旧海軍の後継機問題・熟練労働者を必要とした航空機産業

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ぼろ太@C102 日曜日 東地区 “ア” ブロック 27b @futaba_AFB

@Nyarlathotep_44 そんなに損耗していたのですね。う~んだとしたら、飛行機工事の増設とかがいっぱいありそうですが中島飛行機で40~45年で2工場しか増えてないみたいなんですよね~

2011-07-13 21:23:01
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

ちなみに零戦の初飛行は39年4月、ノモンハンは同年5月から。多分要求変更はとてもじゃないけど無理。

2011-07-13 21:24:52
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

@futaba_AFB 中島飛行機は直接開発に加わってないから?ちょっとそこら辺は私は分からないですねぇ。一応製造数は43年以降からは100機以上、月によっては250機程度製造していたりして、生産状況は悪くないと思いますよ。

2011-07-13 21:29:05
錆猫 @Nyar_Horten

@Nyarlathotep_44  元々、雷電採用後は艦載機のみの補充に留め、基地航空隊用は全て雷電に替わる計画だったようです(艦戦型雷電なんてのも三菱の計画にはあったそうで)。実際には開発が延び延びになって見ての通りな訳ですが

2011-07-15 00:49:05
錆猫 @Nyar_Horten

昭和十五年に三菱一社指定で交付された十四試局地戦闘機計画要求書案の艤装の項には「装甲 操縦者後方に8粍厚防弾鋼板」と防御についての要求がなされています、って以前も呟いた気がする(学研「決定版 局地戦闘機」参照)

2011-07-15 00:51:44
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

@Nyar_Horten 艦戦雷電はそういえば聞き覚えが……結局開発着手が遅すぎた結果がアレなんですよね。

2011-07-15 00:57:44
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

旧海軍機は後継機問題で悲しみを背負う。

2011-07-15 00:58:08
錆猫 @Nyar_Horten

@Nyarlathotep_44 雷電は十四試局戦、つまり零戦の二年後です。開発着手時期は中国大陸での海軍航空隊の戦訓反映を考えると然程遅くはないかと。尤も、採用時期に関しては理由があったにせよアレですが…

2011-07-15 01:03:50
錆猫 @Nyar_Horten

@Nyarlathotep_44  性能偏重というか高望みし過ぎたというか、乾いた笑いしか出てきませんね>後継機問題

2011-07-15 01:05:15
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

@Nyar_Horten ふむ、そうなんですか。開発着手の時期は悪くなかったし、むしろ早いほうだったけどその後の採用までのスパンのgdりっぷりが悪かったと。なるほどなぁ……

2011-07-15 01:09:46
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

@Nyar_Horten 数で勝てないからこその質重視が、だんだん奇妙な形に変形していったのと、結果としての開発・採用の遅延に至ったというのはやはり皮肉にしか見えませんね。

2011-07-15 01:11:32
錆猫 @Nyar_Horten

@Nyarlathotep_44 雷電に限って言うなら、特に後期に於ける視界問題の争点は促成操縦士に扱いきれるか否かであったようで、必ずしも性能云々に拘った結果では無い辺りが余計にでも皮肉です

2011-07-15 01:21:42
這い寄る混沌@おえかき練習ちう @Nyarlathotep_44

@Nyar_Horten なるほどなぁ、そう考えるといろいろ旧海軍の機体の開発話は惜しい部分が残ってしまいますね。

2011-07-15 01:28:44