「リスク社会論」、「確率論的推論」、「リスクの社会学」の位置。
- contractio
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@eguchi1965 別言すると、〈被る/備える〉は、〈危険/リスク〉という区別(の説明をしたわけではなくて、同じ区別を)いいかえただけであります。
2011-03-20 22:07:56ある具合の悪い出来事について、それがリスクと呼ばれるか危険と呼ばれるかかは人々の実践(もうちょっとはっきり書くと考え方や行動)に依存するということですね? @contractio
2011-03-20 22:08:02@eguchi1965 はい。(危険・リスクについて考えるときには、人々がやっている「帰属実践」に即して事態を見てみたらどうか、という提案です。)
2011-03-20 22:10:00ある出来事がAさんに起こったときに、「あれはAさんが被ったことだ」と考えるか「あれはAさんがもともともっていた性質だ」と考えるかってことかな。まだわかりにくいな。
2011-03-20 22:11:50@eguchi1965 すでに小宮くんが指摘していますが、「統計的推論」では主題化されない事柄を扱うことができる、ということです。 http://togetter.com/li/113587
2011-03-20 22:11:52@eguchi1965 『概念分析の社会学』第二章は、ルーマンの謂う意味での〈危険/リスク〉の区別に着目したときに具体的にはどんな議論ができるかの例にもなっています。再読していただければ幸いです。 http://ow.ly/4i9oL
2011-03-20 22:15:30その区別をしてどうなるかというと、そういう「被った」「備えていた」という人々の判断と、現にどういう非難や同情が寄せられるかってことの関係がはっきりするだろう、ってことかな。
2011-03-20 22:13:45だいたいわかったようなわからないような。やっぱり責任とかそういう話になるんじゃないのかな。だったら責任や落ち度の話した方がストレートな気がするけど、そういうもんでもないか。
2011-03-20 22:15:12ちなみに、「責任帰属」とか「原因帰属」は、帰属実践の一例です。 危険/リスクについて 特に問題になるのは、「決定帰属」(「誰が決定したのか」に対する答え)。
2011-03-20 23:10:16これも表現がよくない。RT @eguchi1965: ある具合の悪い出来事について、それがリスクと呼ばれるか危険と呼ばれるかかは人々の実践(もうちょっとはっきり書くと考え方や行動)に依存するということですね? @contractio
2011-03-20 22:30:15もちろん、「〜である」ってのが一見すると人々の考え方次第であるようなことはたくさんあるんだけど。「責任がある」「悪い」とかってのは典型。
2011-03-21 01:43:53「それは人々がtwitterに参入する際にどの程度その環境について知っているべきであるとかんがえるかどうかに依存する」なのかな。
2011-03-21 01:47:39