藤代冥砂Twitter福島記

写真家の藤代冥砂さんが福島を訪問した際の出来事をTwitterでまとめておられましたので、それを勝手ながらまとめさせていただきました。 以下、藤代冥砂さんのTwitter福島記を終えた時のコメントです。 続きを読む
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meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記①まずは行ってみようと、今日は福島へ向かいました。強い放射線の影響下に住む人たちが何を思い感じているのかをダイレクトに知リ、その上で必要であれば、県外の人たちに知らせるためです。ロシア製のガイガーSOEKS 01Mを片手に、品川ナンバーを走らさせながら、車内で器用に計りつつ

2011-07-05 23:09:36
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記②報道されている通り、柏では高めの数値を計測。茨城に入ると、守谷SA土上50センチでも最大値0.48あたりを示しました。その後は、いわきへ向かう途中で連絡をくださった北茨城在住の母親の話を聞きに寄り道をしました。市役所前駐車場で待ち合わせをし、現れた彼女に連れられて、

2011-07-05 23:14:59
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記③彼女が一人で養う子供三人が通う小学校へ。校庭では野球の練習をする教師と子供達。ノックをしていたような気がする。彼女は勉強家で放射能の知識がしっかりとある人で、木陰の中で「ここは高そうですね」と呟き、つられてガイガーで計ると、0.3μsv/hほどが出ました。「やっぱりね」と

2011-07-05 23:18:44
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記④納得する彼女。もちろん放射能は見えない。「見えませんからねー」などと互いに呟きながら、しばらく白球を追う少年達を眺める私たち。彼女は明るく、よくよく見渡すと、私たちが切り取った北茨城の今日の午後のある風景は、とても美しかった。家々のそこいら中の庭に植わった野菜が眩しく、

2011-07-05 23:23:10
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記⑤「美味しそうですね」などとその場に合っているのか疑わしい感想を呟いてしまった。彼女は、体育の授業で自分の子供を校庭に出さないように、と武田先生の本を添えて担任教師に伝えてあったにも関わらず、体育の授業以外の時ならいいのかと誤解して、子供を外に出してくれたそうだ。

2011-07-05 23:30:13
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記⑥彼女の言い分は、とにかく政府がなんとかしてほしい、とのこと。津波の影響で無職となってしまったので、今日の放射線量を市役所に問い合わせる電話代でさえ惜しい。ちなみに周囲に個人用ガイガーを持っている人は皆無とのこと。生活保障さえしてくれれば、すぐにでもこの土地を離れる、と

2011-07-05 23:36:47
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記⑦彼女は言い切る。離れたいけど、お金が十分にない。東北の人、福島の人は土地から離れられないとよく聞いたが、そうでない人もいる。見渡しのいい踏切の脇に縦列停車した私たちの車に戻ると、「スーパーを見ていって。県外からの野菜が増えてるから」と言い残して彼女は水色の軽で去った。

2011-07-05 23:43:56
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記⑧常磐道に乗り直し、いわきの中心部平の佃町へ。そこでペットサロンを営む鈴木敦子さんを訪ねました。(遅刻してすみません)さらに近くのクリニックに勤める佐藤和義さん。佐藤さんは0歳と3歳のお子さんを持つパパです。鈴木さんは、震災直後に愛犬を連れて那須、山形へと避難。佐藤さんは、

2011-07-06 00:17:30
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記⑨家族だけを仙台に避難させ、自分は津波の被災地復興作業に取り組んでいました。二人に共通するのは明るさ。放射能や原発に対しての知識も十分にある中で留まることを選んでいるのは、まだ福島県内では、比較的数値の低い場所だからこそ。またそれぞれの職業柄、必要としてくれる他人の顔が

2011-07-06 00:23:43
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記10:はっきりと見えていることからの責任感も留まらせる力になっているのでしょう。ですが、もしさらに事態が悪化したら、身軽に避難する彼らの姿も想像できて、頼もしくもありました。話を終えて、目の前の公園で写真を数枚。あと、空き地でも。その後、ガイガー。数値は0.28ぐらいでした

2011-07-06 00:28:51
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島11:「だいたいいつもそのぐらいですねー」と佐藤さん。場所によっては0.5ぐらいある所も、ともう一言。いわき市の中にもホットスポットがあると教えられたので、明日はそこへ行くべきだろう。鈴木さんと佐藤さんは、あの公園の一角を挟んで向かい合う仕事場で、明日も明後日も働いている。

2011-07-06 00:40:23
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記12:平を出て湯本へ。日も落ち、待ち合わせ場所に指定された湯本駅に着いたはいいが、なんだからやたら暗い。連絡を取ると、そこは裏にあたるだけだった。ホームを跨ぐ歩道橋を渡って、表側に出ると、中国製のガイガー持ちのOさんが待っていて下さった。彼女は私と同じ年。会うなり、「もう、

2011-07-06 00:44:42
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記13:家に帰ろう2」を褒めていただき恐縮。書店を何軒か巡り、最後の一冊を手に入れて下さった。再恐縮。0さんは、子供と夫に食事を作りわざわざ話をするために出て来てくれた。ちょうど夕食がまだだったので、沖縄料理のお店に。いわきで沖縄!に結構感動してしまった。店員さんへちなみに

2011-07-06 00:57:16
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記14:野菜は?と思い切って訊ねると、店の裏手を指差して、そこの八百屋で、と。Oさんが、産地は?と訊きづらいことを口にすると、八百屋の人がうちは変な物は入れてないと言っているので、と笑顔で。店内の沖縄ソングにセカンドホーム・シック風になる。Oさんは建築士であり、材木店の経営

2011-07-06 01:02:07
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記15:もしている。復興のために木材が出たり、原発がああなのに、いわきで家の発注があるのが、妙な感じだと呟く。話変わるが、沖縄料理店の主人は三年沖縄で料理の修行をしていたとのこと。カウンターに並ぶ泡盛のボトルにぐらりだが、帰りは車。こらえる。また、沖縄のエイサーが、いわきの

2011-07-06 01:07:15
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記16:じゃんがらルーツだと教わり、ぼうっとしてしまった。なんとか上人が中国を目指して途上に漂着した沖縄で広めたらしい。人に直接会うと、思わぬ脱線が貴重。塩やきそば、じーまみ豆腐、もずくの天ぷら。その後、植田町のビジネスホテルに投宿。本日終了。

2011-07-06 01:17:07
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記17::昨日6日は、まずいわきでの津波の被害地へ。鮫川南岸に位置する須賀海岸は爪痕もだいぶ消えつつある。瓦礫の撤去作業のトラックが砂煙をあげながら海岸の南外れの瓦礫山への往復を続けている。所沢ナンバーのプリウスで来た老夫婦が熱心に海の風景を写真とビデオに収めている。

2011-07-07 07:12:24
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記18::いわき出身の埼玉移住者かな、と思う。被災した家々の写真記録を撮りながら鮫川の河口まで出ると、数十人の人々が瓦礫の撤去作業で出たものを燃やしている。その煙が朝靄のように彼らを包み、幻想的な光景にしていた。そのうちの漁師の方と30分くらい立ち話。がっちりとした体に

2011-07-07 07:17:55
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記19::日焼けした顔と無精髭が、漁師然としていい。まずは、行政への不満、怒り。地元の長への、不満、怒り。行政の指示を待て、と言われていたが、そんなのんびりしていたら漁が再開できないと、自分たちで撤去復旧作業を始めたら、それへの補償が認められなくなってしまった。彼は、

2011-07-07 07:22:25
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記20::これスクープだよ、すっぱ抜いちゃいな、と言って、こちらの口が開くような事を熱く伝えてくれた。ほんとにひどいな、それ。と答えながら彼の話に聞き入った。40前の強面の彼だが、笑顔が人懐っこく、小学校のクラスにこういう仲間がいたよな、と懐かしさを覚えた。いわき市長ひどい。

2011-07-07 07:26:24
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記21::当面は漁の再開めどがたっていないので、こうして撤去作業の日当で食べつないでいる。作業する人々のなかには、漁師の家族である女性の方も多く、とにかく今はこれしか職がないのだと。別の漁師の方は、サングラスのレンズにNYのマーク。ジーターモデルかな?その彼も強面だが優しい。

2011-07-07 07:31:01
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記22::なんで今頃来たの?と福島の柔らかいイントネーションで訊かれ、放射能の影響の中で暮らしている人たちの現地の声を聞きに、と簡単に説明すると、「それさあ、うちらにとってどうなんのかなあ?外いっていろいろ言われて、困るのはうちらなんだよね。この前もいわき出身の馬鹿がさあ、

2011-07-07 07:34:33
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記23::テレビ出てて、どっか埼玉か静岡に避難しましたって言ってんの。こっちはここで頑張ってるのに、いわきは住めないなんて言ってんの。ほんとに頭に来る。逃げるのはさあ、俺たちや、農業やってるやつらみたいに土地とちゃんと関わっていない、ふらついた仕事してるやつらだよ。

2011-07-07 07:39:48
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島24::よくも育った場所を出れるわ」去り際に、荷台に置き忘れてあった彼の麦わら帽を渡すと、ありがとうと優しい笑顔をよこしてくれた。その後、海岸沿いを北上。いわき自体が津波災害の報道の主な対象から外れていたのだが、小さな漁村の復旧は進んでいるとはいえ、落ちた橋がまだそのままに

2011-07-07 07:45:10
meisa fujishiro @meisafujishiro

福島記24::なっている永崎があったりするので、なるべく写真の残そうと頻繁に車をとめた。塩屋埼南の豊間はいわきでも被害が大きかった地域で、瓦礫撤去作業車以外は立ち入り禁止になっていたので、15号沿いの廃業したガソリンスタンドに車を止めて、歩いて巡った。津波の被害を受けた場所へは

2011-07-07 07:49:53
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