- shitaratsukushi
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@ts_p むき出しの金属でできた階段が激しい音を立てる。 葉子は好美の部屋の前に来るといったん深呼吸し、玄関のドアのノブを握り締めた。 ゆっくりとノブを回すと抵抗なくドアが開いた。 「好美……?」 葉子は恐る恐る声をかけながら、ドアを開ききった。
2011-02-15 02:08:34@ts_p 「あ……ああ……うそ……好美……」 葉子はよろよろと二、三歩あとずさった。 玄関を上がってすぐの場所に好美が仰向けで倒れている。ロングTシャツから黒いレギンスを履いた素足が覗いている。両腕は狭く短い廊下に投げ出され、右手にはまだ携帯電話が握り締められていた。
2011-02-15 02:08:50@ts_p 鉄さび臭い空気が玄関中に満ちている。しかし、好美の着ているものや玄関には血液らしい液体などまったく見当たらない。 葉子は視線をゆっくりと好美の胸より上に移す。 好美の頭部を見たとき、葉子は悲鳴を上げるように口を開けた。悲鳴の代わりに苦い胃液が口に溢れた。
2011-02-15 02:09:05@ts_p 仰向けに倒れた好美の顔。その驚いたように見開いた目から下、鼻の途中から下あごまでがざっくりと大きなスプーンで抉り取ったようになくなっていた。 開ききったドアはきしみながら閉じて行き、葉子の視界から玄関に倒れた好美の姿を隠していった。
2011-02-15 02:09:22@ts_p 葉子は訥々と、刑事の神山(かみやま)に訊ねられるままに答えた。三日前に葉子に事情聴取したのも神山だった。 さすがに二度目ということもあり、特に今回は念入りに訊ねられた。 検視官が到着すると、遺体が右手に持っていた携帯電話が神山のもとに持ってこられた。
2011-02-15 18:42:56@ts_p 「話中だ……俺の声が聞こえるじゃないか……」 神山がいぶかしげに携帯電話の画面を覗き込んだ。通話時間はすでに三時間を越えている。 葉子はその様子をぼんやりと眺め、ようやく自分が携帯電話をまだ握り締めていることに気づいた。
2011-02-15 18:43:12@ts_p 「これ……」 葉子は力なく神山に自分の携帯電話を差し出した。 最初神山は意味がわからない様子で携帯電話と葉子を交互に見つめていたが、彼女の携帯電話を受け取って見てやっと納得したようだった。
2011-02-15 18:43:28@ts_p 「君、被害者と通話したままだったんですね」 神山の問いに葉子はこくんとうなづいた。 「斎条さん、君の携帯少し預かっててもいいですか?」 葉子はまた無言でうなづいた。涙が出ない自分を不思議だと感じていた。なんとなく今までのことが現実のこととは思えなかった。
2011-02-15 18:44:00@ts_p なんとなく今までのことが現実のこととは思えなかった。立て続けにこんな恐ろしいことが起こるはずがないと思っていた。 検視官の指示で担架が二階の好美の部屋から出てくる。そしてそのまま救急車に運び込まれるのを見て、好美は助かるのかなとありえないことが頭に浮かぶ。
2011-02-15 18:44:19@ts_p 神山は彼よりかなり年上の刑事と話し込んでいたが、まもなく戻ってきて、葉子に言った。 「携帯電話は今日中には返せません。それと調査のために携帯の中のデータを見たいんだけどいいですか?」 「はい……」 葉子はか細い声で答えた。
2011-02-15 18:44:38@ts_p 「返せることになったら電話をします。固定電話は持ってますか?」 「もってません……」 「学生だからなぁ……それじゃ、直接君の住んでるとこに持っていくけど、いいですか」 「はい……」
2011-02-15 18:44:52@ts_p 「じゃあ、とりあえず、もう帰ってもいいですから。ご協力ありがとう」 神山は忙しげに手帳にメモしながら言うと、野次馬を押しのけて事件現場に戻っていった。 気がつくとアパートのほかの部屋の住人たちは廊下に集まり、好美の部屋を覗き込んでいる。
2011-02-15 18:45:16@ts_p そして近所からも騒ぎを聞きつけた人たちが遠巻きに警察官やパトカーの様子を伺っている。 葉子の目にはその様子がまるでブラウン管を通してみる遠い出来事のように感じられた。 倒れた自転車を起こすとハンドルを押しながら、葉子は自分のマンションに戻った。
2011-02-15 18:45:31@ts_p (改行3) 葉子はベッドに腰掛け、呆然としていた。あまりにも衝撃的な事件が続き、事実として受け入れることができなかった。ほんの数時間前まで話していた好美。たった数日前まで元気だった裕香。二人がもうこの世にいないことが信じられなかった。
2011-02-15 18:52:17@ts_p すでに夜中の二時を過ぎていたが、寝られそうになかった。あと二時間もしないうちに深夜放送は終わってしまうだろう。ベッド脇のスタンドだけ付けた明かりの中、彼女は煌煌と光を放つテレビの画面を見つめていた。
2011-02-15 18:52:42@ts_p 彼女は膝を抱えて背中を丸めた。そのまま目を閉じて、ごろりとベッドに横たわり胎児の形に丸まった。 どのくらいそうしていただろうか。いつの間にか辺りは闇に覆われていた。これが夢だと彼女は察していた。 前方に白い影が見える。長い黒髪を下ろした白い人影。
2011-02-15 18:52:58@ts_p 素足が湿った地面をひそやかに走るひたひたという音があたりに響く。 白い浴衣を着た女の背中を葉子は見ていた。 女は髪をふり乱し、一心不乱にひたひたと地面をけって走り続けている。 どこへ向かっているのだろう。葉子はぼんやりと女の後姿を眺めていた。
2011-02-15 18:53:20@ts_p 女は両腕に箱を抱えていた。両腕の中にすっぽり収まってしまう、けれど小さすぎるわけもない箱。 ただの闇だと思ったが、皓皓とした白月が墨をこぼした天上にぼんやりと浮かんで見えた。 その白光にぼんやりと照らされた樹木の影が、濃い灰色の幽鬼のように闇に浮かび上がる。
2011-02-15 18:53:35@ts_p 女はその樹木の間を駆け抜けていく。 どこまで行くというのだろう。女の白い素足の裏が対照的に真っ黒に汚れている。 次第に女の向う前方が開けて見え始めた。
2011-02-15 18:53:51@ts_p 異臭の漂う、青白く燐光を放つ傾いた石の鳥居。もとは二本柱に石の笠木が渡してあったのだろうが、今はない。そのまた向こうに石の祠が見える。丸い石を組んで作った粗末な祠だった。 女はそこに向かってひたすら走り続け、二本柱を通り過ぎ、祠の前までやってくると、唐突に消えた。
2011-02-15 18:54:11@ts_p まるで穴に落ちたかのように見えた。 葉子はじっと息をひそめて女が再び現れるのを待った。 しかし、黒い霧が辺りを覆い始め、葉子は闇から拒絶されたように遠ざかり始めた。
2011-02-15 18:54:24@ts_p 葉子は講義を受ける前に、裕香と自分が所属するサークルの部室を訪れた。 部室の扉にはレポート用紙にマジックで黒々と「コミュニケーションクラブ」と書きなぐっている。 しかし、部室のプラスティックプレートには「電子計算機研究部」とゴシック体で印字していた。
2011-02-16 18:05:09@ts_p コミュニケーションクラブは院生の小西という男と葉子、裕香の三人だけのクラブだったため、人数的にクラブ成立の条件を満たせず、電子計算機研究部に間借りしている。 彼は自ら怪談サイトを作り、日夜怖い話を読みふけり、パソコンのキーボードをカタカタ言わせている。
2011-02-16 18:05:25