とある発達障害者二人がもろもろっと雑談してた

渡邊先生 @ynabe39 の言葉や公式RTで回ってくる内容から始まった自分語りや障害のこと 前置きの部分は Togetter - 「渡邊教授(ynabe39)の「障害についてのやりとり」6/10~11」 http://togetter.com/li/147085 こちらの方が詳細&網羅率が圧倒的に高いのでどうぞ御覧下さい
雑談 アスペルガー 障害 発達障害
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前置き的に

渡邊先生 @ynabe39 のつぶやき

渡邊芳之 @ynabe39
障害者は幸福でなければいけないのか。健常者には自分を幸福だと思う自由も、不幸だと思う自由もあるのに。
渡邊芳之 @ynabe39
不幸な健常者に「不幸を受容しろ」などという人は誰もいないのに障害当事者やその親にだけ「障害の受容」が当然のように求められるのはなぜか。
渡邊芳之 @ynabe39
私を当事者家族だと思わない人が多いのは「障害当事者やその家族は障害を前向きに受容して幸福に生きている」というステレオタイプのためだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
NHKの「きらっといきる」で「障害者がみんなきらっと輝いているわけではない、輝いている障害者だけを取り上げるのはおかしい」という当事者からの投書が取り上げられたときのことはよく覚えている。
渡邊芳之 @ynabe39
健常であることは幸福なことですし、障害があることは不幸なことです。しかしこのことは健常者がつねに幸福であることや障害者がつねに不幸であることを必ずしも意味しません。人生の幸不幸は健常か障害があるか以外の要因にも大きく影響されるからです。
渡邊芳之 @ynabe39
自分の子どもが障害を持って生まれてくることを願う親、妻が事故などで障害を負うことを願う夫はいません。しかし親は障害を持つ子が少しでも幸福に生きることを願うし、夫は障害を持つ妻が少しでも幸福に生きることを願うでしょう。
渡邊芳之 @ynabe39
障害と生きる幸福な人生を手に入れていく過程で徐々に障害が不幸とは感じられなくなったり障害が持つ意味が見出されたりすることは必ずあると思います。しかしそのことと「障害そのものが不幸でなくなる」こととは別だと思います。
渡邊芳之 @ynabe39
「障害は不幸ではない」とおっしゃる方は「あなたは障害があるから幸福なのだ」と言われたらどう感じるだろうか。「その通り」と感じるだろうか?
渡邊芳之 @ynabe39
私のツイートに反論してこられた障害当事者の方は聴覚障害の方が3名、肢体障害の方が1名、精神障害の方が1名だった。息子と同じような知的障害や発達障害の方からはなかった。
渡邊芳之 @ynabe39
これが「知的障害や発達障害の方が私に同意している」という意味でないことはもちろんで、私が言いたいのはもっと根本的なことだ。
渡邊芳之 @ynabe39
「障害が不幸かどうかは本人が決めることだ」と言えるのは、自分が幸福か不幸かと言ったことを考え、それを言語を通じて表現することができる人だ。その能力に障害がある場合にはどうだろう。
渡邊芳之 @ynabe39
自分の障害を不幸と思わないことによって当事者がプライドや自尊心を持つことを批判するつもりはない。しかしそうした幸不幸の判断やプライドや自尊心を持つ機能そのものに障害がある場合に、障害が不幸ではないと言うことには誰にとってのどんな意味があるのだろう。
渡邊芳之 @ynabe39
障害の有無とは関係なく、誰かが誰かを不幸だと言うことには強い抵抗があるのに、誰かを幸福だと決めつけることにはあまり抵抗がないことはよく考えると不思議だ。
渡邊芳之 @ynabe39
むしろ逆に「障害が不幸であれば障害を持つ人の人生も不幸である」と決めつけているから「障害は不幸でない」とか「障害も個性である」といったレトリックが必要になる のではないか。
渡邊芳之 @ynabe39
人生に不幸な要素があっても人生全体が不幸になるとは限らない。それがわかれば「不幸な要素」を無理に「不幸でないもの」と考える必要などない。
渡邊芳之 @ynabe39
けっきょく障害者の中にも強者と弱者がいるのだと思う。「強者」の条件は知的障害や精神障害がないこと,体の障害のない部分を用いて健常者と同等かそれ以上の作業やスポーツなどをこなせること,先天性障害よりは中途障害であることなどだ。
渡邊芳之 @ynabe39
そうした「強者」たちはその能力によって「障害を克服」し,高いプライドを持って「幸福」に生きていると自覚しているし,そのように発言する。そして行政やメディアが好んで取り上げるのもそういう人たちだ。
渡邊芳之 @ynabe39
知的障害やコミュニケーション障害を伴う発達障害,精神障害を持つ人たちの多くにはそうした場やチャンスは与えられない。うちの息子は普通に話せないからクイズ番組で活躍したりしないし,列に並ぶようなことができないからパラリンピックで活躍したりもしない。
渡邊芳之 @ynabe39
それでも強者によって作られた「輝いている障害者イメージ」はうちの息子にもあてはめられる。うちの息子にもわれわれ家族にも強者と同様に「障害を受容し克服して前向きに生きる」ことが求められる。障害を不幸と思い嘆く自由はごく限られている。
渡邊芳之 @ynabe39
「障害を持った息子を認めるのがよい親」というのも「強者の論理」です。
渡邊芳之 @ynabe39
「乙武さん」が典型的な「強者」であることはいうまでもない。障害者の中の弱者は「乙武さんはこういっている」「乙武さんを見習え」といわれることにどう答えたらいいのか。
んでこのへんから

当事者による雑談と自分語り

渡邊芳之 @ynabe39
障害があるのは不幸に決まっている。誰も自分から障害者になろうとはしない。それを当事者がごまかすのは生きる知恵。でも他人にはごまかされたくないよ。
古川涼 @twjunk
障害の当事者ですがこの意見には賛同する
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コメント

柴田秋 @aki7ito 2011年6月11日
不幸じゃないって言うにしても不幸って言うにしても障害者の代表者面されたらイラッとくる感はあるね。
克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) @a_katu 2011年6月11日
同病相哀れむとは限らないのね。 RT @TanTanKyuKyu: 健常者に障害者の気持ちが本当の意味では理解できないのは当然として、障害者同士なら分かりあえるかというとそんな簡単なもんでもないから困る。俺は同じ統合失調症の患者に共感を覚えたことなど一度もない。
スケルタル博士(鮒山透介) @lolololkao 2017年4月20日
読んでいてすごく納得出来た 他人から「それは個性だ」って言われるのがなぜこんなにも嫌な気持ちになるのか
rui @ruienomoto 2019年2月11日
「誰にでもある」は、「誰にでもある」としか理解出来ない人の台詞。ほんと言われたらつらい。
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