なんとなくだけど、煩悩→般若はそれぞれの悩みごとに小さな系があって、ひとつなにか覚りしたからといって全部を一気に分かるものではないような。。たぶん、大乗も上座部も後者の汎用なやり方だけ考えるから転げる感じがする。。
2011-09-21 12:54:38ある講演で「経営もゆとりを持たねばいけない」と、つまりダム式経営の必要性を説いた松下翁。「どうすればそれが可能になりますでしょうか」という質問に、「まずダムをつくろうと強く願う事ですわ」と返す松下翁。会場は具体的経営方法を聴けると期待しただけに失笑が漏れた
2011-09-21 16:12:54しかし京セラ創業者の稲盛和夫氏は頭を打たれたような衝撃を受けたという。方法論はそれぞれ状況次第だし、なにより方法を聞いてもその意味する所、真の必要性を理解し、智慧を絞った当意即妙の対策でなければ生きて来ない。
2011-09-21 16:16:08ダム式経営が大事と言われて、まぁそうやねぇ、それが出来たら苦労しないよ。で、具体的方法は?という受け身の姿勢では意味が無い。そしてその事に会場のほとんどの人は気づかなかったという。 いかにアンテナを張って気づきを得るかという事でもあるが…まぁ普通はその気づきが生まれずに終わる
2011-09-21 16:18:32「今を生きる」とか「一期一会」とか言葉だけなら誰でも言える。でも実感、気づきを伴うものと、語感だけでファッションとして身につけているものではまるで異なる。
2011-09-21 16:19:48稽古でも同様で、上達したければまずそう強く願い、創意工夫し七難八苦しなければ道は開けぬ。道は示されるが歩むのは自分であるのだが、あたかも示されたら動く歩道の如く自動で進むと勘違いしてしまいがちだ。
2011-09-21 16:21:53まあ先代や、私が入門する直前の師範は盗んで覚えろ方式で、甘える余地はなかったそうだ。どちらが良いかわからぬが、「してみせて 言って聞かせて させてみる」上に褒めてみせてもなお、教え方が悪いかの如く態度を取る人がいるが、まぁここまで来ると「縁なき衆生は度し難し」であろう
2011-09-21 16:25:39「仏法をそのまま垂れ流しても意味が無い」はそのまま「倫理学、哲学をそのまま垂れ流して御託宣風にありがたやしても意味が無い」のと同じで「けっきょく自分の頭で考えないと意味ないのでわ?」という話
2011-09-21 18:54:35仏教の場合は「遍知と智慧」としてそれは端的に表され、後者は「実践を通じた自らの経験と思考」というところで煩悩即菩提な話になるのだろな。煩悩的なものそのものを「捨てる」のではなくそれぞれの系をテクストとしてきちんと考え同調することによって、その系が拓いていく
2011-09-21 18:56:52だから「答えが大事なのではなく考える過程そのものが大事」というアレ。「奥義を知ればいきなり必殺技な威力が身につく」ではなく「それまでの稽古の実践によって勁道が拓いていくことが大事」ということ
2011-09-21 18:58:11ハイデガーが形式的指標を配したのもそういうことなのかなぁ、と。あれも「ハイデガーてなんすか?」とかゆってあんちょこしてるうちは意味ないのかなぁとビッグマウスしてみる
2011-09-21 18:59:29