• crow_henmi
    ところで、まおゆう、というか、すべてのフィクションについていえることだけど、作品そのものより、読み手の作品に対する態度、というのが重要であって、それに比べたら作品そのものがどうということは二次的な問題になる。
  • crow_henmi
    たとえば、ルル山やデスノ見て決断主義に走るような人ってのは、作品のテーマや演出によって内在する倫理を立ち上がらせてしまった人であり、つまりそこで彼らがなすことってのは本来彼らが背負うべき責任である。作品の側には「そういう倫理を立ち上げることを触発した」二次的責任しかない。
  • crow_henmi
    これは別の云い方をすれば「ある作品にかこつけて自分のいいたい/やりたいことを表明する」ということであって、作品そのものとの批評的な向き合い方ではない。まおゆうネオリベ論争あたり、そういう問題に足を踏み込んでいるような気がする。
  • crow_henmi
    まおゆうネオリベ批判というのは、ネオリベっぽい人が自分のネオリベ的価値観を肯定してくれるものとしてまおゆうを提示したのに対し、反ネオリベっぽい人がその「態度」に大して攻撃を掛ける際に彼らが引き合いに出してるまおゆうを引き合いとした、まあ、代理戦争。
  • crow_henmi
    もちろん、まおゆうという作品にはネオリベ的要素というのはあるんだけど、実際にそれ自体がコンスタティブに/目的として批判されているんでなく、それを巡る人々のパフォーマティブなありかたを批判するものとなってる、というややこしさがある。
  • crow_henmi
    問題はこの二重性が切り離しがたいことであって。まおゆうというテクストによって喚起された問題であるから、まおゆうを経由しないと相手方を攻撃できないわけで。
  • crow_henmi
    再post:その結果「まおゆうのネオリベ的なところに興味ないよ」みたいな人が論争に巻き込まれるのは大変政治的な事態ですね、と。まあ、政治的な事態というものは粗密あれど偏在しているのだけど、否応もなく特濃部分に巻き込まれてしまうなと。
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