とある発達障害者二人がもろもろっと雑談してた
健常者に障害者の気持ちが本当の意味では理解できないのは当然として、障害者同士なら分かりあえるかというとそんな簡単なもんでもないから困る。俺は同じ統合失調症の患者に共感を覚えたことなど一度もない。
2011-06-10 22:13:13人との繋がりの根底に「共感できる・されてる」っていう前提がある人って、他人もそうだと思ってしまうんだろなーというのは30数年生きてきたら大体わかるようになったよ
2011-06-10 22:21:58障害の受容=変容を諦めて完全に捨て去る、とは違うだろうに…障害当事者や支援者は儚い夢や希望を持つことすら許されんということか。ムリだとわかってるけどあの星が手に入ればいいなくらいの気持ち、許されたっていいじゃねえか
2011-06-10 22:26:46@Sahjack 個人的には、支援者も軽々しく言ってほしくはないなってのが本音。とある人は例え障害認定出ててもまだ個性の範疇で済む時もあれば、他人はそうじゃない時もある。その時に個性って言葉でごまかされると、困難の核心が見過ごされる気しかしなくて怖い
2011-06-10 22:34:43@twjunk そういえば、臨床心理士さんに障害の特徴を「これは誰でも少なからずありますし、個性でもありますけど」って感じに説明された時は、ごまかされた気分になったなぁ。
2011-06-10 22:41:09@Sahjack わかるわかる。「いや確かに誰にでもあることだろうけど、それが社会生活に困難もたらす程度になってるからアンタんとこ来てんじゃねーか、ていうかお前はそういう布教をすべき立場だろう」と私なら思うだろう!
2011-06-10 22:45:05@twjunk あーそうだ、なんかもやもやしてたのはそういう気持ちだったんだ。「誰にでもある」は言われたくない言葉ワースト上位に来るんだもの。
2011-06-10 23:30:06@Sahjack 誰にでもある、程度で済ませられて、済まされてたら二次障害発症しとらんし障害者手帳取得する必要なんぞあるはずないわ、と今なら言える。
2011-06-10 23:32:17@twjunk 「誰にでもある」って言われると、鬱のせいで「誰にでもあるのに解決出来ない自分が駄目なんだ」という考えに落ちてしまう。私はASかADDなのかはっきりしない発達障害だけど、主治医がきちんと“障害として”見てくれることが救いになってる。
2011-06-10 23:38:46@Sahjack 私も似た様なところがある<障害を認めてくれる 友達には「私にはそれは個性として寛容に受け止められるから個性だと思ってる」と言われた。それはアリだと思う。のべつまくなし、程度を把握もせず臭い物にフタの勢いで個性です!という主張はされたくない。
2011-06-10 23:41:29@twjunk 私にとっての旦那がそうなのかな。障害も含めて、私個人を認識してるというか。臭いものに蓋、本当に気分悪い。「個性」と言い替えることで、障害そのものを存在しないことにしてる。
2011-06-10 23:52:05@Sahjack 理解あるダンナさんで羨ましい。一番身近にいる人間に理解されないことの絶望感ったらないもん。個性、と名称を変えれば配慮の必要な障害ではなくなり「責任はお前にあるんだ」と言われてるようにも思えるからにんともかんとも
2011-06-10 23:56:52人はいつも「俺」を含み、中心にいるのは「俺」だから人の気持ちを考えろと言われる時に考えるべきなのは「俺」の気持ちなんだって意味に違いない
2011-06-11 00:01:17@twjunk 理解しているというか、「本当に理解することは出来ない」と分かってるようなので、私はすごく助かってる。親は全然駄目で、障害の話をすると露骨に避ける。離れて暮らしてるから普段は困らないけど、たまに話すと落ち込むねえ。向き合ってくれないんだなーと。
2011-06-11 00:04:19@Sahjack そこが一番大事だと思う。それが出来てる人が真の理解者、だと私は感じるな。結局親ってのは相当出来た人じゃないと家族の間に客観性を持ち込めないんだ、というのが30数年生きてきてようやくわかりつつある。だから親には期待してない。まだ妹の方が冷静につきあえる
2011-06-11 00:07:49