第13回図書館総合展フォーラム「知が拡散する時代の公と私 ― 図書館をめぐって」
岡野裕行さん(皇學館大学、文学館研究・図書館情報学)プレゼン
近代の文学資料の起源は個人を対象としたもの。馬籠の藤村記念館が1952年に開館で最初の事例。 #LF2011
2011-11-10 15:42:48その後60年代に、作家個人を対象としたものから国文学を収めようという運動が興り、日本近代文学館が1967年に開館した。 #LF2011
2011-11-10 15:44:22文学館はLiterary Museum, ...Archives, ...Libraryを包括できる名前。博物館にかぎられてはいない。 #LF2011
2011-11-10 15:48:28近代文学資料の話。資料が公化されていくプロセス。/文学館という、ミュージアム、ライブラリー、アーカイブという、包括的であり、あいまいな位置づけを可能にしている"館" #LF2011
2011-11-10 16:05:56日本近代文学館は私の資料をたくさん集まっている点が、記念館とよばれていた個人作家の顕彰施設とは異なる。 #LF2011
2011-11-10 15:51:45日本近代音楽館もあるが、文学や音楽は資料を集めるためのひとつの切り口。だから施設でなくても、コーナー程度でも集めることは可能。 #LF2011
2011-11-10 15:54:50上崎千さん(慶應義塾大学、芸術学・アーカイブ理論)プレゼン
上崎千さんのプレゼンスタート。川原温による、ある期間、自分が何時に起きたという手紙を誰かに送りつづけ、それを後でまとめた作品からアーカイブを考える。 #LF2011
2011-11-10 16:05:59その作品の展示は、何通ものハガキをまとめて展示をする。鑑賞者はあるボリュームでもって体験する。 #LF2011
2011-11-10 16:06:37滝口修三に宛てられた〈I GOT UP〉にふくまれる手紙をアーカイブするにあたっては「書簡」というカテゴリーに分類して収蔵した。そうすると、〈I GOT UP〉は完結した美術作品でなくなり、生の私信のあつまりに変わって体験された。 #LF2011
2011-11-10 16:12:39作品として展示されたものは公になったものだが、一方で同じものがアーカイブにはいると私信として私のものにみえる。だから公と私は程度。 #LF2011
2011-11-10 16:15:11慶応アートセンター、上崎千さんの発表。滝口修造の書簡のアーカイブを事例に/度合いに還元される、私性/公性。汲んでも汲んでも汲みつくせないように見えていたもの(資料群)を、分類、腑分けしていく(公化する)プロセスの中で、あれもないこれもない、という欠如のまとまりへ。
2011-11-10 16:24:49今日の、上崎千さんの発表の最後で引用されていた、ボリス・グロイスのテキストこれかな=「新しさについて」 http://t.co/JNgnsE6e (邦訳、pdf) たぶん、この訳ではなくてご自身の訳だったみたいだけど(原著クレジットがあったから)
2011-11-10 22:23:50