を垣間見ることは少なくない、そこには「無自覚にも遺伝レベルまで標準化された機械論的身体」を人間の規範とする優生思想が入り込んでいる。⇒

2016-07-28 08:34:22
光岡英稔 @McLaird44

父親や母親が自分の小さな子どもに良きことと思って言っているのだろうが障害を持つ人を見ては「poor people, we have to be nice to those with handicap, we are so lucky 」と言ったことが平気で語られている。⇒

2016-07-28 08:34:46
光岡英稔 @McLaird44

この心理傾向や精神構造の裏にはナチスの優生学的思想や身体観と余り変わらない感覚があることが伺える。誰問わず、なるべく相手に「be nice=良くすること、親切であること」には賛成だが、その様なやり取りに無自覚にもある健常者的優越感を感じずには居られないのは私だけだろうか。⇒

2016-07-28 08:45:25
光岡英稔 @McLaird44

私自身は自分を省みても時間の内蔵がなされ、過去と未来を想像想定できる障害がある故に先を思い悩み、今までのことを悔むことができると感じている。また、人と言う種は障害あるが故に特種なのかも知れないとも感じている。⇒

2016-07-28 09:13:17
光岡英稔 @McLaird44

人間には基準や標準や、いわゆる“普通の人”はなく、色々な人が居て、色々な地域に住み、色々な文化や風習があり、普通は時と場所で異なり適材適所にて個々が感じることである、とでもして置けないものだろうか。

2016-07-28 09:16:05
光岡英稔 @McLaird44

昨日、今日のツィートで一部アメリカ人が障害者を見て小さな子どもに良きことと思って言っている言葉は「poor people, we have to be nice to those with handicap, we are so lucky we are healthy」でした。

2016-07-28 16:55:50