燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡 講演会「社会的画家・新海覚雄の軌跡」 講師:鳥羽耕史 府中市美術館[メモ書き]

メモ書きをツイートしたのでまとめた 2016年8月28日 14:00~ 府中市美術館常設展特集 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/jyosetu/ichiran/Josetsutentokushushinkai.html
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みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「またスケッチ「英霊と戦友(池袋より赤羽行き車中にて)」では、遺骨を遺族に届けようとしてる姿。戦争に対する批判的眼差しもある。貯蓄報国は例外で国や戦争に批判的な眼差しが彼の中心だったのではないか。

2016-08-28 22:34:23
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「自画像」終戦後に描かれたもので美術報国会も無くなり自分の信念のもと進んでいくという意識がみえる。その導きがケーテ・コルヴィッツ。新海が出版した本に序文を読むと1930年頃に出会い深く影響を受けているのが分かる。

2016-08-28 22:35:19
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「石母田正「歴史と民俗の発見」は大変重要な本だがコルヴィッツ「犠牲」が掲げられ、また魯迅にも影響を与えており当時アジア圏に非常に大きな影響を与えていた。

2016-08-28 22:36:15
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「コルヴィッツは子供を守るような母子像を描いおり、1963年の新海作品にもその図像があり、「ノーモアヒロシマ」では二人の子供を抱える母だ。

2016-08-28 22:36:22
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「ストロンチウムの恐怖では妊婦の恐怖を描くのだが、これは亀井文夫の映画「世界は恐怖する」という死の灰というストロンチウムで奇形児が生まれる状況を記録映画として作っていた影響であろうし、そのポスターと重なるところがあるのでは?

2016-08-28 22:36:41
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「町工場(1950年)」。外から見た工場は煙を上げている。また同タイトルの水彩画は工場内のスケッチだ。記録では大田区電業社で一週間滞在し制作したようで朝8時から午後4時10分が制作時間でそれは工場の就業時間だった。

2016-08-28 22:37:34
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「新海は勤労する人々の生きた姿をつかむために画家はもっと現場へ立つべきだと記録する。

2016-08-28 22:37:55
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「しかし実際の労働者が克明に描かれないのは、労働の邪魔になるところにイーゼルを置くわけには行かず工場長の指定した場所から描いたからだろう。その不満も述べていたりする。

2016-08-28 22:38:44
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「しかしスタジオで描くのでなく現場へ行き、その場で描いたものを作品として作る。ルポルタージュ的で現場で作品を作っていく、その発端が「町工場」であった。

2016-08-28 22:39:03
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「ある日の職安(1951)」。展示は習作だが、これは完成品の油絵がある。北京へ寄贈されたようだが現在どうなのか不明で調査が必要だ。

2016-08-28 22:39:48
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「奥の女性がうなだれる中心の女性の肩へ手をかけてるのだが、窓口で断れた女性に対し慰めているのだろう。その一方で次々と職安へ雪崩れ込んでいく人たち。現場で描いたスケッチをもとに油絵を仕上げたと思われる。

2016-08-28 22:39:58
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「画像の写真は「アトリエの田島君子さん」。国鉄三大事件、国鉄労働者が冤罪で捕まるのだが、その問題を世間へ喚起する運動があったりして、

2016-08-28 22:40:44
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「駅で自分で作った新聞を売っていた田島を招いてアトリエでデッサンをしてる状況だ。他にスケッチ「駅台の田島さん」など。

2016-08-28 22:41:03
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「田島さんは再軍備反対などを訴えて駅売り新聞をしてる人で、新居広治と共に木版で作品を作ったりしている。

2016-08-28 22:41:11
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「独立はしたが(1952年)」。これはアメリカ占領下から独立はしたものの、住む所ないボロボロの服を着た戦災孤児が川向うの米軍兵士とパンパンを眺めてる状況。独立後も米軍基地と周りの女性達はなんにも変わってないという社会風刺の絵であろう。

2016-08-28 22:41:41
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「独立はしたが」を見てこの国はどこだと思う?と小学生に尋ねた所、ベトナムと言われたそうだ。今ではとても日本とは思えない。しかし当時はまだあった風景だ。

2016-08-28 22:41:56
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「1953年「内灘支援とスケッチ」。現場に入り作品を作ろうとしている。内灘は砲弾試射場を米軍がつくりそれに現地が反対し全国から人が集まった。どんどん拡張をする米軍とそれに呼応する機動隊、そして砲弾が着弾する様子もスケッチされる。

2016-08-28 22:42:26
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「鉄板道路」これは米軍が車両を通すため鉄板をひいたもので奥にはかまぼこ型兵舎がみえる。その手前にはみすぼらしい日本の住居がみえる。反対運動へ飛び込み絵を描く成果がでている。

2016-08-28 22:42:46
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「大作の「構内デモ(1955)」。スクラムをくみ鉄路を歩く人々の姿。国鉄労働会館からのオーダーで描かれ何度か海外展示したようだ。会館の象徴的な作品であり国鉄労働組合の二十周年、三十周年の記念本の表紙に使われるなど何度も使われている。

2016-08-28 22:43:08
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「日鋼室蘭支援(1955年)」、ここでは大規模なクビ切りがあった。また経済性追求から軍需製品の製造が計画され、写真を見るとまた再びこの工場から兵器を出すなと落書きがある。ここを描いたスケッチも残ってる。

2016-08-28 22:43:27
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「砂川闘争支援とスケッチ(1955~1956)」。現在の昭和記念公園の立川駅北口方面には当時米軍基地がありその拡張問題が起きた。そこで様々な人が入り込んだがその一人として新海も飛び込んだ。

2016-08-28 22:44:20
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「スケッチでは飛ぶ米軍飛行機と監視塔。日蓮宗の人たちも反対運動へ飛び込んでおり彼らをスケッチしている。誰が現場にいたか一枚一枚丁寧にスケッチを残している。

2016-08-28 22:44:35
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「抽象度を高めたような絵もある。「砂川基地闘争(1958年)」。座り込み土地を奪われまいとする人とそれを一人ひとり引き剥がそうとする人たち。表現の工夫が分かりどう闘争を伝えるか試みがみえる。

2016-08-28 22:44:52
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「「警職法反対運動(1958年)」。戦前のように警察官権限を拡張しようとした問題で幅広い反対運動があった。美術家も街頭へ進出署名運動もしそれが新聞記事になり日本美術会の新海覚雄が載っている。

2016-08-28 22:45:28
みそむーおでん @misoni_2013

鳥羽「美術の自由を守るため警職法へ反対するという横断幕を掲げた姿も写真に残る。また都美館だと思われる建物の前で写真を撮影しているが、社会運動をしていた何かかもしれない。

2016-08-28 22:45:43