ふんばろう東日本支援プロジェクト西條剛央さんの【震災半年に寄せて】

ふんばろう東日本支援プロジェクト(http://fumbaro.org/)を主催する西條剛央さんの【震災半年に寄せて】Tweetをまとめてみました。
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saijotakeo @saijotakeo

【震災半年に寄せて】ツイートしていきます。

2011-09-11 10:20:57
saijotakeo @saijotakeo

 9月11日、あの日から半年になります。  千年に一度といわれる超巨大地震により、あの日、僕らはかけがえのないものを失いました。巨大津波により2万人以上もの尊い命が失われ、何十万人という人が家族や友人、家、街とあらゆるものを失いました。

2011-09-11 10:22:27
saijotakeo @saijotakeo

沿岸地域は南北400kmに渡って蹂躙され、ご遺体が見つかっただけ良かったと言わねばならないほどの深い哀しみに包まれました。そして福島原発の爆発によって多くの人が帰るべき土地も失うことになりました。*

2011-09-11 10:24:56
saijotakeo @saijotakeo

当初、僕らは、未曾有の複合大震災によってもたらされた凄惨な悲劇に打ちのめされました。広く甚大な被害の前では個人の力はあまりに無力でした。  

2011-09-11 10:26:22
saijotakeo @saijotakeo

しかしそれでも、多くの人は「すべてを失った被災者のために何かできることはないか」と、自分にできることを必死に探しました。僕もその一人でした。

2011-09-11 10:36:20
saijotakeo @saijotakeo

僕は、4月1日にはじめて南三陸町を訪れました。  圧倒的な破壊の前で、言葉を失いました。  大きな避難所にたくさんの物資が山積みになっていても、小さな避難所には必要な物資も行き渡っていませんでした。

2011-09-11 10:37:07
saijotakeo @saijotakeo

しかし、そこである人と、今思えば運命的な出会いがありました。さかなのみうらさんです。骨組みだけになったお店の前には「ふんばろう南三陸町 一歩づつ前へ」と書かれた看板が掲げられていました。

2011-09-11 10:39:35
saijotakeo @saijotakeo

僕は本当の勇気とは何か教わりました。「すべてを失っても前を向こうとしている人がいる。わずかなものしか失っていない僕らが本気になればなんだってできるはずだ」と思ったのです。その瞬間「できることはすべてする」と決めました。自分の中のリミッターを完全に外したのです。

2011-09-11 10:40:25
saijotakeo @saijotakeo

翌日、北川さんとともにこの支援プロジェクトを立ち上げました。それは僕らが現地で聞き取ってきた必要な物資をサイトにアップして、それをツイッターで拡散することで、全国の人が送れる物資を被災者に直接送り、その報告を受けることで届く物資の量をコントロールするというものでした。

2011-09-11 10:41:54
saijotakeo @saijotakeo

シンプルな方法ですが、これによって「被災者が必要としている人に必要なものをダイレクトに届ける」ことを可能にしたのです。

2011-09-11 10:42:44
saijotakeo @saijotakeo

本プロジェクトは、いわば、全国の一人一人の「被災者のために何かしたい」という気持ちが集まった市民意思機能というべきものです。

2011-09-11 10:43:53
saijotakeo @saijotakeo

企業でも、NPO団体でもなく、被災者支援という目的だけを共有するプロジェクトであるため、様々な企業や行政、団体の垣根を越えて、多種多様な人々が参加できるのが特徴です。

2011-09-11 10:45:00
saijotakeo @saijotakeo

その活動は、多くの共感者に支えられて、瞬く間に広がりました。その後も、被災者という目的からぶれることなく、様々な形で無償の支援活動を行ってきました。

2011-09-11 10:49:06
saijotakeo @saijotakeo

その道のりは決して平坦なものではありませんでしたが、揺るがぬ意志と様々な工夫、そして多くの人の協力によって一つ一つ乗り越えていきました。

2011-09-11 10:52:37
saijotakeo @saijotakeo

そして現在では、たくさんの物資や支援金を提供してくださる全国の支援者に支えられて、マネジメント班、Web班、物資班、現地班、会計班、翻訳班、電話窓口班、渉外班、法務班、会計班、学生班、イベント班、トラベル班、amazon班、臨床ケア班、などの多くのチームが立ち上がっています。

2011-09-11 10:57:11
saijotakeo @saijotakeo

また、岩手、宮城、福島といった被災地三県の支部に加えて、岐阜、名古屋、大阪、京都、神戸、岡山、山口、九州などの後方支援支部も立ち上がり、現在では千数百人のボランティアスタッフを擁する最大級の支援プロジェクトへと成長しました。

2011-09-11 10:58:46
saijotakeo @saijotakeo

これまで物資支援として、8月末の時点で2300カ所の避難所、避難宅を支援し、2万5千回以上、10万品目にも及ぶ物資を、ふんばろう東日本を通して届けることができました。

2011-09-11 11:05:12
saijotakeo @saijotakeo

さらに人が人に支援するという基本に立ち返った仕組みによって、一度物資を受け取った方からお礼の手紙や電話が届くことで、人と人の絆が生まれ、ふんばろうの仕組みを通さない継続的な支援が数多く生まれています。

2011-09-11 11:07:25
saijotakeo @saijotakeo

また扇風機6千台をはじめとして洗濯機や冷蔵庫、掃除機、炊飯器、テレビ、アイロンなど一万個におよぶ家電を届ける家電プロジェクトも大きな成果を挙げてきました。

2011-09-11 11:08:32
saijotakeo @saijotakeo

その他にも、福島県を中心に、ガイガーカウンターの正しい使い方をレクチャーした上でカウンターを無料で貸し出すガイガーカウンタープロジェクトも行っています。

2011-09-11 11:10:47
saijotakeo @saijotakeo

また福島の子ども達を隅田川花火大会などに招待するKIDSプロジェクト、簡易給食による子ども達の栄養不足をサポートする給食支援、被災地への炊き出し支援も行ってきました。

2011-09-11 11:11:07
saijotakeo @saijotakeo

また被災者の方々、心のこもった手紙やはがきを届けるおたよりプロジェクト、手作りののれんや布草履などを届けるハンドメイドプロジェクトなど多くのプロジェクトを進めてきました。さらに近畿日本ツーリストと協力し、スペシャルボランティアツアーを企画、実施してきました。

2011-09-11 11:11:52
saijotakeo @saijotakeo

震災から半年が経過し、被災地以外のテレビをはじめとして様々なメディアでは、福島原発以外の被災地の報道は減少の一途を辿っています。

2011-09-11 11:15:33
saijotakeo @saijotakeo

また報道では、被災地は着実に復興しているように語られていますが、それはごく一部の話であり、津波によって沿岸の街々は絨毯爆撃されたかのように破壊し尽くされており、そうした被災地の現実はテレビ報道とはあまりにもかけ離れています。

2011-09-11 11:17:08
saijotakeo @saijotakeo

自衛隊はだいぶ前に撤退し、多くのボランティアセンターも閉鎖しました。ほとんどの避難所が解散となり、被災者の方々は仮設住宅へと移動しました。行政からは自立を促されていますが、仮設に入れたということは、プライベート空間が確保されたということ以上のものではないのです。

2011-09-11 11:20:24