【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 後編】-大量生産ノウハウの蓄積の観点から-

日米間の航空決戦でもあった太平洋戦争。両国の明暗を分けた物は何か。 本稿では生産・品質管理技術に着目して紐解きます。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 後編】 -大量生産ノウハウの蓄積の観点から- 《前編粗筋》 自動車産業で培った量産技術を活用した米国は、圧倒的な兵器生産を実現。 一方、生産管理技術の蓄積を欠く日本は苦闘を強いられます。 togetter.com/li/1681409

2021-03-20 16:39:54
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《我が航空産業の敢闘》 逆境の中でも、日本の技師たちはベストを尽くしました。このことは、米国の戦略爆撃調査団も認めています。「米国の航空機生産高と比較すれば、日本の生産は大きくなかったが、両国の相対的な資源-材料、人的資源および技術開発―を考慮すれば、日本の努力は称賛に値する」 pic.twitter.com/1rU229iCJf

2021-03-20 16:40:31
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彼らの労苦は並大抵のものではありませんでした。何故なら、課せられた使命が、単なる生産性の向上などではなく、生産メカニズムそのものの根本的な転換だったからです。 「一連の変化を、「技能から技術への転換」と捉えてもよいだろう。いかに優れた現場技能があろうとも、 pic.twitter.com/ewc8eJ8U65

2021-03-20 16:41:00
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ある部品はこちらの神様、ある特殊加工はまた別の神様と、部品ごと工程ごとに特定の熟練技能者の力を頼まねばモノが作れない状況に、工場の限界が示されていた。最終的には、誰がやっても同じ結果が期待できる最適の工作法と工程を確立することが目標になるのである。」 pic.twitter.com/RxudGX0oyZ

2021-03-20 16:41:31
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「日本の機械工業全般で考えるならば、「生産技術」そのものが課題となったのは、おそらく史上初めてのことだった。生産技術とはすなわち量産技術であり、当時の具体的な目標としては、専用工作機械を多用した流れ作業方式となるのだが、それをいかに実施するかということが大問題であった。」 pic.twitter.com/W8a3Gmb22u

2021-03-20 16:42:03
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(「「後発国」日本における生産技術形成-航空エンジンの量産に至る道」 前田裕子 1999年)

2021-03-20 16:42:40
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既にご紹介した通り、日本の航空産業における技師達の試みは不完全なものに終わりました。しかしそれは、戦後の経済発展へと繋がる一大画期であったことも確かなのです。以下、大量生産技術の個別要素ごとに、成果と限界とを見ていきましょう。 pic.twitter.com/kA0OZ0ZgrM

2021-03-20 16:43:21
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① 製品・部品の規格化 結果からいうと、これは成功と呼ぶには程遠いものに終わりました。軍部の場当たり的な新機種開発と用兵思想の混乱に加えて、陸海軍の対立という偏狭なセクショナリズムが多種多様な航空機とエンジンの同時生産という最悪の結果をもたらしたのです。 pic.twitter.com/6qDKakuZAL

2021-03-20 16:44:02
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米国戦略爆撃調査団は、「(日本の)海軍は53の基本形式と112の変種を考え出し、陸軍は37の基本形式と52の変種を、即ち、合計90種の型式と164の変種を作り出したのである」と驚きをもって記しています。日本の軍部が、総力戦の本質を理解していなかったという事実を示す、端的な事例と言えるでしょう。 pic.twitter.com/IQQFP7nl3X

2021-03-20 16:44:43
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② 専用機械 専用機械についても、軍部はその必要性を認識出来ませんでした。「自動機ないしは高能率高性能の特殊(専用)工作機械を使用して兵器を作るという方法は(中略)国家的意識にはのぼっていなかった。」 pic.twitter.com/NwP99tgbCp

2021-03-20 16:45:23
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「当時の日本では自動機による兵器の生産はむしろ異端視された。軍の指導部は機銃弾や砲弾は国民の忠誠心によって多くの人手で製造されるべきであり、機械によって自動的に作られたのでは国民の精神動員に役立たないと考えた」(『日本の工作機械工業発達の過程』日本工作機械工業会) pic.twitter.com/2qVky9UjaE

2021-03-20 16:46:17
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優れた航空機を開発可能になった日中戦争期でも、日本は高度な機械については外国、しかもアメリカからの輸入に頼っていました。1937年に0.4億円だった工作機械輸入額は、軍需急増のため、2年後の1939年には1.5億万円にまで膨張しています(この年の工作機械の輸入依存度は金額ベースで37.3%)。 pic.twitter.com/qqzdLLiWOx

2021-03-20 16:47:11
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当時の産業調査レポートからは、悲痛な叫びが聞こえてきます。 「我国工作機械工業の製造する工作機械の大部分が、所謂汎用工作機械であり、特殊(専用)工作機械製造は極めて貧弱である。しかもここで特殊工作機械と言うのは周知の如く高速旋盤、精密ネジ切旋盤、治具ボール盤、歯切機械等であるが、 pic.twitter.com/j7xfABt0A5

2021-03-20 16:48:17
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是等の特殊工作機械が今日の機械工作上、最も重要である所から注意しなければならぬ。而して、この種特殊工作機械に就いては、(中略)なお大部分を国外より供給を仰がねばならない状態にある。」(豊崎稔『日本経済と機械工業』科学主義工業社 1940年) pic.twitter.com/itr41cuxyE

2021-03-20 16:49:07
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このように、日本の航空産業は、ほぼゼロから専用機械の製造に着手したのです。三菱重工の場合、工作機械の設計・生産を担ったのは名古屋発動機製作所(以下、名発)に所属する「工作技術部」でした。この部署には優秀なエンジニアが集中的に配置され、専用の工場まで持っていました。 pic.twitter.com/3Ol7Q2D5hZ

2021-03-20 16:49:52
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「1939年9月に着工した新設の専用工場は、建物面積5,000坪、工作機械800台という大規模なものである。ここで治工具や専用工作機械が次々と製作され、専門の工作機械メーカーを驚かせた」(前田裕子 前掲)

2021-03-20 16:50:36
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かくて、1944年に稼働した名発第三工場では工作機械の国産化が実現され、設置された2,000台の機械の3分の1が専用機械でした。「1938年設立の第一工場の工作機械は輸入汎用機が主流であったから、その後数年の間に専用機械を多用するシステムへと変化したことが見てとれる」(前田裕子 前掲) pic.twitter.com/7UDlIue6Pp

2021-03-20 16:51:27
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中島飛行機でも、「1935年には、工程工具班(現在の生産技術部に相当)を発足させ、米国ダグラス社出張で見た治具や水圧機による量産方式を参考に、大量生産の基礎となる新鋭機械の製作・導入…など生産性向上につながるあらゆる研究を行った」(「スバル車の歴史」)。 pic.twitter.com/X0GIMPSPzK

2021-03-20 16:52:21
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こうして、日本最大級の中島飛行機武蔵野製作所では、1938年にはアメリカ製輸入工作機械の割合は50%でしたが、1944年には23%にまで低下したのです。 懸命な取り組みの結果、国産の工作機械製造額は、1937年の0.5億円から、輸入が途絶した1944年には7.2億円にまで拡大しました。 pic.twitter.com/v4UHH3Hgxx

2021-03-20 16:53:14
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しかし、多くの場合、国産工作機の性能は劣悪でした。「国産工作機の摺動面の摩耗は米国機械の摩耗の数十年分に匹敵した。精度は1、2か月で急速に低下した。カタログにある最大回転数を出すと機械は振動し、軸受は加熱した。 pic.twitter.com/y8Gb1ai3HB

2021-03-20 16:54:05
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舶来機が十分耐える重切削に於いて、国産機は振動し換歯車は折損したり曲がったりした。油圧ポンプや電気部品は故障が続出した。材質の不良、加工の不正確、これに起因する耐久力及び精度の不足が歴然としていた。」 pic.twitter.com/7CimB3INIo

2021-03-20 16:55:23
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「米国製ドリルが楽々と穿つ穴を和製のドリルは数倍の時間を喰らい、次から次へと折損していくというような例が多かった」(奥村正二「技術史を見る眼」) また、依然として「工作機械に万能式が多いため生産能力が低く、取扱いに熟練を必要とした」(佐藤達夫 前掲)という指摘もあります。 pic.twitter.com/Zzqh0rRTz7

2021-03-20 16:56:24
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その結果、熟練工の徴兵と未熟練工の大量投入に伴い、品質と生産効率の両面で問題を生じたのです。 結論として、工作機械の専用化は一定の成果を収めるも、その程度は米国に比し遥かに低い水準に留まり、性能も不十分でした。このため、大量生産体制構築の試みが挫折する一因となりました。 pic.twitter.com/8IhF5bAR4N

2021-03-20 16:57:21
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「太平洋戦争下の日本の航空機および兵器の生産を設備工作機械の面から概括するとき、それは技術的に古い生産方式に依拠していたということができるのである。欧米では軍需生産の遂行に当たり…高能率の自動機ないしは特殊(専用)工作機械を使用し、 pic.twitter.com/YBnM15R7xX

2021-03-20 16:58:20
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生産現場にたずさわる人数をできるだけ減少させようとしたのであるが、日本は…工程細分化方式に固執し、いたずらに設備工作機械台数を増加せしめ、労働力を浪費したのである。」(『日本の工作機械工業発達の過程』日本工作機械工業会) pic.twitter.com/IH1AYmiNB8

2021-03-20 16:59:21
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