【緩募】 90年代の雑誌『宝島』、『宝島30』とその寄稿者や紙面に詳しい人 なまとめ

90年代前半~中盤の雑誌『ダ・ヴィンチ』→呉智英→80年代後半~90年代前半までのサブカルチャー雑誌と話が移っていく。 話が多岐に渡ってきたので、シリーズにしてまとめ続けて番号を振るべきかもしれない。 これらのまとめの延長みたいな感じも。 続きを読む
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hiroyuki @hiroyuki_in

『ダ・ヴィンチ』は書評誌なのか

2011-02-14 00:01:48
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 書籍紹介雑誌って感じかな。私のダヴィンチ記憶は90年代末で止まってるけど。

2011-02-14 00:05:52
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture ぼくは創刊号からずっと買い続けてますけど、「書評誌」という印象はなかったもので。

2011-02-14 00:07:15
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 私は創刊号は持ってないですが、一桁時代ぐらいから00年前後ってところです。書評誌というよりは、国語教師が私的に本をお勧めするような感じに近い印象が。書評というようなまとまった記事の枠もなかったように思います。

2011-02-14 00:10:23
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture そうですね。初期の解体新書とかは当時高校生のぼくは面白く読んでました。ゼロ年代に入って雑誌の方向性が変わって書籍紹介メインのカルチャー誌っぽくなって違和感を覚えたんですけど、惰性で未だに買い続けてます。

2011-02-14 00:14:47
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 解体新書ってどんなことやってましたっけ? 今となっては掲示板の書き込みっぽい一行感想を集めた記事などをよく覚えています。

2011-02-14 00:18:03
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 一人の作家を取り上げて、年譜、エピソード、書誌、インタビューで数ページ使う連載記事でしたね。確か単行本にもなってたような。

2011-02-14 00:20:40
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in あー、そういえばそんなのありましたね…。北尾トロ編集長時代は、なんか「古書店のいい感じのおっちゃんを探す」みたいなゆるゆる記事もあった気がする。

2011-02-14 00:26:06
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 分岐点はコミック・ダヴィンチができて、その後コミックコーナーがどんどん増えていき、起用されるライターや記事の枠組みが少しずつ変化してきた00年代初頭かな、という印象。

2011-02-14 00:19:03
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 北尾トロは編集長じゃなくてライターですね。ゆる記事は今も続いてますよ。

2011-02-14 00:37:47
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in あれ、そうでしたっけ。北尾がとライター記事の目立つところにいたけど、あれはライター仕事というだけだったのですか。編集長とずっと勘違いしてました。

2011-02-14 00:41:53
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 長薗安浩→横里隆ですね。長園が『文學界』で小説家デビューしたときはちょっとびっくりしました。

2011-02-14 00:45:27
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 長薗安浩ってリクルート=メディアファクトリーに入社して就職ジャーナル編集長→ダヴィンチ編集長だったのですか…。文芸雑誌をまるで経由してないからこそのあの紙面だったのかな。小説家デビューして退社していたとは知らず、驚きました。

2011-02-14 00:54:29
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 私などよりはるかにダヴィンチ暦も長く読み返していそうなhiroyuki_inさんに尋ねてみたいんですが、90年代の初期ダヴィンチの特色や面白さは、高校時代に見たとき、どういうところにありました?

2011-02-14 01:21:20
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 暗に読書遍歴を晒せと言われてる気が・・・。ともかく、当時ぼくはSFミステリラノベしか読まない人間でしたが、あの雑誌は呉智英の連載が目当てで読み始めたんです。

2011-02-14 01:33:43
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture で、純文学にはまるで無知でしたが、買ったので他の記事にも目を通してみると、いろいろ面白そうな本があるなあ、と。一言で言えば、あの雑誌には愉快に啓蒙されてました。

2011-02-14 01:34:55
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture ちなみに呉智英を薦めてくれたのはあの石井文弘さんでした。

2011-02-14 01:36:03
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in ああ、石井文弘さんですか。素朴にわからないところもあるんですが、90年代前半~中盤ぐらいの当時って、呉智英は知られた著者だったんですか。たしか呉の漫画関連記事はあの頃が初期だというふうに思っていたんですが。私が呉を知ったのは小林よしのり経由でした。

2011-02-14 01:39:54
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in なるほど、なんか私と変わんないですね。呉智英の漫画エッセイを私もよく読んでました。90年代末の福田和也の文学者列伝エッセイも近い枠だったような記憶が。私もあの雑誌で啓蒙されて、いろいろ手を伸ばしたり。特集が作家単位でも時代単位でもなかったので面白かった。

2011-02-14 01:38:09
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 確かにその時期の呉は浅羽通明と同様に『ゴー宣』効果で一気にメジャーシーンに出たという印象はありますね。『ゴー宣』以前はぼくはわからないですね。知る人ぞ知る、という感じだったのかなあ。

2011-02-14 01:45:20
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in ですね、浅羽・大月がゴー宣に登場する前に呉は登場していましたがが(「以費塾」は88年開始)、96年に双葉文庫に一気に呉の本が入る。私が触れたのはその文庫化以降の歴史なのでよくわからないんですが、この双葉文庫入りもおそらくはゴー宣以降のものでしょうし…

2011-02-14 01:50:48
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in あー、調べてみてなんとなく読めてきました。81-86年の本は情報センター出版局、JICC出版局、ぺりかん社から出てますが(大半が双葉文庫入り)、JICC出版局というのは宝島社の前身なので、『別冊宝島』と『宝島30』の主要寄稿陣だったんじゃないでしょうか。

2011-02-14 01:56:35
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in 88年以降はメディアファクトリー、リクルート、双葉社から出て、前二者はダヴィンチ起用と重なるものですね。おそらく、宝島関連で書いていた記事が双葉社から単行本になっていたのでは。『宝島30』は読んだことがないんですが、たしか浅羽もここで書いていたのでは。

2011-02-14 01:59:25
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 呉に関しては宝島関連に限らず雑文を双葉社が単行本化してたような。立ち読み程度の記憶しかないのですが、『宝島30』は非アカデミズム系知識人が多く寄稿していた印象があります。

2011-02-14 02:04:15
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in ですね、双葉社が1988-96年の呉の動きでかなり重要な動きをとってる。単行本版の方は増えたことがないのですが、宝島30って当時どういう雑誌だったんだろう。

2011-02-14 02:09:22
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