宇野さんと豊崎さん
- motidukisigeru
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こうもおっしゃってます。「後藤(和智)は、『「ニート」って言うな!』の自分の文章は、名指しで批判しているところが特徴だとか言っていたが、何ものかを批判するのに、誰が言っているか明らかにするのは学問のいろはであって、誰が言っているのかはっきりさせずに批判するのはデマゴーグである」
2010-03-30 19:00:35.@y_kurihara 『書評王の島』をきっちり挙げているのだから、誰にでも分かる。それは名前を伏せた、とは見なしません。
2010-03-30 19:21:07宇野が批判対象の名を伏せるのは常習で豊崎さんのこの件にかぎったことではありません。おれもやられました。それについてはどのようにお考えですか? RT @tonton1965 『書評王の島』をきっちり挙げているのだから、誰にでも分かる。それは名前を伏せた、とは見なしません。
2010-03-30 19:30:59.@y_kurihara それはそれで文句言って下さい。私は前から、上野千鶴子でもいいことを言う、というスタンスであることは、ご存知のはず。
2010-03-30 19:33:44そのロジックでいくと、名前を出していなくても批判対象が「誰にでも分かる」ようにほのめかしてあればOKということになりませんか? RT @tonton1965 『書評王の島』をきっちり挙げているのだから、誰にでも分かる。それは名前を伏せた、とは見なしません。
2010-03-30 19:39:21.@y_kurihara 書名が出てるんだから、いいのでは。たとえば「何々なもてない男は」で私を仄めかすのは(平川先生みたいに)のは嫌だけどね。
2010-03-30 19:44:42もちろん、本当の問題は豊崎さんではなくて、純文学の世界で、文藝誌が推したい作家を批判すると干されるような現状です。宇野君はそのことを言っていると思う。
2010-03-30 19:36:03しかし、文芸誌に干される干されないみたいな話になっているけれど、去年一年間は文芸誌全部に目を通していたが、豊崎さんの書評が載ったのは見落としがなければたしか一回だけ(『新潮』だったか)、それも外文だった。干されるもなにもないような。
2010-03-30 21:06:39.@y_kurihara 私は『新潮』には何ひとつ書いていない。書かせてもらえない。河野多恵子は私の文章を不法引用した。それより、栗原さんは『センセイの鞄』『海の仙人』『私の男』などをどう思いますか。
2010-03-30 21:12:41@tonton1965 急に振られましても書評を書いたわけでもないので記憶が…。『センセイの鞄』は感心しませんでした。『海の仙人』は「ファンタジー」といわれて「ああ、あれか」というくらいの印象しか残ってません。ので読み返さないとなんとも。『私の男』は未読です。
2010-03-30 21:22:16.@y_kurihara 豊崎さんは『文藝』にも書いているし、『群像』の合評会などという、私から見たら神々の集う場所みたいなところにも出ている。
2010-03-30 21:23:11@tonton1965 以前はそうだったかもしれませんが、去年は見落としがなければ(あるかも)書評一本ですし、今年は文芸誌ではお見かけしてません。小谷野さんのデンでいうなら、すでにもう干されているようなものじゃあないですか。
2010-03-30 21:29:35.@y_kurihara うん、だからそういう、若手女性純文学作家に豊崎さんが甘いのではないかというのが、せまい意味での論点でしょう。
2010-03-30 21:28:48@tonton1965 それは宇野と小谷野さんの論点で、おれは口挟んでないですよ! つーかおれにとっては宇野が文芸誌に書いているということのほうがよほど謎ですが。
2010-03-30 21:37:17まあ十年以上にわたって、一誌以外の文藝誌から無視され続けると、俺のような人間ができあがるというわけだ。しょんぼり。
2010-03-30 21:30:17だがたとえば、川上弘美の最近のこれこれはいいとか、桜庭のこれこれはいいとか、未読のものを提示されたら、それは読む。「ひとり日和」について豊崎さんと意見が違うのは、誤差の範囲内と思う。
2010-03-30 21:33:36.@y_kurihara まあ、それは分からん。四月一日が来ると、刑事で有罪になった評論家が教授になっていたりするから。
2010-03-30 21:35:47.@y_kurihara 田中和生といい、文藝誌は謎が多すぎるかもね。文藝誌は問うても答えないで「新人賞応募作品」として処理されてしまうから。
2010-03-30 21:38:30