『放射線被曝の歴史』(中川保雄)から

@Shimazono(島薗進)氏のツイートより。   『放射線被曝の歴史』(技術と人間 1991/09)  http://amzn.to/vScgAU 『増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで―』(明石書店 2011/10/20) 続きを読む
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島薗進 @Shimazono

中川保雄『放射線被曝の歴史』(1991年)はぜひ早急に復刊すべき書物。著者は1943年生、阪大工学部出身で神戸大学教授として科学史を教えたが91年に病没。この遺著は放射能の健康影響の科学的成果を見直す上で超重要。放射線医学の専門家の説明で分からないことがよく分かるようになる。

2011-07-27 08:53:09
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』1「秘密で覆われていることが、核・原子力問題の本質的な特徴ではある。しかし、公表されている資料と情報もまた膨大…それらの入手可能な資料から、隠されているものを丹念に拾い、それらを結びつけることによって、本質的に重要な事柄を見出すのがここでのやり方p10

2011-07-27 08:54:58
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』2「加害した側のアメリカ軍によって調査された事柄を被害者の側に立つべき日本の研究者たちも大筋において受け入れているという事情はなんとしても説明しがたいことではないか…なぜそのようなことがまかり通ってきたのか。それを明らかにするのもこの書の目的の1つ」p11

2011-07-27 08:58:25
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』3「アメリカ軍による原爆被害の隠ぺいや過小評価に、日本の代表的研究者たちも同意を与え続けてきた…。その結果、多くの被爆者たちが、その急性死や急性障害を放射線のせいではないとされたり、ガンや白血病などの晩発的な影響についての評価を歪められてきた…」p11

2011-07-27 09:00:12
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』4「最近になってICRPなど被爆問題のエスタブリッシュメントは、放射線のリスクの過小評価を否定し続けることがもはや不可能tみて、これまでの主調の手直しを1つまた1つとやり始めた。放射線影響研究所が、広島・長崎の原爆被爆者のデータに基づいて」p235

2011-07-27 09:19:24
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』5「放射線影響研究所が…ガン・白血病死のリスクの見直しをおこなったのもそのような手直しの1つである。問題は、その手直しがICRPなどによる過小評価された放射線リスクの大幅な見直しや、国際的な被曝防護基準の抜本的な改正へと進みうるかどうかである」p.235

2011-07-27 09:19:58
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』6「ICRPの被曝防護思想、経済性原理にたつALARAの考え方への批判はいまだ不十分である。ICRP批判は、まずそのリスク評価や被曝基準に対する生物・医学的な、科学上の評価が基礎になる。…世界的には上のように言えるが、日本の国内での…」p235-6

2011-07-27 09:20:46
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』7「日本の国内でのこの問題の議論は、ICRPそのものやその勧告の社会的性格についての評価と批判から始められる必要がある。なぜなら、放射線被曝防護問題に関する書物が多数発行されているが、それらはことごとくICRPと同じ立場、同じ思想から」p236

2011-07-27 09:21:41
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』8「それらはことごとくICRPと同じ立場、同じ思想から書かれているからである。また、放射線被曝を一般的には危険と認めはするが、ICRPが果たしてきた歴史的・社会的役割をみようとしない科学者も多くいる。…ICRPなど原発推進派は、人の健康上の」p236-7

2011-07-27 09:22:24
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』9「ICRPなど原発推進派は、人の健康上の判断からは、被曝を少なくすることを認めざるをえないが、それでは原子力産業の活動が不可能になるために、原子力利用の社会・経済的利益を考慮せよと迫って、線量限度内の被曝を強要する起爆防護基準を作り上げてきた」p237

2011-07-27 09:23:00
島薗進 @Shimazono

中川保雄『放射線被曝の歴史』の「放射線被害の歴史から未来への教訓を――序にかえて」と「おわりに」から一部、抜粋しました。復刊されるまで重要論点の抜粋紹介の継続が必要かも。87-88年にアメリカ滞在時に得られた資料が多く活用されており、この度の原発災害を見越したかと思われる程。

2011-07-27 09:33:03
shiwwai🍉 再稼働、原発輸出やめろ @shiwwai

亡き中川氏の妻の慶子さんは、宝塚市をベースに脱原発に心血をを注いでおられます。RT @Shimazono 中川保雄『放射線被曝の歴史』(1991年)はぜひ早急に復刊すべき書物。著者は1943年生、阪大工学部出身で神戸大学教授として科学史を教えたが91年に病没。この遺著は放射能の

2011-07-27 09:57:01
島薗進 @Shimazono

復刊の計画進んでいましょうか福島の被災者他、多くの方々にとり大きな力となりましょう。@shiwwai 亡き中川氏の妻の慶子さんは、宝塚市をベースに脱原発に心血をを注いでおられます。RT @Shimazono 中川保雄『放射線被曝の歴史』(1991年)はぜひ早急に復刊すべき書物。

2011-07-27 10:31:06
会津里花 Rika Aizu @一五一会151e🎵🚩 @jackies151e

"@Shimazono: 中川『放射線被曝の歴史』9「…線量限度内の被曝を強要する起爆防護基準を作り上げてきた」p237"<「被曝防護基準」?

2011-07-27 10:35:43
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』9「ICRPなど原発推進派は、人の健康上の判断からは、被曝を少なくすることを認めざるをえないが、それでは原子力産業の活動が不可能になるために、原子力利用の社会・経済的利益を考慮せよと迫って、線量限度内の被曝を強要する被曝防護基準を作り上げてきた」p237

2011-07-27 10:45:43
島薗進 @Shimazono

すみません。間違っていました。ご指摘謝々。修正版を送りました。@jackies151e 中川『放射線被曝の歴史』9「…線量限度内の被曝を強要する起爆防護基準を作り上げてきた」p237"<「被曝防護基準」?

2011-07-27 10:47:18
伊藤雄介 @y_itoh

今後懸念されている内部被曝の日本の防護基準は、歴史的に米軍調査寄りの原発推進派ICRPに従っているため甘すぎると言う事ですね。RT @shimazono: 中川『放射線被曝の歴史』3「アメリカ軍による原爆被害の隠ぺいや過小評価に、日本の代表的研究者たちも同意を与え続けてきた・・・

2011-07-27 11:45:00
会津里花 Rika Aizu @一五一会151e🎵🚩 @jackies151e

@Shimazono わざわざありがとうございます!一瞬「起爆を防護するって、どうすれば?」なんて考え込んじゃったりしたものですから(笑)

2011-07-27 13:42:37
島薗進 @Shimazono

ほぼそういうこと。それでもICRP基準を厳格に受け止めれば今ほどの無策にはならない。日本の学者は被爆者を見捨ててきた過去を見直したくない。@y_itoh 今後懸念されている内部被曝の日本の防護基準は、歴史的に米軍調査寄りの原発推進派ICRPに従っているため甘すぎると言う事ですね。

2011-07-27 22:41:32
島薗進 @Shimazono

中川保雄『放射線被曝の歴史』1991の紹介を続けてみます。いずれブログにまとめますが、それより早く復刊してほしいです。ICRPの放射能防護基準の歴史的背景をどう理解するか。それが分かると、なぜ多くの「専門家」が理解困難な放射能安全論を説くのか理解しやすくなるはず。

2011-07-28 17:56:40
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』10「第2次世界大戦が始まるまでは、放射線に曝される機会の大部分が医療などごく限られた分野であった。「アメリカX線およびラジウム防護諮問委員会」は主として医療におけるX線とラジウムを使用する…従事者を、放射線被曝による職業病からまもることを任務」p15-6

2011-07-28 17:57:37
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』11。アメリカX線およびラジウム防護諮問委員会に対応する国際組織が国際X線およびラジウム防護委員会(IXPRC、1928年)。ガン多発や遺伝的影響への懸念を受けて線量の引き下げを科学的に進めていた。それにかわってNCRP,ICRPの時代へ(2章)。

2011-07-28 17:58:22
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』12。全米放射線防護委員会(NCRP、1946年)はマンハッタン計画を引き継ぐアメリカ原子力委員会の影響下で構成。続いて形成される国際放射線防護委員会(ICRP)も次第にその路線に従う。作業者の安全のための組織から、核開発遂行のための組織へと転換。

2011-07-28 17:59:37
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』13.NCRP.ICRPは放射線被害が生じない線量限度を設定してしまうと核開発が困難になるので、リスク受忍論を形作っていった。1950年の「許容線量」概念がそれをよく示す。「許容線量とは…原子力・放射線施設の存在と運転の必要を軍事的・政治的および経済的」

2011-07-28 18:00:28
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』14「原子力…施設の存在と運転の必要を軍事的・政治的および経済的理由から認めたうえで…放射線作業従事者、あるいは一般公衆に対して、それらの被曝を受忍させる為に、政府等が法令等の規則で定めた放射線被曝の基準であり、狭くはそれらの線量限度を意味する」p34-5

2011-07-28 18:03:12
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