映画「この世界の片隅に」の細かすぎるこだわり
これの中に登場するすずさん?はメタな存在。 twitter.com/katabuchi_suna…
2016-11-18 04:19:54【放送予定】 復興支援ソング「花は咲く」アニメ版 11/20日(日)(19日深夜)午前3時35分~ NHK総合 キャラクター こうの史代 監督 片渕須直 nhk.or.jp/ashita/themeso… #この世界の片隅に
2016-11-18 04:17:51半月くらい前に「タイムスリップ物の方が、ストレートな歴史ドラマより厳密な考証が必要なんじゃないか」てなことを呟いたんですが、『この世界の片隅に』を観た時、「そうそう、こういうことなんだよ」と思ったのね。あれは観客が代理人抜きでタイムスリップする映画。
2016-11-18 06:59:29@masyuuki 公開前に映画祭で観た江古田の4年生が「映画を観てた感じじゃない、昔の人の横に立って覗いてる感じがした」というので、ああ、タイムマシンみたいなんだな、と受け取りました。
2016-11-18 08:56:13@katabuchi_sunao 世代が違っても大丈夫だと思うのは、僕は都市のサラリーマン家庭出身で、周りも同様の環境の人達の間で育ち、そんな光景は見たこともないはずなのに、すずさんが海苔を卸しに行く冒頭で、「あ、懐かしい!」と思えてしまったからなんです。
2016-11-18 09:15:43@katabuchi_sunao 船上での口上で「ああ良い子だ」と思い、風呂敷包みを担ぎ直すところで、いちど涙腺が緩みかけました(^_^;)
2016-11-18 09:27:05以前に呟いた記憶がある友達の話。ちっちゃな頃、お祖母ちゃんに「戦争になると食べたい物も食べられなくなるんでしょう?」と心配して訊いたら、戦中派のお祖母ちゃんは「大丈夫、慣れるから」と答えたそうな。『この世界の片隅に』を観てる時、何度もこの話を思い出してました。
2016-11-18 11:27:00「慣れるから」という怖さと「大丈夫」という逞しさ。ディストピアではあるんだけど生きて行くんだ。生きるためには笑いやささやかな喜び楽しみが必要だし、人はそういうものを見つけて生きて行くんだ。という感じかなあ。
2016-11-18 11:45:20@hfw_motoo 素晴らしい再現ですね。昭和5年当時の青森市新町にあった松木屋前とそっくりなので、タイムスリップしたような感じです。 pic.twitter.com/41U2N8KanC
2016-11-18 08:23:14作画や時代考証の緻密さが抜群! 使用されている効果音も、実際のものを使用しており、細部に至るまでこだわった作品である… twitter.com/hfw_motoo/stat…
2016-11-18 11:10:20「この世界の片隅に」応援。一番右の男性が高松翠さんのお父さんですね。高松さんは映画を見てお父さんを確認されました。お隣の女性が土肥ヨヲさんなのですね。写真を拝見したことしかありませんが、特徴をよくとらえてあると思いました。みんな本当にこの町にいらした方です。 pic.twitter.com/h1IjvtTi65
2016-11-16 21:13:23多分してます。呉市では民家への迷彩が一斉実施されてるし、呉、その他を問わず校舎の迷彩例は多く、黒色が使われてます。大きい建物はタール系塗料主体と思われ 。民家では朱墨使用例と思しきものあり。通達元はないむしょうかも。 twitter.com/uchujin17/stat…
2016-11-18 11:36:37校舎墨塗りの話。こういうバカバカしい戦中の出来事はとかく「日本軍の愚劣な指示が…」と語られることが多いけれど、たぶん軍は「夜間空襲に備えよ」とは指示こそすれ、「生徒に墨を摺らせて校舎を黒塗りせよ」なんて言ってない。校舎を迷彩せよと指示したかどうかも疑問。
2016-11-18 11:29:18「この世界の片隅に」応援。2014年、ヒロシマ・フィールドワークは、すずさんが通る道筋にあったお店の方にお話をしていただきました。緒方さん(丸二屋・化粧品屋)さんはすずさんが通った時は、5歳。濵井さん(理髪館)は、まだお母さんのおなかの中。高橋さん(写真館)は、4歳でした。 pic.twitter.com/eNbnUWxmgJ
2016-11-18 20:07:03「江波に生きる」を読まれた方から電話。どんでんどんの祭やお盆には屋台が出ました。松下商店では花火を買いました。向かいのお店ではところてんを買いました。戦後の話ですよ。なつかしいなあ。山文の前でどんでんどんのがっちんこをしていましたね。太鼓を叩く人が血だらけになったのを見ましたよ。 pic.twitter.com/EpFXPJwKId
2016-11-19 11:19:39「江波に生きる」を読んだ方から電話あり。昭和30年の頃から急に海が汚くなりました。それまでは家の前で(山文のそば)泳いでいました。死んだ私のいとこは、本川を渡って吉島へ行っていました。江波の漁師は、宮島沖とか、包ケ浦とか、宇品沖にサヨリなどを捕りに行っていたんです。 pic.twitter.com/MJW5LVGdoD
2016-11-19 11:24:45@hfw_motoo 父親達は、子供の頃当時にはカブトガニ(ハチカメと呼んでいた)がたくさんいて、棒で叩き割り卵をとって食べていた😰 私ライブの時代では、偶に死骸が流れ着く程度でした。昭和40年頃まだ海苔をあの様に生産していました。実に懐かしく 忘れていた風景😇
2016-11-19 12:14:12twitter.com/hfw_motoo/stat… 呉市河川は 父7歳頃、広の大川の防波堤に掴まりながら独りで泳ぎ方を覚えたと言う。戦時中はまだ牡蠣とかが居たので、その場で食べたとかw母に成果報告し怒られるも腹は無事だった。 戦後は王子製紙の排水垂れ流し、河川汚染で貝など生物全滅ス❕
2016-11-19 13:41:36一応、映画の周辺情報として┅ 昭和20年頃の広町を調べたブログ hiromachi.com/wpwpwp/?p=1279 ↑ 米軍の日本各地の精密地図もあり 虹村、地下式重油タンク沖に飛行場とかw 戦後史に興味あるならなかなか楽しめる (*´・ω・`)b✴で有馬記念。 #この世界の片隅に
2016-11-19 14:23:20自分にとってすずさんはとても大切な人であるらしく、しかもいつの間にか半分以上実在する人になってしまってます。自分が感じるすずさんの存在をみんなにも知ってもらいたくて映画を作ったとっても良いくらい。
2016-11-14 23:17:25