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.@wakusei2nd 「僕はもう氏(市川真人=前田塁)に荷担できない」

早稲田文学 純文学 サプリメント 文学 文芸誌 市川真人 宇野常寛 批評 前田塁
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@kikuchi_kun
たとえば、市川さんの文学も宇野さんの批評も、どっちも必要だしどっちも必要だからこそ「闘技」することの必然性があるのですよたぶん。
@kikuchi_kun
文学/批評市場を盛り上げるための新たな回路の一つとして、宇野さんみたいな「プロレス的批評」の形態は、まあうまいことやってるなぁ、と。
@kikuchi_kun
ところでサプリメント仮説って本当に正しいのかね。みんなコンテンツに承認されて本当に嬉しい?コンテンツを消費することで、そのコンテンツの背後にある「われわれ」の繋がりの社会性を担保することが、承認欲求を一時的に充足させるある種のサプリメントだ、みたいな話なら分からんでもないけども。
@kikuchi_kun
その「われわれ」的なある種の選民意識(特に文学みたいな市場規模では)を担保するための「サプリメント」としてのコンテンツって、ある程度のクオリティを保持しなければ共同性を維持するだけの強度を保ち得ないという意味で、「サプリメント」として機能するだけマシなんじゃねとか思うけどなー。
@kikuchi_kun
「これって私!」的な共振的フィクションの想像力を(純)文学/文芸評論とかに求めてる人いんのかよ、と。
@kikuchi_kun
あずまん参戦でさらにねじれががが
宇野常寛 @wakusei2nd
イベントが近くなってきたので、露払い気味に言っておく。先日、某バーで市川さんと口論になったとき東さんが一部をUST中継していた)、彼は僕にこんなことを言った。「僕は君みたいな恵まれた環境にいないんだ」と。
宇野常寛 @wakusei2nd
これには本当に頭にきた。市川氏はこれまで一度でも、早稲田とか近畿大とか文芸誌とか、文壇サークルの権威なしで活動したことがあるんだろうか? 僕や、同世代のほかの論客たちがブログやミニコミから出発して在野で活動するのにどれだけコストを裂いているか、考えたことがあるんだろうか。
宇野常寛 @wakusei2nd
たとえば僕がPLANETSの記事をつくるときに、僕が評論を書いていることを知っている取材先は3割もない。批評系の媒体であることはむしろ足を引っ張るくらいだ。もちろん、僕の雑誌に権威なんかない。けれど、僕はどうしてもそれを取り上げたいから取材するのだ。
宇野常寛 @wakusei2nd
市川さんの先の発言は、ほんとうに残念だった。そして真剣に思うのだが、氏にはぜひ文芸誌も大学もブランチも切り離したところで、一度自分の文章だけで評価を世に問うてみたらどうだろうか。編集者としてのメディア作りでもいい。僕にそんなことを言うのなら。
宇野常寛 @wakusei2nd
僕は先輩編集者として彼を尊敬してきた。しかし今年の春~夏ごろから名前を出さずねちねちと僕(及びゼロ年代系のサブカル批評)をあてこするようになってきた。僕は悲しかった。異論があるのなら堂々と批判しあえる関係が築けていたからだと思っていたからだ。
宇野常寛 @wakusei2nd
こんなやり方は卑怯じゃないかとメールを出した。けれど、いつものようにのらりくらりとかわすようなメールが帰ってきたので、これはダメだと思った。だから一ヶ月以上間を置いて、直接問い詰めることにした。それがバーでUST中継された一件。そして例の決定的な発言があった。
宇野常寛 @wakusei2nd
ああ、これが本音かと心底悲しかった。そして、さすがに僕はこの発言を許すわけにはいけない。市川さんにはいままで散々お世話になってきたが、これはさすがに。
宇野常寛 @wakusei2nd
しかし、まあ、なんで一部の文学関係者はさんざん権威をかさにきて、既存のシステムに胡坐をかいておきながら自分たちこそ革命者で、マイノリティで、市場の暴力に抗う繊細なレジスタンスたちだと自称できるんだろうか。本当に謎だ。
宇野常寛 @wakusei2nd
ちなみに、市川さんがやろうとしていることは、結局文学の範囲を既存の(純文学系)文芸誌小説を中心に維持することで、僕は単純に害悪だと思うけどね。それ自体の定義更新能力を失った状態を是とする態度って、知的なものとも「文学」的なものとも極めて遠いものだと思うけど。
宇野常寛 @wakusei2nd
ちなみに、僕は意外と陰口が嫌いなので本人にも既に以下のことはかんたんにですが伝えてあります。僕と出会った頃、市川真人にとってたぶん「文学」(文芸誌小説中心の偽文学だが)は手段だった。しかし今の氏に取って偽文学の維持は目的になってしまっている。僕はもう氏に加担できない。
宇野常寛 @wakusei2nd
昨日のツイート(メール事件?)以降、なんか妙に尋ねられるのでかんたんに説明しておきます。普通に考えて、数年前はラノベとかケータイ小説とか、文学というかテキストのフィクションの機能それ自体の変化を問う動きが相応にあったはずなのに、それはめっきり後退してしまった。
宇野常寛 @wakusei2nd
代わりに台頭してきたのが「文学好きの君たちは正しい」というヒーリング商法。もちろん、すべての表現があるレベルでは情報となり、サプリメントとして機能してしまうことは不可避なので、このこと自体は僕は否定しない。
宇野常寛 @wakusei2nd
そういうメッセージで「勇気付けられる」人もいるでしょう。「教科書をつくる会」だって(僕は大嫌で、別のレベルで批判しなければならないと思うけれど)勇気付けられた人はいたはずだし。
宇野常寛 @wakusei2nd
しかし、彼らは一方では情報化を、サプリメント化を批判し、自分たちは市場の画一性に抗っているとか吹聴しておきながら、結局そこそこのサプリメントを自給自足して悦に入っている。この無自覚さこそが表現にとって、文化に取ってもっとも致命的な鈍感さじゃないかと思う。
宇野常寛 @wakusei2nd
今は純文学(と権威付けられているある種のコミュニティに奉仕する小説群)よりも、その小説を読んでいるあなたがたは正しいのだと耳元で囁いていくれる本が10倍売れる時代。それ自体の是非は(あくまで)一度おいておくが、この状況が示しているものは明らかだ。それを間違えちゃいけない。
宇野常寛 @wakusei2nd
誤解のないように言っておくと、僕は現存の文芸誌小説が全部くだらないなんて言うつもりは毛頭ない。しかし、たとえば『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』のあとがきに見られるような、最近の市川さんのつまらないあてこすりと自己正当化については、本当に悲しく思っている。
宇野常寛 @wakusei2nd
何が悲しいかというと、当時前田塁(=市川真人)が文學界に書いた「ゲーリア」の書評あたりを読めばわかるのだけど、氏は本当は今世界に何が起こっているのか理解している。しかし実存と人間関係の問題からその理解を拒否している。
宇野常寛 @wakusei2nd
現実に抗うのは尊いことだが、僕は氏はその抵抗の方法を間違えていると思う。
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