『新撰21』読書会(7)「神野紗希+江渡華子」

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榮猿丸 @micropopster

@a8ca そうなんだよね。個人的には、文語っていっても、「有用性のない言語(日本語)」という捉え方で、ある意味口語より新鮮なモードなんですよね。 #shinsen21

2010-05-23 01:06:46
@tadayoshi_k

「ひきだしに海を映さぬサングラス」「白玉やいわねばならぬことひとつ」紗希 『星の地図』は外野である自身にも目や耳に入っていたし、俳句王国での司会や毎回の投句で、その存在は自分より20歳くらい年下の俳人さんの中で一番大きかったのかもしれません。 #shinsen21

2010-05-24 01:08:36
@tadayoshi_k

神野さんのことをよく知らない人に神野さんの句を紹介すると、「なあに?この『ヘップバーン』みたいな句はぁ」といって眉を顰められることがあります。 #shinsen21

2010-05-24 01:10:15
@tadayoshi_k

口語が目に付く作り方が俳句を読む上で「ナメられる」傾向にあることは嘆かわしいことですが、『ヘップバーン』だって詠む人々の裾野を広げたり、新しい季語季題の可能性を知らしめたという面で決してヒールではないはず。文語で、切って、余韻を残して、言い切らないとい万能> #shinsen21

2010-05-24 01:18:57
@tadayoshi_k

「団栗にまだきずのなき光かな」「団栗の芯まで冷えていたりけり」「団栗のみな割れている日永かな」 紗希 団栗の句が多い。まだ傷が無い、芯まで冷えて、みな割れている。ここまで引き合いに出されているのを見ると、団栗に自身の投影をしているようにも見えます。 #shinsen21

2010-05-24 01:26:10
@tadayoshi_k

それだけ存在が地に転がっている他愛の無いものである、精進しないと、という気持ちなのでしょうか。 #shinsen21

2010-05-24 01:27:01
@tadayoshi_k

最近、「ボーっとした句、ヌーっとした句」という話題が自分の周りで出ているのでそれを踏まえると、神野氏の句はそれには該当しない。なぜか。 #shinsen21

2010-05-24 01:31:08
@tadayoshi_k

「芋ふたつ並んで違う方を向く」紗希 「違う」ということばに作者の意図が入っているから。「違う」というのは主観的なものであって、芋の立場からすれば他の姿勢をとったら並ぶことも出来ず卓から転がり落ちてしまうこともあるかもしれない。 #shinsen21

2010-05-24 01:36:42
@tadayoshi_k

写生であり、とっつきやすくて読みやすいというルックスではあっても、神野氏のスタイルはしっかり言葉が神野氏の身体を通り抜けて、神野氏の「主観」を前面に押し出すものとなっている。 #shinsen21

2010-05-24 01:39:44
@tadayoshi_k

自分は、俳句短歌とも口語で作ろうが文語で作ろうが、混交であろうが構わないと思っている。読む人の心を動かす主題であればどちらでも。ただ、日常的に溢れているだけに口語は句や歌としてそうさせるにはよほどの力と下地がないとダメ。俵万智氏が偉大だと思うのはそこ。 #shinsen21

2010-05-24 01:46:08
@tadayoshi_k

最後に・・・新撰21から神野紗希氏の好きな句を選んで。「冬空や蛇口離れぬ水の張り」「三月来るナウマンゾウのように来る」。他に前に引用した「星の地図」からの2句。 #shinsen21

2010-05-24 02:37:26
@tadayoshi_k

「コンビニのおでんが好きで星きれい」は・・・ファミマのおでんだったらな、という条件付www(しつこい?) #shinsen21

2010-05-24 02:38:35
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