『見たままを書く』ということが、いかに難しいか…伊勢湾台風の被災地を取材した新聞記者の話

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抜井規泰 @nezumi32

「ひが〜あしぃ〜」と、呼び出しが声を張り上げる国技館の「東」。でも実際の方角は、なんと北。そんな相撲コラムを書いている新聞記者。元大相撲三賞選考委員。元ベストナイン&ゴールデングラブ賞選考委員。玉成会研究室の落ちこぼれ。朝日新聞で「角界余話」「広重が描いた江戸」連載中。趣味は芝刈り。ベストスコア79。「いいね」は付箋

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抜井規泰 @nezumi32

この会社で学んだこと① 1995年秋 「2年生記者研修」にて 籔下彰治朗・元朝日新聞編集委員 《(前略)あなた方にはいま、自分は見たままを書けるという自信があると思います。入社以来、徹底して見たままを書けばいい、率直に書けばいいとの教育をされていると思います。》

2019-07-03 08:26:33
抜井規泰 @nezumi32

《みなさんも見たままを一応書けるという意識をお持ちだと思います。しかし、本当にそうなのだろうか。見たままを書くということはそんなにたやすいことなのだろうか》

2019-07-03 08:31:14
抜井規泰 @nezumi32

《1959年9月26日。忘れもしません。このときに伊勢湾台風という超弩級の台風が東海地方を襲いました。私は当時、津支局(現総局)におりました。5千人も死んでいます。発生直後に支局から現地へ入りました。》

2019-07-03 08:31:55
抜井規泰 @nezumi32

《見渡す限り死体です。泥海の中に死体がプカプカ浮いているんです。何百という死体が腐敗して、パンパンにふくれあがって、皮膚が紫色や青色に変色して、しかもテラテラに光っているというものすごい光景でした。真っ昼間から夜にかけて、切れ残った堤防の上で何十カ所と火が燃えている。》

2019-07-03 08:32:46
抜井規泰 @nezumi32

《廃材で肉親の死体を焼いているわけです。度肝を抜かれました。何も書けやしません。立ちすくみました。それでも書かなきゃいかん。がんがんデスクから原稿を送れと言ってくる。》

2019-07-03 08:33:38
抜井規泰 @nezumi32

《それで私はどうやったかというと、見たままを書くつもりで、一生懸命、見たままを書いたんです。死体が浮いている、牛や馬も膨れあがって浮いている、水面下に家の土台の跡やら、ガッチャンポンプの影が見える。そんなような話。》

2019-07-03 08:34:29
抜井規泰 @nezumi32

《で、死体がいたるところで焼かれている、堤防の上にはヘビの固まりがある、なんていうような話をさかんに書いたわけです。》

2019-07-03 08:35:14
抜井規泰 @nezumi32

《ひたすら私は見たままを書こうと思った。一生懸命、見たままを書くことが真実の報道だと思っていました。そして毎日毎日、その泥海を見て泣きながら―本当に恥ずかしいですが、涙で文字が書けないんです。そんな状態の中でこの事実を克明に報告することが記者の任務だというふうに思っていました。》

2019-07-03 08:35:56
抜井規泰 @nezumi32

《これだけの大災害です。土地を造成した建設省や農水省も、県などの自治体も、それから企業も、鎌倉時代以来の大災害である、不可抗力の天災であると大宣伝しました。》

2019-07-03 08:36:44
抜井規泰 @nezumi32

《私も被害のあまりの大きさでたまげちゃったから、これはもう不可抗力だと、そう思いました。そんなふうな調子でいくつも原稿を書きました。》

2019-07-03 08:37:19
抜井規泰 @nezumi32

《それから十数日たったんですね。当時、東京社会部で最も優秀な書き手と言われて、最後は編集委員でおやめになった疋田桂一郎さんという方がいらっしゃいます。この疋田桂一郎さんが当時、東京社会部の遊軍記者をしておられて、ルポを書くため現場にやって来られました。》

2019-07-03 08:37:57
抜井規泰 @nezumi32

《もう、災害から2週間もたっているんですよ。どんな取材をなさるのだろうと思って、私たちは見ていた。音に聞く東京社会部の書き手だということで、本当に、かたずをのんで見ていた。》

2019-07-03 08:38:48
抜井規泰 @nezumi32

《我々は毎日、泥水につかって取材してるんです。水にぬらさないよう、頭に無線機を乗せて、原稿用紙を乗せて。ところが、あの人はボートに乗って、ぐるっと被災地を回って来られただけです。と私には見えた。腹が立ちましてね。東京なんていうのは結構なもんだな、と。》

2019-07-03 08:39:34
抜井規泰 @nezumi32

《地方の我々はドブ水につかっているのに、こんな優雅な取材で済ましてしまうのか、なんて思っていました。変なものを書いたら笑ってやろうなんて、思い上がった気持ちでおりました。》

2019-07-03 08:40:12
抜井規泰 @nezumi32

《10月9日です。これも忘れません。朝刊社会面をつぶして、疋田ルポが載りました。見た瞬間、思わずうなっちゃったのです。声が出ないんですね、衝撃で。》

2019-07-03 08:40:51
抜井規泰 @nezumi32

《不可抗力だと我々は書きなぐっていた。大企業、MやDなんかの企業も、自治体も、農水省も建設省も、そう大合唱をしていた。だから5千人も死んだのだ、などと言っている。ところが疋田さんのそのルポルタージュは『機械は残った』と書いている。』

2019-07-03 10:43:29
抜井規泰 @nezumi32

『つまり、工場全体の敷地が初めから2メートル以上もかさ上げされていた。その中でダイナモやなんかの一番重要なところはさらにかさ上げされていた。一方、工場周辺にいっぱいある社宅、これは一般社員用です。間違っても高級幹部のじゃありません。その社宅は大波に襲われ、大勢の人が死んだ。』

2019-07-03 10:44:01
抜井規泰 @nezumi32

『そして会社の幹部、出先の工場ですけれども、は全部、名古屋の東郊、名古屋をご存じの方は分かるでしょうが、千種区という最高の住宅地域に住んでいた。だから、水なんかにつからないし、一人として死んだり、けがしたりしていない。死んだのは一般社員、工員だけであった。》

2019-07-03 10:44:31
抜井規泰 @nezumi32

《しかも、彼らの社宅とか市営住宅は水にのまれて何千人と死んだのに、工場は初めからかさ上げがしてあった。水が押し寄せても、その水は全部、社宅の方へ流れていくんです。なだれをうって。しかし、工場はすぐに水が引いて、あっという間に復旧した。疋田さんのルポはそのような内容のものでした。》

2019-07-03 10:45:14
抜井規泰 @nezumi32

《お恥ずかしいけれども、私は毎日ボートをこいで泥海での取材を重ねていました。スクリューのあるボートはダメなんです。ごみが引っかかって走れない。だから、何キロも何キロも手こぎのボートで行くわけです。》

2019-07-03 10:45:52
抜井規泰 @nezumi32

《そして、屋根の上から食料をくれ、着物をくれと言って合掌している人たちなんかを見てきた。本当につらい場面を見ていました。工場の機械が残っているのも見ているんですよ。》

2019-07-03 10:46:18
抜井規泰 @nezumi32

《だけれども、その目を持たない私には、高級社員が全部、千種区にいることも、一般社員や市営住宅の低所得の人たちがみんな低地に置かれていたことも、工場が生き残って、最も大事な機械はさらに生きのびていること、これも見ていた。そばを通っているんですから。》

2019-07-03 10:46:51
抜井規泰 @nezumi32

《しかし、それが見えていても見えなかった。》

2019-07-03 10:47:21
抜井規泰 @nezumi32

《つらくて、つらくて。こんなにつらい抜かれ記事の記憶はありません。ちょうどみなさんと同じ入社2年目、月こそずれていますけれども、同じときです。県庁を担当させてもらって、いっぱしの書き手のつもりで大きな顔をしていて、前線へ飛んで、このざまです。》

2019-07-03 10:47:52