無限の期待効用といえば、ベッカーの「麻薬を吸い続けてどんどん中毒になっていくと、麻薬という財一単位あたりの効用がぐんぐん増加して、しまいにゃ無限大になるんだからほっとけばいいさ!」みたいな議論を思い出す。
2010-04-30 23:53:19叶わない恋をするとしよう。成就すれば(主観的な)効用は無限大になる。成就しなければ現状維持だ。では叶わない恋をしないとしよう。成就するしないは関係がないので現状維持だ。よって期待効用理論により叶わなくとも恋をするのがよい。
2010-05-01 00:11:33じゃあついでにもう少し解説。パスカルの賭けは、ゲーム理論的(意志決定理論的)な期待効用の発想が表われたほぼ最古の例として注目されているそうです。パスカル自身、コイントスやゲームの比喩をつかって、明確に確率論的な表現をしているよう。
2010-04-30 23:46:10しかし、「無限の期待効用」とか無茶な概念を持ち出しているのでありとあらゆる批判が古くからある。もっともよくある批判は「多数の神による反論」というやつで、「キリスト教の神が存在せず、イスラム教の神が存在するという選択肢もあるだろう。(つづく)
2010-04-30 23:51:42異教信仰のせいで地獄に落されたら期待値はマイナス無限大だ。いろんな種類の神が存在しうるんだから、それも考慮しろ」という感じのものです。これに対する再反論は、「地獄は無限大の不幸ではない」とか、「普遍教会主義(すべての宗教には共通の真理がある)」とかそういう方向に行くようです。
2010-04-30 23:53:52@zmzizm 「神が非存在 かつ 信仰」と「神が存在 かつ 無信仰」「神が非存在 かつ 無信仰」の3つは、「大小はわからないけど有限の幸福か有限の不幸だろう」となってるようです。
2010-04-30 23:58:50@zmzizm あと「神が存在 かつ 無信仰」は地獄行きで不幸が無限大という説もあるようですが、ふつうカトリックだと「無信仰でも善行をつめばリンボ行き」になるはずなので、あんまり正統な説じゃない気がします(パスカル解釈でもややそこは揺れているっぽいですが)。
2010-05-01 00:01:43@at_akada なんというか、信仰を選択(し、かつ、おそらく継続)するのにかかるコストと、信仰しない(あるいは信仰を継続しなくてもよい)場合にかかるコストとのあいだに差は想定されてないのかなあと。ふつうに考えると信仰をする(しつづける)ほうがいろいろたいへんな気がするんですね
2010-05-01 00:03:35@at_akada もちろん信仰の「継続」はしなくてもよくて、ある瞬間にコイントスなりなんなりで「信じますー」って宣言なりなんなりすれば「信仰した」ことになるのならコストはイーブンだとは思いますが
2010-05-01 00:04:43@zmzizm しかしその差が有限であれば、どっちみち、期待値無限大の方に打ち消されてしまうのでは?(もちろんパスカルの前提が正しければの話ですが)。
2010-05-01 00:07:41@at_akada そうですね。ただそこらへんでサンクトペテルブルクが絡んできうるのかなーと思ったのです。コストがイーブンであればたんに確率の高低と結果的な価値の大小の話になるんでしょうが、コストが絡むと効用の算出はもうちょっと複雑になるんじゃないかなと思ったので。
2010-05-01 00:13:31@zmzizm あ、あとそういえば上枝美典さんの『「神」という謎』には、信仰のコストの話も詳しく検討されていたと思います。
2010-05-01 00:16:41@at_akada その記事おもしろいですよね。前にそれを読んだときに個人的にまとめを作ったので、もしよろしければどうぞ。http://bit.ly/cWIQJ5 人に見せることを考えてなかったのでいろいろ文章ひどいし、理解が間違ってるところも多々あるかもしれませんが。
2010-04-30 23:56:00おお、ありがとうございます。つぶやいてみるもんですね。 QT: @tsagis at_akada その記事おもしろいですよね。前にそれを読んだときに個人的にまとめを作ったので、もしよろしければどうぞ。http://bit.ly/cWIQJ5
2010-05-01 00:03:37