201707福島の今【いわき~相馬】
- takaba_tokuko
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震災以降4度目の福島訪問につき移動中。1度目は自治体職員有志の会福島シンポジウム参加、2度目は知己の伝を手繰って立ち入り制限解除直後の南相馬を中心に案内してもらい、3度目はPMFJふくしま例会で大熊町&会津若松の仮設住宅訪問。 今回はPMFJふくしま例会2度目の参加として。
2017-07-01 07:15:22原発災害は、地域経済や自治体経営にとって良かれと選んだ道のバッドケースだと思う。原発誘致は当然に当時の議決を経ている。判断次第でこういうことになる、ということから目を反らしてはいけない。
2017-07-01 07:25:07以前の原発被災地訪問では、家々や商店は普通にそこにあるのに、そこに暮らす人はいない、沈黙の街があった。津波に洗われて1年以上そのままの姿があった。通りをイノシシが我が物顔で行くさまを見た。あれから更に時が過ぎて今どうなっているのか。
2017-07-01 07:32:57今回は行政経営のプロ、地域おこしのプロと同道する。まちから人が消え、戻って再建の道を進む過程を現地の方から聞き取りながら、まちとはなんぞや、地域とはなんぞや、そこで暮らすとはなんぞや、行政とはなんぞや、といったことを、自分の頭と感性で拾って来れたらと思う。
2017-07-01 07:37:51大熊町内の288号、路肩が削れている箇所が所々あって、イノシシが削ったものなのだそう。大熊→田村市に向かって、各地のナンバーの空のダンプが出てくる。除染作業で遠くの道県ナンバーがかき集められているそう。(バスがひたすら進むので写真撮れない)
2017-07-01 12:08:23家々の入口には全てフェンスが張られている。庭だっただろうところも草が繁って家の足元を被っている。「きれいなのは墓地だけです。一時帰ったときにお墓は掃除していくから」 と。 #大熊町 pic.twitter.com/dFaXdJVcyj
2017-07-01 12:15:36大川原地区の大熊町復興拠点。このあたりを造成して役場を作る予定とのこと。かつての役場は帰還困難区域にある。バスの中でお弁当。 #大熊町 pic.twitter.com/el2MOEuche
2017-07-01 12:52:19大野駅周辺のかつての市街地。窓ガラスが割れているのは、上の方は地震によるもの、下の方はイノシシによるもの。車も自転車もそのまま。 #大熊町 pic.twitter.com/isbhvFcFRu
2017-07-01 13:21:24集会所は津波で壁や戸がなくなった姿。まわりには家があったが津波で流されたとのこと。繁った草の間に流されて転がったままの形で錆びた車があった #大熊町 pic.twitter.com/YREM6N4sDP
2017-07-01 13:32:42「中間貯蔵施設建設について、住民合意に時間がかかった、という報道を耳にしたかもしれないが、住民は反対していたわけではない。環境省からなかなか説明がなかったのが理由。」 #大熊町 pic.twitter.com/jC0YuPGHBs
2017-07-01 13:43:00高瀬スクリーニング場通って #浪江町 へ 双葉町から浪江に入ると、伸びた草の丈から除染が進んでいることがわかる pic.twitter.com/CCsEWo6cn4
2017-07-01 14:24:59浪江町役場横に仮設商店街まち・なみ・マルシェ。浪江駅には観光タクシーが止まっている。立ち入り制限は解除されているが人の動きはあまりなく生活感のない静けさ。 除染が進み、やっとインフラ整備にかかっているところで、まだ日常生活は送れない環境なのだそうだ。 #浪江町 pic.twitter.com/SzvGLkrf4t
2017-07-01 14:30:06立入制限エリアの通過車両は、ダンプなど作業用の車だけ。家も田畑も置き去りの車も、草木生い茂り、時間が止まっているのではなく荒れる方向へ時間が逆行している #大熊町 #双葉町 立ち入り制限解除して少し経つところは、一般車両の往来はあるが空間に生活感がない #浪江町 20170701
2017-07-06 02:13:21小高区で有機農業を営む根本さん。根本さんの田んぼは田植えされているが、周りは野原になっているところも多い。耕作再開している農家は2割に満たないのでは、と。田に水を張らない=生態系が変わる。蛍はいなくなった、水鳥は再開したところを狙い撃ちする、とも。20170701 #南相馬市 pic.twitter.com/LRMYUVRutU
2017-07-02 20:19:55根本さん「震災後は一時相馬に避難したが、戻れるようになってすぐ戻ってきた。まだ隣近所は避難中で、身の安全のためそれまでなかった携帯を持つことに。試験栽培2年、数字が下がってきたから3年目安全な米ができると思ったが、数字が逆戻り。作付しても鋤き込むなど20170701 #南相馬市
2017-07-02 20:26:46根本さん「いいものをつくる、情報公開する、これに尽きる」。以前は作っていなかった酒米は、震災後縁あって作り始めた。被災を経て、齢80を過ぎて、新しいことにチャレンジし本当に楽しげに農業を語る姿。有機農業についてもお話いただいたがメモ追いつかず 20170701 #南相馬市
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