NHKの「貧困女子高生」炎上問題。「相対的貧困」より、「潜在能力」概念で見る。

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イヌノオー@ @inunohibi

記者の目:「貧困」女子高生バッシング=西田真季子(生活報道部) - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20160…

2016-09-21 10:43:22
イヌノオー@ @inunohibi

「貧困たたき」する前に…相対的貧困の意味、知っていますか? news.nicovideo.jp/watch/nw2402413 #niconews

2016-09-21 10:54:49
イヌノオー@ @inunohibi

NHKで取り上げられた「貧困女子高生」がバッシングを受けた事件では、食べるものがない、着る服がないというような、「絶対的貧困」ではなく、「相対的貧困」であるという問題提起が改めてなされた。しかしこれではまだ、議論が不十分だと思う。

2016-09-21 10:43:43
イヌノオー@ @inunohibi

相対的貧困とは、全体の所得平均から、分布の底辺に位置する人たちを指すが、あくまで富裕層・中間層と比較しての話だから、反論も寄せられている。「豊かすぎる人がいて、何が悪い」と。彼らは、格差拡大そのものは決して問題にしない。

2016-09-21 10:44:04
イヌノオー@ @inunohibi

こういった議論の閉塞に対し、例えばアマルティア・セン(インド人の経済学者)が打ち出したアプローチ「潜在能力の実現」概念は、問題を深く考えるのに有効だと思う。「潜在能力」とは、たとえば絵の才能を持ったものが、絵の才能を十分発揮できるとか、要するに自己実現のチャンスである。

2016-09-21 10:44:50
イヌノオー@ @inunohibi

福祉がやるべきなのは、単なる「財」の平等ではない。自動車という「財」が平等に与えられたとしても、運転できるものには便利な移動手段だが、運転できないものには鉄の塊でしかない。センは「財」の平等ではなく、おのおのが「潜在能力」を発揮できる、自己実現の平等に着目する。

2016-09-21 10:45:56
イヌノオー@ @inunohibi

あるいは、食うものがないのは絶対的貧困であるが、政治的抗議のために断食して、結果餓死することは、本人にとって「誇り高い生き方」になるかもしれない。ここまで読んだ方には、「それは経済学というより、政治学や倫理学の問題ではないのか?」と思われるかもいるだろう。

2016-09-21 10:46:27
イヌノオー@ @inunohibi

その通り。センは経済効率の計算ばかりする、狭い経済学の限界を指摘し、現代の経済学がタッチしてなかった政治的自由や倫理の領域にまで切り込むのである。

2016-09-21 10:46:44
イヌノオー@ @inunohibi

富裕層の子弟は、好きにイラストの専門学校に進学できるが、低所得層の貧困女子高生はできない、というのは明らかに「潜在能力」アプローチにおける貧困である。

2016-09-21 10:47:10
イヌノオー@ @inunohibi

人によっては「イラストレーターなんて食える仕事ではない」という。確かに一握りの人間しか成功しない世界だろうが、それはあらかじめ決まっているわけではない。

2016-09-21 10:47:27
イヌノオー@ @inunohibi

富野由悠季氏は、もともとアニメの仕事を志望していたわけではなく、就職がうまくいかなかったため、アニメ業界にもぐりこんだといっている。彼が「アニメなんて食える仕事ではない」と思ってアニメ業界を受けなければ、ガンダムやイデオンは生まれていなかった。

2016-09-21 10:48:05
イヌノオー@ @inunohibi

あるいは「ハリーポッター」シリーズの作者、J・K・ローリングは、生活保護を受けている最中に、ハリーポッターを執筆していた。彼女に、「小説の執筆よりも、確実に稼げる仕事をやれ」と福祉の役人が強制していたら、ハリーポッターは生まれなかったかもしれない。

2016-09-21 10:48:39
イヌノオー@ @inunohibi

文化とはそういうものだ。食えるか、食えないか、名作が生まれるか、生まれないかは、結局のところ本人がやってみなければわからない。

2016-09-21 10:49:03
イヌノオー@ @inunohibi

貧困女子高生の部屋に写っていて、バッシングのもとになったアニメグッズや何度も見た映画のチケットも、イラストレーターとしての肥やしになるかもしれないし、ならないかもしれない。

2016-09-21 10:49:15
イヌノオー@ @inunohibi

しかし彼女の「潜在能力」が発揮されずに終わったとしても、「貧しいのにイラストレーターなんか目指すな」とバッシングしていたものの主張を、自己成就してしまうことになる。バッシングする連中は、どう転んでも安全な主張をしているわけで、これが下らない。

2016-09-21 10:50:03
イヌノオー@ @inunohibi

このネタに飛びついているのが、左翼をおちょくることしか能がないユーチューバーKAZUYAとか、生活保護をバッシングするしか能のない片山さつき議員というのは、象徴的であった。

2016-09-21 10:50:27
イヌノオー@ @inunohibi

参考文献。 アマルティア・セン―経済学と倫理学 鈴村 興太郎 amazon.co.jp/dp/4407028122/… @amazonJPさんから

2016-09-21 10:52:29
イヌノオー@ @inunohibi

前に書いたこと。 「貧困JK」炎上と「文化に踊る貧困層」 - Togetterまとめ togetter.com/li/1014328 @togetter_jpさんから

2016-09-21 10:53:40

追加

イヌノオー@ @inunohibi

追記。潜在能力アプローチは、社会環境によって相対的なものである。自動車がまだ発明されてない時代なら、自動車を買えるものと買えないものの格差は生じないし、イラストの専門学校が存在しない社会なら、進学できるものとできないものの格差はない。当たり前だが。

2016-09-21 11:39:28
イヌノオー@ @inunohibi

あるいは、政府の公共事業によって鉄道や道路が整備され、安い運賃のバスが普及しているなら、車がなくても快適な移動手段を持っているといえる。相対的貧困と重なり合う概念でありながら、「自動車」という具体的なものの有無に依存しない点で、潜在能力アプローチは優れている。

2016-09-21 11:39:55
イヌノオー@ @inunohibi

センに対しては、そんなすべての人が自己実現できる「達成の平等」なんてあるのか、という批判がある。とりあえずの答えは、完璧に実現できなくても、目指すのはいいことだ、といえる。

2016-09-21 11:40:28
イヌノオー@ @inunohibi

身体障碍者が、機械や福祉の助けを受け、より快適に、より才能を発揮して動けるのはいいことだ。「生まれつきの身体に応じて、つつましく生きろ」という考えは、表向き否定されている。

2016-09-21 11:40:49
イヌノオー@ @inunohibi

ここで問題なのは、生まれ育った家庭環境に応じて、イラストの専門学校に進学できる・できないの不平等が認められるのか、ということだ。文化は平等であるべきなのか。不平等でもいいというなら、どこまでなのか。軽薄なバッシングに乗らず、考えるべきだろう。

2016-09-21 11:42:15