東浩紀さんによる『この世界の片隅に。』評から、アニメの背景の機能と柄谷行人の「風景の発見」との関係、アニメの本質についてつぶやきまとめ。

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東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

この世界の片隅に。見ました。大変よかったです。これこそがアニメーションというものなのだ、と思いました。また書きます。

2016-11-20 17:17:21
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

柄谷行人は「風景の発見」こそが近代文学の内面を作り出したと説いた。それを援用してみる。風景とは映像表現では背景である。アニメでは背景美術である。背景がリアリズムを志向し他方でキャラクターだけはデフォルメして描かれる、その二重性が広く受け入れたときアニメは「自然」なものに見える。

2016-11-20 22:18:41
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

しかしむろんその「自然」は欺瞞である。それは現実を覆い隠す欺瞞にすぎない。その点で「君の名は。」の「美しい」「リアル」な背景は欺瞞の完成である。他方で「この世界の片隅に」はどうか。この作品では背景とキャラクターは分離されない。否、背景が絵にすぎないことがむしろ幾度も強調される。

2016-11-20 22:22:40
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

アニメーションの本質はなにか。それはすべて嘘だということである。すべて現実ではないということである。だからそれは解離の表現に向いている。「この世界の片隅に」は解離の作品である。すずは戦争から解離している。だがその解離こそが現実であり生なのだというのが本作の主題である。

2016-11-20 22:25:24
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

アニメはリアルな戦争は書けない。しかし人間もまたリアルな戦争など感じることができない。僕たちは現実を絵のようにしか見れないのかもしれない。むしろそのことでこそ僕たちは生き続けるのかもしれない。「片隅に」は、アニメという媒体の特性を活かして、その解離と生の関係を描いた傑作だと思う。

2016-11-20 22:28:13
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

アニメには二つ方向がある。「僕たちもアニメのように美しい現実を生きている」と訴える方向と「僕たちは現実すらアニメのように解離して捉えているのかもしれない」と描く方向。「君の名は。」が前者だとすれば「片隅に」は後者である。好みはひとによって分かれよう。しかしぼくは後者を好む。

2016-11-20 22:30:41
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

言い換えれば「君の名は。」は背景が物語に奉仕する作品。嘘の自然が視聴者の感情移入を支える作品。それはとても近代文学的。でも「片隅に」は違う。そこでは背景は背景として自立していない。すずは背景と物語を分離できない。でもそれこそがすずの生きる力になる。それは病者に力を与える作品。

2016-11-20 22:35:33
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

以上。メモみたいなものなのでこの文章だけでは伝わらないと思いますが、詳しくはいずれ。柄谷の風景批判とアニメの「背景」の機能の関係については、いつか書くべきかもしれません。これはアニメだけの問題ではなく、「人間を描く」とは何かに関わる哲学的な問題のような気がします。ではまた。。

2016-11-20 22:37:29
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

「この世界の片隅に」が反戦映画じゃないからダメだとか、その逆に反戦映画じゃないからいいとかいう論争が起きているのを見て驚愕した。寝よ。。

2016-11-21 00:57:10