@Poyo_F さんの「評価」についてのTweetまとめ

金沢工業大学の教員ぽよさんの2011年6月17日のつぶやきより。
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ぽよ @Poyo_F

ぽよが「評価はやめときな」って言っておいて、全部持ち込み可の試験をするって、結局評価してるじゃん!という突っ込みが無かったので、自演しますわ。理由は簡単で、評価しなかったら、ぽよがクビになるからで、恐らくは日本中の教師も同様と思われます。これについて思う所を以下に書きます。

2011-06-18 17:45:40
ぽよ @Poyo_F

評価ってのは、「値」をつける作業で、認定することと違うのは辞書に書いてある通り。大学は、単位を認定する機関として始まったのに、いつの間にか評価を与える機関に変わり、人材探しの手間を惜しむ企業に対し、人材のトータルな評価値を提供する機関になってしまっている。

2011-06-18 17:58:59
ぽよ @Poyo_F

元々、ある講演を聴講しただけの能力有り=1単位認定、そして、必要単位数取得=学士、なのであって、ある講義の成績が5であるか3であるかなんて、役に立たない情報だ。取得した運転免許証において、取得した時の成績の数値に意味が無いのと同じだ。

2011-06-18 18:09:35
ぽよ @Poyo_F

しかも、「ある講演を聴講しただけの能力有り」かどうかの判断だって、「全部聴講したのだからOKだろう」という判断もありだし、「終わった後、その話題で学生と話した時、分かってるなと感じた」という判断もありだと思う。つまりは能力を判断する方法なんて人の数だけあると思うのだ。

2011-06-18 18:13:50
ぽよ @Poyo_F

出席せずに全部持ち込み可の試験で、そのノートを書いた本人より良い点を取る人は、それだけ理解力が高いという評価もあるだろうし、一部聞いていた授業の理解に、もらったノートの情報を活用できたという事なのかもしれない。そういう色々な可能性を拾えるギリギリの方法としてのアイデアなの。

2011-06-18 18:26:22
ぽよ @Poyo_F

色々な人がいて色々な能力なのに、共通の基準を求めてはダメなんだって言う事に尽きる。数値をつけようとすると、共通の基準が欲しくなる。「読む力+書く力+考える力=100%」という能力を線形独立なものとみなす発想が、数値化のタネになっていて、公平主義(共通の基準を求める事)を生む。

2011-06-18 18:35:11
ぽよ @Poyo_F

ヒトの能力ってやつは、それを見抜くのにも、表現するのにも手間がかかる。だから、1度や2度の面接でこれを見抜こうとする事も、「評価値」や「大学名=入試の点数」と言った稚拙な「能力表現」で、採用を決めようとする事も、余裕をかました「手抜き」だろうな。余裕のない企業は手抜きしないもの。

2011-06-18 18:46:01
ぽよ @Poyo_F

ここで、ぽよの暴言だけど、評価の透明性を教師に要求する国は、脳の機能をナメルナ。脳の能力は足し算では測れないし、基準がヒトの数だけあるから、数値的な公平性という本質的に不可能な事を求める事をやめなさい。(※ 「線形独立」とは、ざっくり意訳すると「足し算で表現できる」という事)

2011-06-18 19:02:06
ぽよ @Poyo_F

ひとつ前のツィを、別の言い方すると、「国は教師の邪魔をするな」と言う事。「あんたはいいかもしれないけど、管理しなければいけない教師もいる」という人は、その教師だけ管理しなさい。個々の具体例に対して一つ一つ取り組む気の無い怠け者には、制度を作る資格はありません。

2011-06-18 19:06:23
ぽよ @Poyo_F

企業もね、例えば、3年次学生や4年次春の学生に推薦状を求めたり、内定を決めてからオマケのように推薦状を提出させたりするのをやめて、「大学卒業後に活動する学生だけを採用する」と宣言しよう。そして、採用時には、面接と推薦状、担当教授への電話確認やメール確認を判断材料にするといい。

2011-06-18 19:28:40
ぽよ @Poyo_F

もう一つの手は、国が大学卒業に要求する単位数を、4分の3に減らす。そうする事で、大学の卒業判定は、3年次終了時点にすることができる。卒業認定は、これまで通り4年次の終わりにする。4年次の1年間は、インターンシップとか、旅、等、これまでの大学では学べなかった人間力を学ぶ期間だ。

2011-06-18 19:38:58