「リスク社会論」、「確率論的推論」、「リスクの社会学」の位置。

チェルノブイリの原発事故、1986年。 ウルリッヒ・ベック『危険社会』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4588006096/datum-22 ニクラス・ルーマン『エコロジーのコミュニケーション』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4787707086/datum-22 続きを読む
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縮限 @contractio

@eguchi1965 別言すると、〈被る/備える〉は、〈危険/リスク〉という区別(の説明をしたわけではなくて、同じ区別を)いいかえただけであります。

2011-03-20 22:07:56
江口某 @eguchi1965

ある具合の悪い出来事について、それがリスクと呼ばれるか危険と呼ばれるかかは人々の実践(もうちょっとはっきり書くと考え方や行動)に依存するということですね? @contractio

2011-03-20 22:08:02
縮限 @contractio

@eguchi1965 はい。(危険・リスクについて考えるときには、人々がやっている「帰属実践」に即して事態を見てみたらどうか、という提案です。)

2011-03-20 22:10:00
江口某 @eguchi1965

@contractio そうみたいですね。すると、「被る」ことと「備える」ことを区別する意義はどういうことになりますか?

2011-03-20 22:09:00
江口某 @eguchi1965

ある出来事がAさんに起こったときに、「あれはAさんが被ったことだ」と考えるか「あれはAさんがもともともっていた性質だ」と考えるかってことかな。まだわかりにくいな。

2011-03-20 22:11:50
縮限 @contractio

@eguchi1965 すでに小宮くんが指摘していますが、「統計的推論」では主題化されない事柄を扱うことができる、ということです。 http://togetter.com/li/113587

2011-03-20 22:11:52
縮限 @contractio

@eguchi1965 『概念分析の社会学』第二章は、ルーマンの謂う意味での〈危険/リスク〉の区別に着目したときに具体的にはどんな議論ができるかの例にもなっています。再読していただければ幸いです。 http://ow.ly/4i9oL

2011-03-20 22:15:30
江口某 @eguchi1965

その区別をしてどうなるかというと、そういう「被った」「備えていた」という人々の判断と、現にどういう非難や同情が寄せられるかってことの関係がはっきりするだろう、ってことかな。

2011-03-20 22:13:45
江口某 @eguchi1965

だいたいわかったようなわからないような。やっぱり責任とかそういう話になるんじゃないのかな。だったら責任や落ち度の話した方がストレートな気がするけど、そういうもんでもないか。

2011-03-20 22:15:12
縮限 @contractio

ちなみに、「責任帰属」とか「原因帰属」は、帰属実践の一例です。 危険/リスクについて 特に問題になるのは、「決定帰属」(「誰が決定したのか」に対する答え)。

2011-03-20 23:10:16
江口某 @eguchi1965

これも表現がよくない。RT @eguchi1965: ある具合の悪い出来事について、それがリスクと呼ばれるか危険と呼ばれるかかは人々の実践(もうちょっとはっきり書くと考え方や行動)に依存するということですね? @contractio

2011-03-20 22:30:15
江口某 @eguchi1965

出来事を危険とかリスクとか呼んだらだめだと思う。

2011-03-20 22:30:33
江口某 @eguchi1965

言葉使いは難しい。でもこれって言葉使いじゃなくて私の理解がおかしいからだな。

2011-03-20 22:32:43
江口某 @eguchi1965

なんか面倒になってきたのでまたあとで考えよう。

2011-03-20 22:34:08
江口某 @eguchi1965

でもある人々が「危険」と「リスク」を使いわけている場合にどういうことを考えているのかはぼんやり理解したかもしれん。

2011-03-20 22:36:02
江口某 @eguchi1965

たとえば上野先生がこれからtwitterでいろいろ攻撃くらうとき、それはリスクなのかな危険なのかな。

2011-03-21 01:39:54
江口某 @eguchi1965

それは人々の実践による、ってことになるかな。

2011-03-21 01:40:23
江口某 @eguchi1965

このタイプの思考はわたしにはわかりにくい。

2011-03-21 01:40:58
江口某 @eguchi1965

ひとつは、「人々が考えていること」と「〜であること」はずいぶん違うような気がするから。

2011-03-21 01:41:27
江口某 @eguchi1965

もちろん、「〜である」ってのが一見すると人々の考え方次第であるようなことはたくさんあるんだけど。「責任がある」「悪い」とかってのは典型。

2011-03-21 01:43:53
江口某 @eguchi1965

こういう道徳的な性質はやっかい。

2011-03-21 01:44:29
江口某 @eguchi1965

(「性質」と言えるかどうかさえわからんほどやっかい)

2011-03-21 01:44:41
江口某 @eguchi1965

「上野先生はネットで叩かれる危険を冒している」と「上野先生はネットで叩かれるリスクを冒している」を区別するのはいったいなにか?

2011-03-21 01:46:30
江口某 @eguchi1965

「それは人々がtwitterに参入する際にどの程度その環境について知っているべきであるとかんがえるかどうかに依存する」なのかな。

2011-03-21 01:47:39
江口某 @eguchi1965

だいたいその「実践」なるものを実践している主体が誰なのかわからんし。

2011-03-21 01:48:48