#ETV 特集 シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 録画視聴中。 #NoNUKE #nhke

原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」→ http://v.youku.com/v_show/id_XMzA2NDY3NDYw.html リンク切れ: (1/2)→ http://dai.ly/ud00sn (2/2)→ http://dai.ly/vbOQzK 後編toge→ http://togetter.com/li/244141 続きを読む
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Sirius☆彡 #パンデミックの彼方へ @sitesirius

#etv 特集 シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 録画視聴中。 #NUKEjp #nhke

2012-01-06 01:00:43

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#ETV #福島 1960年代後半 「この地方一帯は、農業を中心とする静かな田園地帯で、過去数百年にわたって #地震 や台風、 #津波 などによる大きな被害を受けたことがない」 黎明 れいめい ~福島第一原子力発電所 #Fuku1 の記録映画です。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 09:15:39
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東京電力企画 記録映画「黎明」 1964年に始まった建設用地の調査から、運転開始に至るまでの6年半が記録されています。「高さ約30mの断崖が切り立つ茫洋たる大地」福島第一原子力発電所の敷地は、もともと海抜35mの大地でした。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 09:44:46
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その高台を、海面から10mの高さまで削って建設…理由の一つが建設や運転にかかる費用を抑えるため…「最新式の土木機械を縦横に使って、大地が20mも削り取られてゆく。ここで生まれる新しいエネルギー、原子力は皆様の生活を支える大きな力となっているのです」~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 11:43:07

資料---- 「黎明」 本編----

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Video: 「黎明」 福島第一原子力発電所 建設記録 調査編 東京電力:企画 #Fuku1 #NUKEjp (http://t.co/6A2ymAUqから) http://t.co/s5O49yA7

2012-01-19 09:48:59
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18:30からは、ちょっと見てられない…削られる大地、嗚呼。 QT 「黎明」 福島第一原子力発電所 建設記録 調査編 東京電力:企画 #Fuku1 #NUKEjphttp://t.co/3mkQTZ5G から) http://t.co/s5O49yA7

2012-01-19 10:14:50

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今年3月(註:2011年)、東日本大震災が発生。福島第一原発は高さ13mの #津波 に襲われました。地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機が、浸水によって故障。全電源喪失に陥り、炉心が溶融する事故(註:メルトダウン)を起こしました。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 11:48:38
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元東電副社長 #豊田 氏「上に造れば、それーあー、あのー、 #津波 を受けなかったかも知れないけれども、それで発電所が造れたか、ということ…それ造れたかも知れないけど高いモンにつくでしょうねぇ、そんなの…」~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:08:30
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国や電力業界は、事故に至るまでどのような安全対策をとってきたのでしょうか。日本の原子力政策の裏側を記録した資料を所有している人物がいました。元通産省、後に科技庁の官僚だった #伊原 義徳 氏。原子力行政の中枢を担ってきた人物です。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:12:31
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(無数の録音テープ、ラジカセを引っ張り出す) #伊原 氏「これで…」非公開で行われた、ある会合の録音テープです。会合の参加者は、政治家、官僚、研究者、電力会社やメーカーのOBたち。その100時間にわたる肉声です。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:15:19
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そこでは、最優先にされるべき原発の安全性が、置き去りにされていった歴史が、赤裸々に語られていました。元東電副社長「そらもうねぇ、電力会社じゃもう、いまやね、もうちょっとコストダウンやれやと相当な圧力がかかってる」~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:18:53
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元原研研究員「電力会社あたりからねぇ、安全性の研究なんかやってもらったら、いかにも軽水炉が不安全のようだからやめてくれ、とかなんか、そういうふうにプレッシャーがかかったような気がすんですよ」~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:21:19

~ 略 ~

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日本が独立した1952年、日本学術会議 第4部長だった #茅 誠司 氏は戦後いち早く、日本は原子力の研究を再開すべきだ、と考えていました。茅は、大阪大学教授 #伏見 康治 氏と共に、政府に対し研究再開の申し入れをしようと、科学者に呼びかけました。 ~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 06:22:59
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これは終戦直後、GHQが日本の研究所にあった大型の放射線実験装置、サイクロトロンを破壊する様子です…1945年11月。日本の物理学者は、この装置で世界最先端の研究を行なっていました。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:30:59
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しかし戦時中、軍部から原爆開発を命じられていたことから、戦後7年間、研究は禁じられていたのです。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 12:32:25
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一方、原子力研究の再開に強く反対する物理学者たちもいました。その急先鋒が、 #広島 大学教授の #三村 剛昴(よしたか) 氏です。三村は広島に原爆が落とされた時、爆心地近くで被曝、九死に一生を得たものの、同僚の研究者や教え子の多くを亡くしていました。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 06:27:27
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その経験から、 #三村 は原子力の研究が軍事利用されることを強く危惧、研究を再開すべきでない#茅 誠司に真っ向から反対しました。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 06:33:40
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同じ頃、研究者たちとは別の立場から原子力に注目していた人々がいました。 #島村 研究会では、日本で最も早く原子力の導入に向けて動き出した、ひとりの人物を取り上げています。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 06:51:13
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中央公論社(当時) #森 一久 氏「23年に、そのー、12月の終わりごろに #後藤 文夫 さんが巣鴨(註:プリズン)から出てきたから、戦犯解除んなって、巣鴨出てきたんで迎えに行ったら、"大変だぞ、アメリカでは原爆で発電をしておるそうだ"と…」~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 06:54:04
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#森 氏「…日本もエネルギーで戦争(註:世界大戦)をやったんだから、日本も考えなくちゃいかんのじゃないかなぁ、と。英語の新聞にそう書いてあったぞ、と言われたのがまぁ、 #後藤 さんが原子力との始まりと出会いだ、と。…」~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 06:59:03
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#森 氏「…まぁ、あの方は英語も非常に勉強しておられたし、まぁ巣鴨の中で、英語の新聞を読んで、そんなことに気がつくぐらい、向こうの新聞にはかなり出てたと思うんですね」会合で語られていた人物 #後藤 文夫。戦時中、東条内閣の国務大臣を務めた政治家です。~ #NUKEjp #nhke

2012-01-19 07:02:53
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