ガンパレ熊本戦20周年追想

20年前の熊本戦を追ったノンフィクション戦記。
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河畑濤士 @KWHTTS

この日、5121小隊の中村光弘も同様に『士魂徽章』を授与されている。 整備士としての知識・技量を深める目的で、おそらく戦車教育課程をクリアしたのだろう。 pic.twitter.com/pjVcp0nABa

2019-03-05 00:50:33
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河畑濤士 @KWHTTS

さて。一方で熊本県内の戦況はと言えば、早々に小型幻獣の大規模掃討に打って出た人類側が押しているような恰好になっている。 次々と実体化するゴブリン達は受肉したそばから、「女子供でも撃てる」という触れ込みの97式突撃銃を持った学兵達によって、瞬く間に駆除されていった。

2019-03-05 01:04:50
河畑濤士 @KWHTTS

しかしながら熊本県南西部、離島を抱える天草戦区においては浸透したゴブリンを完全に駆逐するのは困難であった。 この時点で人類軍戦力とほぼ同等の幻獣が天草戦区内に存在していると目されており、油断ならない状況が続いている。 【ガンパレ20周年追想・1999/03/05・了】 pic.twitter.com/qQ4luCTdc3

2019-03-05 01:12:44
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河畑濤士 @KWHTTS

1999年3月6日、熊本市南方の川尻・宇土戦区にて攻防戦が生起した。 西の水平線へ沈みゆく太陽が、宇土市街と赤い瞳を持った人外達を橙に照らす――その頭数は普段より確実に多い。 幻獣軍の意図するところは明らかであった。この川尻・宇土戦区を陥とし、熊本市街制圧の足掛かりとするつもりなのだ。 pic.twitter.com/77HnN1qWYw

2019-03-06 21:10:25
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河畑濤士 @KWHTTS

そのため彼らはこの日、軽歩兵に相当する小型幻獣ゴブリンだけではなく、全高約9mを誇る中型幻獣ミノタウロスと学兵からタンク・キラーの渾名をつけられた光砲科中型幻獣キメラをこの戦線に投入していた。

2019-03-06 21:22:10
河畑濤士 @KWHTTS

この中型幻獣ミノタウロスとキメラは、陸自戦車と真正面から撃ち合える装甲と砲戦能力を有する当時最新鋭の幻獣である。 この3月上旬の時点では熊本県内への配備は未だ進んでいなかったが、それでも幻獣軍は数を掻き集めてこの6日、川尻・宇土戦区に集中投入してきたのであった。 pic.twitter.com/fVJZ0luyoR

2019-03-06 21:34:05
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河畑濤士 @KWHTTS

それまでゴブリンの集団相手に楽々勝利を収めてきた川尻・宇土戦区の学兵部隊は、この中型幻獣の登場により苦戦を強いられた。 一般的な学兵達の携行火器である5.56mm97式突撃銃では当然ながら一切歯が立たないため、頼みの綱は戦車砲と分厚い装甲を有する戦車部隊となる。

2019-03-06 21:47:32
河畑濤士 @KWHTTS

が、前述の通り第106師団の戦車は旧式の上、これを操る学兵達は練度も低かった。 攻防を繰り広げるどころか、会敵さえ出来ない車輛が相次いだ。 整備不良、交通事故、そして遠い地から徴兵されたばかりということもあり、不慣れな宇土市街の中で迷子となる車輛さえ現れた。

2019-03-06 21:56:47
河畑濤士 @KWHTTS

川尻・宇土戦区の学兵達はやむを得ず、普通科(歩兵科)の火力で対抗せざるをえない。 それはつまり弾数の限られている無反動砲による攻撃であり、40mm高射機関砲を背負って側面に回りこんだ上での攻撃であり、集束手榴弾による相討ち覚悟の攻撃であった。

2019-03-06 22:02:59
河畑濤士 @KWHTTS

先の大戦と変わらぬ結果が待っていた。 有効な対戦車火器のない歩兵の肉弾攻撃は、質量に勝る装甲部隊に跳ね返され、多大な犠牲を出す――学兵達の勇気も努力も、厳然なる現実を前に冷たくあしらわれた。 すなわち彼らの敢闘は踏み潰され、強酸で焼かれ、生体レーザーにより蒸発させられたのであった。

2019-03-06 22:13:06
河畑濤士 @KWHTTS

だがしかし九州総軍としては、学兵達が泣こうが喚こうが死のうがそんなことは関係なしに、この川尻・宇土戦区は保持しなければならず、学兵らから成る普通科部隊で以て攻勢を撃退出来ないのであれば、他の手を打つしかなかった。

2019-03-06 22:19:19
河畑濤士 @KWHTTS

そこで投入されたのが、対中型幻獣小隊(Anti-Tank-Platoon)5121小隊であった。 彼らもまた他の学兵部隊と同様に初陣であったが、それでも期待されていた“火消し”の役割は果たした。 直協の普通科部隊の援護を受けながら、瞬く間に先鋒のミノタウロス複数を撃破する活躍を見せたのだ。 pic.twitter.com/yruHZh2hoM

2019-03-06 22:26:54
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河畑濤士 @KWHTTS

突然の対戦車部隊による攻撃を受けた敵は二の足を踏んだ。そして貴重な時間を失った。 航空部隊の来援、特科火力による火力支援、そして遅れに遅れた旧式戦車の到着――この日、川尻・宇土戦区の学兵部隊は辛うじて敵を退けることに成功した。

2019-03-06 22:32:16
河畑濤士 @KWHTTS

さて。3月6日時点の九州中部戦線熊本県下の戦況は、以下の通りである。 一見、膠着状態が続いているようにみえる。 が、実際には川尻・宇土戦区のみならず、熊本市東町の熊本空港等といった重要戦区に対して有力なる敵戦力が投入されており、選択と集中の主導権は人類側ではなく幻獣軍側にあった。 pic.twitter.com/BCvYlfogol

2019-03-06 22:39:54
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河畑濤士 @KWHTTS

【ガンパレ20周年追想・1999/03/06・了】

2019-03-06 22:40:46
河畑濤士 @KWHTTS

ゴブリンによって電柱から吊り下げられていた学兵の遺体が、戦友達の手によって下ろされていく。 戦闘翌日、3月7日の宇土市街では遺体・遺品の回収作業が行われていた。 学兵達は涙を流し、あるいは嘔吐しながら、ゴブリンに殺害された後に挑発目的で飾られた遺体を回収し、鈍色のシートで覆う。

2019-03-07 01:28:16
河畑濤士 @KWHTTS

指、腕、上半身を失った下半身――かつて生者を構成していた部品もまた、ほうぼうに落ちていた。 小型幻獣によって殺害されて惨い姿を晒す者もいれば、生体ロケット弾・生体レーザーによる攻撃で影も形も残らない死を迎える者もいる。

2019-03-07 01:39:02
河畑濤士 @KWHTTS

当時の九州中部戦線・熊本県防衛線は、日本で最も過酷な戦線であった。 戦車とともに戦う直協歩兵の平均寿命は約2週間。

2019-03-07 01:47:15
河畑濤士 @KWHTTS

戦線は膠着状態であるが、それは平穏を意味するわけではない。 むしろ実態は血を吸い続ける消耗戦。 そして小規模であっても一戦の勝敗が、今後の戦局を左右するであろう厳しい時局であった。 pic.twitter.com/LY3Lhd2bb8

2019-03-07 01:49:26
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河畑濤士 @KWHTTS

【ガンパレ熊本戦20周年追想・1999/03/07・了】

2019-03-07 01:49:51
河畑濤士 @KWHTTS

1999年の3月8日は、週に一度の給料日であった。 国家危急の秋(とき)に身命を賭して戦うのだから、高校生の彼らにも給料が出るのは当然のことであろう。

2019-03-08 01:16:01
河畑濤士 @KWHTTS

が、学兵達は給料日を楽しみにはしていなかった。 なにせ金額が金額であった。 pic.twitter.com/Pk8H6zz0ic

2019-03-08 01:16:28
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